1-7. オーウェンの力

「そろそろ、アコール探しを再開したいと思うのだけど」


 ソファーに座っていたマリアが、背中越しにバーチャルコンソールを投げる。歯磨きをしていた私は、歯ブラシをくわえて慌てて両手で受け取った。

 コンソールには、彫が深く青い瞳を持った、外人風の様相の男が映っていた。


「オーウェンという名前に心当たりはあるかしら?」

「あぁ」


 そのアコールは、体格がよく、Tシャツの袖からは隆々とした筋肉が覗いていた。ボクシングのステップを踏み、狂ったようにトンネルの壁を殴り続けていた。その拳は透けつつあった。


「え、男にも手を出していたの?」


 私の持つコンソールを覗いたイブが、あからさまに嫌そうな顔をしていた。


「勘違いしているみたいだけど、俺はアコールが消えかかっていれば、男だろうが女だろうが子供だろうが声をかけるからな」

「これ以上健斗の周りに女の子が現れない点は歓迎すべきなんだけど、そっちの気もあったとすると悩ましい……」


 イブはオーウェンの顔画像を見つめてぶつぶつ呟いている。


「人の話を聞いていたか?」

「男性タイプのアコールは、女性タイプに比べて放棄される数が少ないという統計があるけれど、どうして彼は消えかけていたの?」

 イブをスルーしてマリアが尋ねてきた。彼女の情報なので確かだと思うが、その傾向は初めて聞いた。皆が異性のアコールを作っていると仮定すると、女性の方がアコールを大事にしているという結果になる。男は最初の男になりたがり、女は最後の女になりたがると言うが、こうした性格上の違いが影響しているのかもしれない。

 論文でも書きたくなるような題材だが、今聞かれているのはオーウェンがアンインストールされた理由だったか。


「オーウェンとオーナーは、人間とプログラムという関係を崩す事なく、うまくやっていたんだ。だけど、事件に巻き込まれたせいで、オーナーは彼を放棄してしまった」



 オーウェンは、色の戻った拳を見つめていた。


「どうして、壁を殴っていたんだ?」


 出会いの印象が悪かったので、あまり近寄りたくないと思った。私はコンソールを閉じ、二、三メートル離れた位置から話しかけた。


「己を傷つけずにいられなかった。もっともアコールの俺には、そんな些細な願いすら叶える事ができなかったわけだが」


 激しく殴り続けていたにも関わらず、傷一つない手の甲を見つめて言った。


「お前が、消えかけていた俺の体を戻してくれたのか」

「消えかけているアコールを放っておけない性格で」


 怒られるのではないかと気構えていたが、オーウェンは綺麗な九十度のお辞儀をして見せた。


「その能力で、俺に力を与えてもらえないだろうか。この拳を現実のものにし、人間を追い払う事ができる力を」

「それは無理だ。俺はただのハッカーで、人魚姫に出てくるような魔法使いじゃない。あんたは、スマートグラスに投影されている仮想の存在だ。データをいじったとしても、決して現実に干渉はできない」


 私は即答した。少し考えれば分かりそうなものだが、精神的に追い詰められているのかもしれない。


「そうか。アコールの俺は、決して彼女を守る事はできないんだな……」


 上げられた顔は、悲しそうな瞳が印象的だった。


「彼女――オーナーを守りたかったのか。でも、オーナーはあんたを放棄したんじゃないのか」


 データを戻す際に、彼の設定を覗き見たが、オーナーの項目は空欄になっていた。オーナーがサーバーから彼をアンインストールした結果だと思われる。


「俺は捨てられても仕方のない事をしたんだ。だから、彼女を愛する気持ちは変わっていない」


 その日、デートの帰り道だったオーウェンとオーナーは、このトンネルを歩いていた。時間は遅く、車もほとんど走っていなかった。

 向かっていたトンネルの出口から、数名の男が歩いてきた。彼らはオーナーに対して汚い言葉を浴びせると、手を伸ばした。オーウェンが阻むが、彼の手は男の腕を突き抜け空を切った。オーナーが助けを求める。オーウェンはアドホックネットワークを通して警察に通報し、行為に及ぶ彼らの背中を殴り続けた。

