2-4. 衝突する自我(前編)

 開いた集中治療室の自動ドアから、マリアと医師が進み出る。ベンチに座って待っていたイブとエマが立ち上がり、足早に駆け寄った。


「健斗は?」


 胸に手を当てたイブが尋ねる。マリアは集中治療室の中を親指で指した。


 健斗は人工呼吸器を口につけて、ベッドに横たわっていた。血の気が失せ、顔色は白い。腕は点滴に繋がれている。

 ドミニクとミリアムが立ち去った後、彼は救急車に運び込まれて最寄りの警察病院に送られた。状態が悪く、生物兵器に感染している可能性もあったため、到着するや否や隔離された手術室へと運ばれた。さらに、病原体の特定のために、マリアも医療チームに加わった。


「峠は越えたけど、危険な状態が続いているわ」


 マリアがようやく健斗の容体を答えた。


「ミリアムに何をされたの?」

「毒を吸い込まされたみたいね」


 イブの問いに対して、マリアが淡々と答える。


「マリアの作った抗菌薬で治せるよな」


 続けざまにエマが尋ねる。


「無理ね。健斗が吸ったのは、生物兵器とは違う即効性の毒だから。生理食塩水で進行を遅らせているけど、こうしている間にも徐々に体は蝕まれているわ」

「天才なんだろ、なんとかしろよ!」


 エマが胸元を掴む。マリアは踏み止まり、間に入って止めようとしたイブを制した。


「落ち着きなさい。抗菌薬は効かないけれど、毒の種類が分かれば解毒剤を調合できるわ」

「そうか、健斗の毒を解析すれば分かるんだな?」


 エマの手が離れ、マリアは襟を直しながら続きを話した。


「だから落ち着きなさいって。健斗に使われたものは呼吸器から吸収されてしまって、解析には使えないの」

「つまり、使用前の毒を手に入れるか、毒の開発者を取っちめればいい訳だ」


 丁度、集中治療室に入ってきたオーウェンが言った。


「この大変な時に、どこ行ってたんだよ」


 エマの憤りは、立て続けにオーウェンへと向かっていた。健斗の安全を保証するという約束を破った、謝罪の言葉は既に聞いていたが、彼女の中にはまだ、もやもやしたものが残っていた。


「マリアに頼まれた調べ物をな。良い結果と悪い結果がある」

「酒々井支部の研究施設はどうだった?」

「それは悪い結果だ」


 オーウェンは言いにくそうに言葉を切った。


「――感染研が、研究施設で見つかった検体の同定検査を行ったが、毒物は無かったそうだ」

「そう。何としてもミリアムを捕まえるしかない、か」


 マリアが唇を噛んで、ようやく感情を見せた。


「そちらは良い結果だ。アメリカの軍事衛星を借りて、逃げ込んだ施設を割り出した」

「アガートラムを追いかけたの? そんな精度のいい衛星を持っていたのね」

「精度はいいが、それでも人間のサイズを追いかけるのは難しいだろうな。今回は、でかい図体をしていたのが幸いした」


 オーウェンの答えを聞いて、三人はぽんと手を打った。彼らの脳裏には軍用モデルの姿が浮かんでいた。


「車を手配してある。向かいながら話そう」


 指にひっかけた車のキーを見せ、オーウェンは踵を返した。


「私はここで健斗を見てるわ。イブも、いつまでもそんな顔してないで。頼んだわよ」

「うん、よろしく。待っててね、健斗」


 イブとエマがベッドから離れた。残された時間は少ない。三人は病院を後にし、ミリアムがいると思われる場所へ向かった。


 イブとオーウェン、第一世代アガートラム改に乗り換えたエマが、アコーリベラルの富里支部の前に立つ。もともと役所だった建物は改造され、窓やドアは鉄板で覆われている。車寄せの屋根がせり出した表玄関には、布の被せられた像が置かれている。

