第33話 私たちが得たもの


 期末テストの、そして春から始まった学期の打ち上げのような学園祭が終わり、夏休みに突入した。朝からすでに燦々と日差しが降り注ぎ、街の色彩も濃い。聴覚は虫の声で満たされ、肌に触れる空気は湿り気があって生暖かかった。


 時間が進むにつれて陽光は強くなり、地表を熱する。気温が上昇し続ける午前中に家を出た私と望は、目的地に到着するころには汗をかき疲弊していた。一応チャイムを鳴らすものの、家主が出てくる前にドアを勝手に開け、家の中へ入っていく。


「やあ。暑いのにご苦労様」


 珍しく家主が出てきた。三十代くらいの、全体的にくたびれた感じはあるものの、悟りを開いたかのような超然としたオーラをした女性。そう、ギター職人の長谷川さんである。ここは長谷川さんの仕事場兼自宅であった。


「冷蔵庫に麦茶冷やしてあるから、勝手に飲んでいいよ」


「ありがとうございます。……と、」


 私はお礼を言ってから、長谷川さんが普段とは様子が違うことに気がついた。いつも私たちがお邪魔するときは薄汚れたエプロンをしていたのに、今日はそのままコンビニくらいなら行けそうなくらいのラフな格好であった。


 私の訝しむ視線に気がついたのか、


「ああ、今日はまだ仕事始めてないんだ。というより、起きたばっか。これ部屋着だよ」


 着ているシャツを引っ張りながらそう答えた。


「朝早くにすみません」


「いやいいって。というか、一般人はもう活動している時間だからね。こっちがスロースタートなだけだ」


 私は気遣いから謝ってみたけど、長谷川さん自身はとくに気にしている様子はなかった。


「そうだ。せっかく早く来たんだし、練習する前に一ついいものを見せてやろう」


 そもそも私たちが朝から長谷川さんのお宅にお邪魔したのは、第二軽音楽部の活動をするため。学生は夏休みなので朝一から活動し、午後はそのときの気分で過ごし方を決めるつもりだった。


 第二軽音楽部の部員としては、私と望が一番乗りのよう。そのため他のメンバーが来るまで長谷川さんが言ういいものを見ようと思い、長谷川さんに従った。


 長谷川さんについていくかたちで家の奥へ進む。一階の仕事場とはまた違う部屋があって、その中に入ってみると、窓がないせいか暗闇となっていて何も見えなかった。家の中にある小さな物置といった感じだろうか。


 背後で長谷川さんが部屋の灯りをつける。光が満たされ、部屋の様子が見て取れる。小さな部屋の最奥には美術館にあるようなガラスケースが鎮座していた。


 そのガラスケースを覗き込んだ途端、私は驚きで言葉が出なかった。傍にいる望も、唖然とした様子だった。


 ガラスケースに入っていたのは、日本家屋の欄間のような、木材からなる彫刻だった。和風な作品のそれは二匹の龍が互いにとぐろを巻いている。


 ただ一点奇妙なのは、その龍の彫刻にはということ。エレキギターのパーツが取り付けられ、弦も張られている。


「あの、これは……」


 私は圧倒されながらも、辛うじてそう反応することができた。ギターのネックがつけられているということは、少なくともこれは楽器であるはずだけど、でもこんなものは到底演奏できるものではない。大きさは一般的なギターのそれだけど、細部にわたって巧みな意匠が施されており、下手に触ったら折れてしまいそうだった。弾く以前に触れることさえ躊躇われる楽器が、目の前にあった。


「私の祖父がね、木彫りをやっている人だったんだ。その影響で小さい頃少しだけ木彫りをやってみたことがある。で、私が高校生のときに祖父が亡くなって、作品を整理していたときに思ったんだ。ギターで木彫りができないかとね。当時ギターしか興味がなかったから、自然とそういう考えに至ったわけよ。その瞬間が多分、私の進路が決まったときだと思うな」