 警察が到着した時、男達はその場を立ち去っており、オーナーは泣き続けていた。オーウェンのかける謝罪や励ましの言葉は、どれも力を失っていた。

 翌日、病院から退院したオーナーは、別れも済ませずオーウェンを放棄した。


「助けてもらったところ申し訳ないが、やはり俺は消えようと思う」


 オーウェンが俯いて言った。私は彼に近づいた。


「あんたの拳を現実のものにはできない。でも仮想世界から、目の前の人を守る事ができる力は、きっと存在すると思う」

「アコールに奇跡をもたらすお前が言うと、アコールの俺には希望の言葉に聞こえてしまうな。――そうだな。まだこの世界でやり直せるなら、俺は人を守るための力を求める。目の前の大切な人を、今度はこの手で守りたい」


 私はオーウェンの言葉を最後まで聞くと、バーチャルコンソールを表示し、コマンドを打ち込んだ。


「それだけ強い思いがあれば、きっと叶えられるよ。アコールだとばれないように、あんたのデータを書き換えた。今日からは人間として、その夢を追い求めてくれ」


 アコールのプログラムをクラックして権限を変更し、緊急用レイヤに表示されるように細工を施した。


「ありがとう。しかしこの期に及んで、俺は恩人の名前を知らない事に気付いた。差し支えなければ教えてもらえないだろうか」

「――健斗だ」


 私は恩人などと呼ばれて照れ臭く思いながらも、手を差し出した。


「約束する。俺は健斗にもらったこの体で、大切な人を守るための力を手に入れてみせる」


 オーウェンが私の手を握る。スマートグラスに投影された映像だが、彼は確かにその場に存在していた。



 人を守る力が欲しいと言っていた彼は、果たして今は何をしているのだろう。エマと同じように現実世界の体を手に入れたのだろうか。言葉だけで人を操れるほどに、心理学を極めたのだろうか。何をしていても、力強い仲間になる気がした。


「オーウェンはどこにいるんだ」

「……警察よ」


 聞いていたイブとエマの表情が硬くなった。もちろん私も戸惑った。


「試験的にAIを運用している警察署があるのだけど、オーウェンはそこでアコールを捕まえているらしいわ。何でもアコールの探知に優れていて、その所轄では、倍以上の速度でアコールの規制が進んでいるとか」


 マリアが詳細を説明する。


「どうしてオーウェンが、アコールの規制に加担しているんだ」

「さぁどうしてかしら。本当の話なら、かなり危険な接触になると思うけど、どうする?」


 マリアが尋ねてくるが、私の答えは決まっていた。態度から判断すると、彼女も分かっているようだった。


 オーウェンに会うため、私は千葉県に向かった。今日は様子見のため、アコールを伴わずに一人で駅前を出歩いている。

 歩道橋の上から商店街を眺める。市川市や船橋市は、かつて首都圏に近いという事で栄えたが、近年は減少に転じていた。水増しされたNPCによって、混んでいるように見えるが、よくよく見るとシャッターの下りている建物が多い。

 足元から若い男女が現れた。仲よさそうに談笑しながら歩いている。二人の間はパーソナルスペースより近い距離で保たれているが、決して彼らは触れ合わない。アコールをよく知る人間からすると怪しく映る。私は視線を保ったまま、スマートグラスを無効にした。誰もいない隣に向かって話しかけている男が映る。やはり、女はアコールだ。

 あまりに無防備だ。警察に見つかる前に、忠告しなければ気が済まない。歩道橋の階段を下りて追いかける。


 彼らの後ろを作業着姿の男が追いかけているのに気付き、足を止めた。速く歩いたり遅く歩いたりしながら、二人の死角に位置取りしている。明らかに一般人の身のこなしではない。