 武装したアコールとオーナーが、続々と玄関から出てきた。生物兵器使用時の混乱に乗じて手に入れた、公的機関の拳銃や小銃が手に握られている。

 彼らの最後尾から、賢そうな黒い短髪の男が現れた。酒々井支部でイブの説得を試みていた男である。彼だけは武器を持っていなかった。


「目的は、ミリアムの使った毒だな?」


 銃器を構えたアコールとオーナーの後ろから、男が声を張り上げた。


「あぁ、大人しくよこせ」


 アガートラム改が手のひらを上に向けて突き出した。


「生憎と、あれは彼女が趣味で作ったもので、同じ組成の毒は持っていない」

「それならミリアムをよこせ」

「まぁ、そうなるだろうな。我々もそれには応じられない。交渉は決裂だ」


 男が踵を返して背中を向けた。


「あ、こら」


 駆け寄ろうとしたアガートラム改の足元を、銃弾が抉る。玄関の前に並んだアコールとオーナーが小銃で狙っている。


「そのアガートラムは、速度を重視したものだな。拠点防衛を目的としたドミニクのアガートラムとは違い、余計な装甲は使わず、軽量な素材で作られている。つまりその体は、こんな銃器による攻撃でも人間同様に致命傷を受ける」


 いくら銃弾を避けるスペックがあっても、これだけの人数が一斉に撃てば、流れ弾が当たらないとも限らない。アガートラム改は近づけなかった。


「大人しく立ち去れ。戦術に長けたアコールがいると聞いていたが、正面から攻めてくるとは、実に愚かで残念だった」


 男が建物内に戻ろうとした、次の瞬間だった。


「――そうか、今度は期待に添えるよう努力しよう」


 浴びせられた声に反応し、男が天を仰ぐ。

 屋根の上に、小銃を構えたオーウェンが立っていた。放たれた銃弾が、玄関前に並んだアコールとオーナーに浴びせられる。振り向いたアコールの胸を、アガートラム改の拳が貫く。そのまま力任せに腕が回され、周囲のオーナーが薙ぎ払われる。触れるものを吹き飛ばす銀色の嵐に照準を合わせようとしたオーナーが、背後から銃弾を受けて崩れ落ちる。

 挟撃され混乱した私兵団は、あっという間に全滅した。男は真っ先に建物の中に逃げ込んでいた。


「イブの用意したデコイに、うまく騙されたな」


 エマが屋根の上のオーウェンに向かって話しかけた。彼女の背後に立っていたイブとオーウェンは、一歩も動いていなかった。アバターが崩れ落ち、マネキンのような、のっぺりした顔の二体のアガートラムが露わになった。


「オーウェンの言った通り、あいつら、俺に特化した守りをしてきた」

「アコーリベラルに頭の切れるアコールがいるのは、佐倉での戦いから気付いていた。彼ならきっと、エマを重要視して玄関に戦力の大半を置く。そうなれば建物内の警備が手薄になるのは明白だった」


 オーウェンとイブは、下水口を通って建物に近づき、倉庫の窓の鉄板を外して先に侵入していた。アコーリベラルが役所を流用していたのも攻撃を許す原因になった。侵入に必要だった施工図は、県庁から容易に入手できた。