 振り向くと、長谷川さんは部屋の入口付近の壁に寄りかかり、腕を組みながら語っていた。


「じゃあ、前に言っていた自分にとっての理想の楽器って……」


 望は木彫りのギターに魅入られながら、長谷川さんに尋ねた。


「そう、これ。このギターを作るためにギター製作と木彫りの勉強をした。で、早々に満足のいくものを作ってしまったので、せっかく勉強したことを生かしてギター職人として余生を過ごしているってわけ」


 今目の前にある木彫りの楽器は、長谷川さんの人生そのもの。長谷川さんが追い求めた楽器真理がそこにあった。


「楽器は基本的に形が決まっている。ただエレキギターに関しては、電子楽器であることと、加工が比較的容易な木材で作られているという点から、様々なデザインのギターが世の中に存在している。ならば楽器としての最低限の機能を維持しつつも、楽器そのものに芸術的な価値を追い求めてもいいのでないか、というのが私の考え」


 長谷川さんはガラスケースに近づき、ケースを撫でながら語る。その表情は、どことなく遠くにある儚いものを見つめているかのようだった。


「そして辿り着いた答えがこのギター。これ以降も木彫りのギターを作ってはみたけど、これを超えるものを作ることができなかった。そして芸術家としての才能が年々枯れていくことを自覚してから、私の追い求めた真理はこれなんだと気がついたんだ」


 そうして長谷川さんはスッとケースを撫でるのをやめ、振り返って私たちを見つめる。


「楽器を一本作ってみて、得るものがあったんじゃないかな。晴美も千明も、ギターを作ってから認識を改めたのか、頻繁に自分の楽器を磨くようになったしね」


「そうですね。確かに、楽器に対しての見方が変わりました。楽器って、あれだけ苦労して作られているんだってことを知りました。でも私たちが知ったのはごく一部でしかないんですね」


「そうだね。君たちは所詮市販の製作キットを組み立てたに過ぎない。角材から切り出して木工加工をしたわけじゃないし、そもそも設計自体もやってない。それでも、自分たちで作ろうと思い、そして実際に作ってしまった。その行動力だけでも価値はある。一から作ろうが製作キットを組み立てようが、自作ギターであることには変わりない」


「そういうものですかね」


「そういうものだ。大事なのは、作ったものから何を得たか、だ。君たちだって得るものがあったはずだ。晴美や千明みたいに、わかりやすく楽器に反映するものだけではなく、そのほかのものもね」


 そう言われて、私は自然と望の方を向いた。望も、同じく私のことを見つめている。


 確かに得るものはあった。今回のギター作りを通して、私たち姉妹の本当の関係性に気付かされ、そして理解し合い、改めて打ち解けた。十年間噛み合っていなかった私たちは、ようやくまともな関係になることができた。


 ギター作りが間接的な要因だったとしても、それはそれでいい。どんな過程を経たとしても、得たものとしては変わらない。結果がすべてというわけではないけど、でもこの結果があったからこそ、はじめてギターを作ってよかったと思える。


 自然、私たちは手をつなぐ。これが、私たちが求めた真理なのかもしれない。


 そのとき、玄関のチャイムが鳴り、


「お邪魔しまーす!」

「お邪魔します」


 玄関から陽菜さんの明るく元気な声と、マリ先輩の控えめではあるものの楚々とした声が聞こえてきた。ちょうど鉢合わせしたみたい。


「それじゃあ私たち、部活します。二階の試奏室使わせてもらいますね」


 私は長谷川さんに断りを入れ、望と手をつなぎながら小部屋を出る。後ろから、「若いっていいね」と長谷川さんのよくわからない独り言が聞こえてきたけど、そのまま無視した。


 第二軽音楽部は、三年生の晴美先輩と千明先輩が受験に備えて引退し、人数が減った。新部長として二年生のマリ先輩が就任し、陽菜さんと、そして私と望の四人で再スタートする。作ったラメホワイトのギターは、まだ自分の楽器を入手していなかった陽菜さんに受け継がれた。


 第二軽音楽部は新体制となった。


 それに伴い新しい私たちが動き出す。


 新しい絆を伴って、私たちは歩いていくのであった。




〈了〉




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ガールズ・ギタークラフト 杉浦 遊季 @yuki_sugiura

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