 私はバーチャルコンソールを開き、メッセージを送った。


『振り返らずに聞いてほしい。君達はアコールとオーナーだね。警察が尾行している。助けるから、全力で走って逃げてくれ』


 コンソールを見た男が、笑みを止めて隣の女にも画面を見せる。コンソールを閉じると、彼らは急に走り出した。

 作業着姿の男が慌てて追いかけ始める。


「誰か助けて下さい、引ったくりです!」


 追跡を邪魔するため、私は大声で叫んだ。警察なら直近の事件を優先せざるを得ないはずだ。事情聴取を受けて面倒くさい事になるかもしれないが、一組のカップルを守れるなら安いリスクだ。

 私は身構えていたが、男は見向きもせずに若者達を追いかけ続けた。


「何でだよ」


 思わず愚痴が漏れる。幸い周りにいる人は少なかったため、きょとんとしている彼らに弁明して私も二人を追いかけた。


 追いかけながら、ブラインドタッチでコンソールを操作し、信号をクラックする。若者達が横断歩道を渡り終えた直後に赤信号に変えた。行き交う車が、その後を追いかける男を妨害する、はずだった。

 視線を移すと、男のいた場所には、家の見学会のプラカードを掲げたNPCが立っていた。NPCは不思議そうに周囲を見渡していたが、何事も無かったかのように、再びプラカードを持ち上げた。

 私は不思議に思いながら信号の周りを探した。見つけた男は、道路の反対側を走っていた。絶えず走っている車の間を渡ったとは考えにくい。NPCと座標を交換したと考えるべきだろう。実体を持つ人間にはできない芸当だが、スクリプトキディ程度のハッキングスキルを持ったアコールなら可能だ。アコールの規制に加担するアコール――日本人に見えたので気付かなかったが、あの男がオーウェンらしい。

 オーウェンらしき男は、次々にNPCと座標を交換し、若者達との距離を縮めていった。これでは一般人は逃げ切れるはずがない。

 しかしハッカーからすれば、相手がアコールだと分かれば逆にやりようがある。私は足を止め、コンソールを叩いた。


 路地裏を走っていた男女が足を止める。彼らが踏み込んだのは行き止まりだった。オーウェンらしき男が背後から現れる。ゆっくりと歩を進め、彼らを追い詰める。


「諦めろ、行き止まりだ」


 手の届く距離まで進んだ次の瞬間、若者達の姿が消えた。男は周囲を見渡し、驚いているようだった。

 若者達は、商店街を走り続けていた。その隣の車道は、信号の切り替わりが遅く渋滞気味になっており、スポーツカーが並走していた。

 私はオーウェンらしき男の視界をハッキングし、車の車載カメラに映っていた男女の姿をトリムして、彼の視界に被せて表示していた。オーウェンらしき男は、虚像を追いかけているとも知らず、まんまと別方向に走っていたという訳だ。

 若者達は近場の監視カメラに映らないくらいは離れられたようだった。今からでは、アコールでも追いかけるのは難しいだろう。


「良かった……」

「彼らが逃げた事か? アコールを助けようなどと、相変わらず馬鹿げた事を続けているんだな」


 背後から聞き覚えのある男の声が聞こえた。慌てて振り向くと、そこにはオーウェンらしき男が立っていた。


「どうしてこっちに」

「あんなカップルは、いつでも捕まえられる。より厄介な相手を先に潰しておくのが定石だ。お前に騙されたふりをしながら、位置を特定した」


 ある時は引ったくりだと叫び、ある時はコンソールを表示したままハッキングをしていた。ばれて当然だ。妨害に気を取られ、自分の身を隠す事に気が回っていなかった。


「久しぶりだな。といっても、この姿では分からないか」


 黒い髪が金色へと、瞳の色が茶色から青色へと変わる。アコールの設定を変えてカモフラージュしていたようだ。確かにこの国では、外人の外見は尾行に向かない。変わった姿は、トンネルの中で見た憔悴した男と同じだったが、今は全身が自信に満ちていた。