「明白って、そうか? 俺には理解できそうにないな」

「それしか能が無くてな。そしてお前の任務は、軍用モデルの相手だ。イブを追うぞ」


 アガートラム改が先頭に立ち、建物内へと足を踏み入れた。


 一方その頃、富里支部の二階の廊下を歩いていたミリアムは、来訪者に気付いて足を止めた。


「アコールだけで来るとは予想外だったわ。機械相手に毒は効かないし、大人しく帰ろうかしら」


 頭を掻きながら呟く。


「悪いけど、今日は逃がすつもりはないから。健斗に使った毒の種類を教えて」


 正面に立ち塞がったイブが話しかける。


「嫌よ。譲二の邪魔になる男には、消えてもらうわ」

「それなら、強引な方法を取らせてもらうね」


 イブが近づく。ミリアムの口元には、隠しきれない不敵な笑みが浮かんでいた。

 イブは横から飛来した扉に打たれ、反対側の部屋に押し出された。鳴り響く爆発音。廊下の床上を炎が走る。


「馬鹿ね。強引というのは、こういう方法の事を言うのよ」


 ミリアムの手元のバーチャルコンソールには、多数のボタンが表示されていた。それぞれに爆弾の番号が記載されている。

 彼女が得意とするのは、微生物学と有機化学。生物兵器を作るだけでなく、毒物や爆薬を作る事も容易い。


「奪った建物といっても、一応支部でしょ。爆弾なんて仕掛けるかな、普通……」


 ドアの無くなった部屋から、イブが被った塵を払いながら姿を現した。枠に手をかけて方向を変え、再びミリアムへと近づく。

 ミリアムは再びコンソール上のボタンを押そうとしたが、思いとどまり指を止めた。


「おっと、危ない危ない。いかにもハッカーがやりそうな手段ね」


 ミリアムはコンソールをタップしてボタンの配置を変えた。しかし、彼女の押そうとしていたボタンだけは、位置が変わっていなかった。コンソールがクラックされ、ボタンの画像が被せて表示されていた事が分かる。気付かなければ、間違えて別の場所で起爆してしまうところだった。

 イブは見破られた事に対して悔しそうな素振りを見せず、コンソールを十指で叩いて次のハッキングを試みているようだった。ミリアムはそれを見ると、背後の部屋に逃げ込んだ。長机と椅子が等間隔で並べられ、前方に時代遅れのホワイトボードが置かれた講堂である。


 イブが周囲を警戒しながらも立ち入ってくるのを、入口から一番離れた壁際、ホワイトボードの前に立っているミリアムは見た。


「逃げる場所を間違えたんじゃない? こんな狭い部屋じゃ、爆弾も使えないでしょ」

「そうかもね」


 イブが机の間を通って近づいてくるのを確認し、ミリアムはコンソールのボタンを押した。

 炎の槍が壁を突き抜ける。講堂を横切り机や椅子を吹き飛ばし、反対側の壁をも焦がした。部屋内にぶわっと熱気が広がった。


 ミリアムが使用したのは、指向性爆薬。モンロー効果を利用したこの爆弾は、端部を円錐状の金属板にする事で、軸上に爆発の衝撃波を集中させ、一方向に対して火力を高める。狭い部屋では爆弾を使えないであろうという、敵の油断を利用した彼女の切り札だった。

 粉々に砕け散ったアガートラムが降り注いだ。ミリアムの足元で、人工皮膚が焼け落ち銀色の金属表面が露わになった、頭部が転がった。


「譲二を裏切るから、そういう最期を迎えるのよ」


 冷たい視線を残骸に向けて呟いた。

 その残骸――頭部がその場でぐるりと転がり、黒いレンズをミリアムに向けた。慌てて後ろに飛び退いたミリアムが、尻でホワイトボードを倒した。


「ひどいなぁ。同じルーターを使い合ったアコールの仲なのに」


 焦げて歯の剥き出しになった口が、煤を吐き出しながら喋る。


「なんで、そんな状態で喋れるのよ……」


 ミリアムが頭部を踏み付けようとすると、触れる前に塵になって消えた。風に乗って散らばる。

 講堂の中央に、塵が渦を巻いて集まる。頭と手足が密度を増し、人の形を作り上げる。銀色の骨格に変わり、皮膚が生まれ、毛髪と服が現れたそれは、イブと同じ外見をしていた。

 ミリアムが再びコンソール上のボタンを押すが、何も起きない。


「爆発しなさいよ! 早く!」


 部屋が暗くなった事に気付き、指を止めて辺りを見渡した。

 白い壁が虫に食われたように端から焼けて、黒く浸食されていく。彼女が離れた直後、壁は崩れて倒れ、真っ暗な深淵に向かって落ちていった。底は無いのか、落下音はいつまで経っても聞こえない。支えを失ったホワイトボードも、ゆっくり回転しながら落ちていく。

 いつの間にか天井は無く、一帯は闇の世界になっていた。フローリングの床も、端から焼けて崩れ落ちる。ミリアムが追い込まれ、机を押しのけて部屋の中央へと進む。ばらばらと離れたところから机や椅子が穴へと落ちていく。

 いつの間にか、イブらしき女の姿は無かった。


「何よこれ、どうなってるの?!」


 ミリアムがパニック状態に陥る。次の瞬間、再び炎の槍が講堂を貫いた。


 仰向けになった彼女は、天井を見つめていた。闇の世界は、いつの間にか静寂を取り戻し、元の講堂に戻っていた。唯一、焼けた壁と熱気だけは消えていなかった。


「……あんたがやったの?」


 初めて講堂に立ち入ったイブに対して話しかける。


「うん。コンソールのクラックに気付いて、いい気になっていたみたいだけど、あたしがあんなイタズラ程度しかできないと思ってた? 吹き飛ばされた部屋の中で、とっくに視覚と聴覚をクラックしてるよ」