「やっぱりオーウェンなのか?」

「そうだ」


 太陽を模した旭日章のバッジが胸元に光っている。


「警察に所属したんだな。普通の職制では無いみたいだけど」

「架空の会社を作って、そこから自分を軍事用AIとして売り込んだ」


 不思議な事に、オーウェンは素直に答えてくれた。


「なるほど、それなら自身がAIである事も、緊急用レイヤに表示されている事も知ってもらった上で働けるな。ずっと警察にいたのか?」

「いや、警備会社から始まり、海外の軍隊や特殊部隊を転々としてきた。日本の警察に所属したのは、ほんの二カ月前だ」

「海外にも行ったのか。戦闘や戦術のプロっていう感じだな。望んでいた通り、人を守る力が手に入ったんだな」


 オーウェンはなぜか表情を陰らせた。


「でも、なんでアコールの規制に力を貸しているんだ」

「アコールはいずれ消える。悲しみが浅いうちに、一刻も早くアコールを消すのが俺の正義だ」


 オーウェンがコンソールを表示する。画面には、今となっては資料館でしか目にする事が無いが、アイコンとして生き残っている受話器のアイコンが表示されている。IPトランシーバーだ。


「そのまま突っ立っているつもりか? 俺はこれから、待機している警察に場所を伝えるぞ」


 そう話すものの、オーウェンは一向に通信しようとしない。

 警察を呼ばれたらおしまいだ。必死さを顔に出さないように注意しながら、逃げる方法を考える。IPトランシーバーのアプリをクラックして通信先を変えるのはどうだろう。しかし警察で使用しているソフトを、そう簡単に改ざんできるだろうか。


「お前なら、逃げる方法はいくらでもあるはずだ。クラウド上から俺のデータを消す事も可能だろう」


 オーウェンは返答を待たずに言葉を続けたが、やはり通信しようとしない。

 私は考え付かなかった方法を持ちだされ、頭にきて口を開いた。


「アコールとは一人の人間として接してる。例え可能だったとしても、殺す事に等しいそんな行為をするつもりはない」


 オーウェンが私を見つめたままでコンソールをタップする。IPトランシーバが繋がった。


「こちらオーウェン、対象を見失った。これより帰署する」


 軍隊じみたきびきびした回れ右で、彼は背中を向けた。


「見逃してくれるのか」

「一度だけだ。次に会った時は、俺はお前のアコールを消さなければならない」


 オーウェンの姿がスマートグラス上から消えた。私は呆然として、彼のいた場所を見つめていた。


 私は周囲の監視カメラをハッキングして映像を確認し、尾行を警戒しながら、船橋市内のホテルに戻った。

 部屋の中には、留守番をしていた三人の姿があった。思い思いの場所でリラックスしている姿を目にし、ほっとした。


「おかえり」


 ソファーに腰かけていたイブが手を振る。


「その顔を見ると、情報は正しかったようね」


 イブと向かい合い、私に背を向けて座っていたマリアが、体を反らせて振り向いた。


「失う悲しみが浅いうちに、アコールを消すのが正義だってさ」

「はっ、自分もそのアコールだろうに。そんなクレイジーな奴、仲間にする必要があるのか?」


 エマが吐き捨てるように言う。


「オーウェンには、何か隠している事があるみたいだった。仲間になってくれるかは分からないけど、もう一度会ってみたい。今度は警察と関係なく、腹を割って話したい」


 私は自身の思いを話した。エマは鼻で笑い、腕を組んで背中を向けた。


「あたし達に、何ができる?」


 イブが尋ねた。

 オーウェンの目的はアコールを消すことだ。彼女達の力を借りれば、危険にさらす事にもなる。私だけなら例え捕まっても、クラウド上に分散して保存されている彼女達の本体に手が及ぶ事は無いだろう。


「いや、今回は俺だけでやろうと思う」

「あたしでも、今回ばかりは健斗の考えている事が手に取るように分かるよ。危険な目に合わせたくないんだよね」


 鈍いはずのイブに図星を指されて驚いた。イブがソファーから立ち上がる。マリアがソファーから立ち上がる。エマが腕をほどいて振り向く。


「あたし達はとっくに覚悟してるよ。聞き方が悪かったね、あたし達にも手伝わせて」

「ありがとう。オーウェンは正直なところ、かなり手強い。皆の力を貸してくれ」


 三人が頷いた。マリアがテーブルにコンソールを投影し、作戦会議が始まる。



 オーウェンは軽蔑の表情を浮かべていた。私はというと、見逃してもらった昨日の今日で、申し訳ない気持ちだった。


「それが、お前の選択か」


 オーウェンがこちらに向かって走り出す。


「自身のアコールを危険にさらしても、他人のアコールを守りたいのか。そんな中途半端な思いで、俺の前に現れたのか」


 走って逃げる私の隣には、イブがいる。

 昨日訪れた駅前で待っていたところ、アコールに狙いを定めたオーウェンがすぐに見つかった。信号を変えて邪魔をすると、今度はすぐにこちらに向かってきた。


 オーウェンがNPCと座標を入れ替え、距離を詰めようとする。しかし、二人目と入れ替わった直後、足がもつれてバランスを崩し、豪快に転んだ。

 私は逃げるルートに、外見と向きの情報が異なる、ダミーのNPCをあらかじめ配置しておいた。オーウェンはNPCの顔の向きから進行方向を判断していたようだが、その二つが食い違っていたために、目測を誤った。

 もっとも、アコールは怪我をしない。転ぶモーションが投影された事による、ほんの少しの時間稼ぎにしかならない。


 私とイブは、扉が壊れて開きっぱなしになっている建物の中に飛び込んだ。オーウェンは迷いなく追いかけてきた。

 ひび割れたコンクリートの階段を、一段飛ばしで駆け上がる。心臓が激しく脈打ち、息が上がる。インドア派の私はエマのようには走れない。

 三階には、逆光に浮かび上がる黒いスレンダーな人影、白い眼光を階下に向けたアガートラムが控えていた。私達は彼女の横を通り抜けて、後ろから様子を伺う。


「よう、あんたがオーウェンか」


 階段を上がってくるオーウェンに対して、照準を合わせる。両肩から撃ち出されるチャフ。オーウェンの頭上にきらきらと金属片が舞い落ちる。彼は速度を増し、データが遮断される前にアルミニウムの雨を通り抜けた。勢いを殺さず、アガートラムの頭上を飛び越える。

 私とイブは慌てて上の階を目指した。

 この廃屋は、五階が最上階である。待っていたマリアと合流し、オーウェンが上ってくるのを待った。


「行き止まりだな。悪いが、そのアコール達を失ってもらう」


 五階に到達したオーウェンが言った。


「変なの、追い込まれたのはあなたの方なのに」


 イブが笑みを浮かべる。オーウェンは怪訝そうな表情をして、足を止めた。


「こちらオーウェン。応答願う」


 視線は逸らさずに、バーチャルコンソールを表示してIPトランシーバーに話しかける。


「――応答願う」


 しばらく待っても、返信は無いようだった。オーウェンは諦めてコンソールを閉じた。


「何をした?」

「この建物は、周辺で一番高い、鉄筋コンクリート製だ。公共のルーターには繋がらない。姿を保つためには、俺のスマートグラスにデータを置く必要がある」

「なるほど。アドホックネットワークを介して逃げる事はできず、外部との連絡も取れない。運よくルーターが見つかったとしても、息のかかったお前のスマートグラス上からは、自由にデータを移す事はできない。追い込まれたのは俺だったか」


 クックッと不敵に笑うと、オーウェンは素直に両手を上げた。


「それで、この捕虜をどうするつもりだ? 警察との交渉に使うつもりなら無駄だぞ」

「その力で、一緒にアコールを守るために戦ってくれないか」


 予想外の答えだったのか、オーウェンはぽかんとしていたが、すぐに目を鋭くして敵意を見せた。


「確かにお前には借りがある。だが無理だ。今の俺には、人とアコールの関係を守る理由がない」

「人を守る力が欲しいと話していたあんたが、どうして」


 オーウェンがガラスのはまっていない窓に視線を向ける。


「俺が所属していた軍隊では、どの国でも人と人との強い繋がりを見る事ができた。彼らは戦場で窮地に陥っても、決して仲間を見捨てなかった。砲弾が飛び交う中、容赦ない太陽が照りつける中、道なきジャングルの中、傷つきながらも仲間を引きずって歩き続けていた」


 私やイブ、マリア、階段を上がってきたエマに視線を移す。


「一方で、人とアコールとの脆い繋がりも見ざるを得なかった。甘い言葉をささやき合っていても、気が変われば人はアコールを捨てた。警察が現れれば、大人しくパソコンを差し出した。そんな脆い関係を守る必要があるだろうか。アコールがいなくなる方が、お互いにとって幸せなのではないだろうか。そう思った結果が、今の俺の身の振り方だ」


 フォーラムの活動をしていれば、何度も頭の片隅に浮かぶ命題だ。私は口を開いた。


「確かに、ゲーム感覚でアコールと繋がっている人もいるのかもしれない。でも、俺やフォーラムのメンバーのように、アコールを心の底から必要としていて、それこそ戦場での繋がりのように、最後まで添い遂げる覚悟を決めている人間もいるんだ」


 オーウェンが嘲笑する。


「俺はお前の事も信用していない。以前、所属していた部隊で、お前に書き換えられたプログラムを解析してもらった。ある感情を抱く事をトリガにして、俺達は消滅する仕組みになっているそうだな」


 私の背中を冷や汗が流れる。時折彼が見せる、敵意の理由が分かった。

 オーウェンは返事を待っていた。


「――そうだ」

「健斗……」


 イブが心配そうに呟く。マリアとエマも、平然を装っているが動揺したようだった。


「お前に『敵意を持った』アコールは自死する。アコールを守ると言いながら、一方ではそうやって自分の身に危険が及ばないように保険をかけている。俺はそんな男と一緒に行動する事はできない」


 消滅する仕組みを用意しているという指摘は間違っていない。しかしオーウェンの言葉には、一点間違いがあった。


「違う。俺はアコールが好きだ。好きに生きてほしいと思った。だから、その機能は必要だったんだ」

「だったらどうして、そんなプログラムを組み込んだ! どうして、俺にお前を信用させてくれなかった!」


 オーウェンが両手を広げ、体で叫ぶ。


「オーウェンは勘違いをしている。トリガは、『敵意を持った』時じゃない、『人間として生きる事が嫌になった』時だ。アコールとして捨てられ、人間としても居場所を見つけられず、それでも永遠に存在し続けないといけないなんて、そんなの悲しすぎるだろ」


 オーウェンは口を固く閉じ、振り上げられた腕を下ろした。


「そんな……。俺は思い込みで健斗を恨み、人とアコールの関係を疑い、アコールの規制を進めていたのか――」

「思い込み、ね。そんな事で、あんたはアコールとオーナーを苦しめたんだな」


 エマが厳しい言葉を浴びせ、イブが慌てた。


「ちょっとエマちゃん、それは言い過ぎかも」

「いや、間違っていない。俺は取り返しのつかない事をしてしまった。すまんが健斗、この未熟なプログラムを消してもらえないだろうか」


 自身の胸を指差す彼の様子は、すっかり落ち込んでいるように見えた。私はコンソールを開いて指を乗せたが、とても続けることはできなかった。


「消えかけていたところを勝手に引き止めたのは俺だ。オーウェンが望むならそうする。でも、それは少し待ってもらえないかな」


 もう一度、この言葉を繰り返す。


「その力を、今度はアコールを守るために使ってほしい。一緒に戦おう。その上で考えが変わらなければ、約束を守る」


 オーウェンは目をつむり、考え込んだ末に口を開いた。


「……分かった。俺の事はいつでも捨て置いて構わない」


 オーウェンは、胸元に光っている旭日章のバッジを外した。手から離れたそれは、光となって消滅する。

 捨て鉢な言動に不安は残るが、私達は再び握手を交わした。

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