 イブが見下ろすが、ミリアムは起き上がれない。膝から先が砕け、溶けた樹脂部品が露わになっている。彼女の切り札である、指向性爆薬によって足を吹き飛ばされていた。

 ミリアムがコンソールを表示した。爆発はアガートラムの機能にも影響を及ぼしているようで、ジェスチャーを行う手は震えていた。


「逃げようとしても無駄だよ。近くのルーターは全てクラックしておいたから」


 コンソールをその場に放棄し、地面を這って逃げようとするミリアムの前に、イブが足を踏み下ろした。


「もう一度言うよ、健斗に使った毒の種類を教えて」



 一階の廊下の奥に立ち塞がるのは、四足の銀の巨人。決して天井は低くないのだが、頭がつかえている。搭乗するドミニクが言葉を発する。


「来たね、旧式」


 正面ドアの片側を壊したアガートラム改が、廊下へと足を踏み入れた。


「ドミニクか。ダイエットした方がいいんじゃないか、ずいぶん窮屈そうだ」

「うるさいな、動く必要が無いんだよ」


 軍用モデルが巨大なライフルを構えた。銃身は長く黒い。上面には巨大な円筒形のコンデンサが六個並んでおり、側面からは六本の太いケーブルが垂れ下がっている。

 アガートラム改は射線を避けて走り出した。エマは対物ライフルか、榴弾砲と踏んでいた。火力は凄まじいが、その重量のために人間に扱わせても、動く的を狙うのは難しい。そのような火器でも、アガートラムなら正確無比に銃口を合わせることができる。

 ――とはいえ、射出される弾丸が見える限り、彼女なら避けられる。

 直立した姿勢から踏み出した一歩、前傾で蹴り出した二歩、あっという間に半分まで距離を詰めた。


 廊下に赤い光の束が浮かび上がり、直ちに消えた。それは静かな攻撃だった。目の錯覚ではない事を誇示するかのように、残された正面ドアに貼り付けられた鉄の板には、歪んだ円い穴が開いていた。その上部には煤が放射状に吹き付けられていた。

 アガートラム改はバランスを崩して、足を止めた。軽くなった右腕を見る。肘から先が溶け落ちて無くなっていた。


「え。はぁ――?!」


 痛みは無いが、エマは思わず腕を押さえていた。

 軍用モデルのライフルから放たれたのは、高エネルギーのレーザーだった。秒速三十万キロの光速で対象を破壊可能な、最強の指向性エネルギー兵器である。


「光に比べれば、お前なんて止まってるのと同じなんだよ」


 ドミニクは上機嫌に言い放ちながら、再び銃口を合わせた。アガートラム改は堪らず、廊下に立つ柱の陰に隠れた。


「この前は後れを取ったけど、軍用モデルの本来の用途は拠点防衛。これが本当の姿だ」


 アガートラム改が、柱の陰から飛び出す。垂直に壁を蹴った踏み込みは、地面を走るのとは違って力の損失が無い。一歩目から最高速度に達する。

 ライフルから放たれた赤い光線が、壁から壁を薙ぎ払う。溶融したコンクリートから煙が立ち上る。

 勢いを殺せず、転がりながら着地したのは、廊下の反対側の柱の陰だった。レーザーは銀の背中のすぐ手前まで迫っていた。虚を突いても反対側に移動するのが精一杯で、とても前には進めない。


「レーザーの弱点は、ブルーミング現象による屈折と、光学的障害による減衰か」


 機械技術に精通したエマは、直ちに原理を頭に思い浮かべた。


「でもこの近距離じゃ、屈折による照準のずれも、減衰による火力の低下も見込めないよな。いや、そうでもないか――」


 肩に左手を当てる。アガートラム改の唯一の武装、唯一の対抗できる可能性がある武装を撫でる。


「チャンスは一度、やるしかないな」


 柱から銀色の体が飛び出した。壁を焦がした赤い光が、背後から追う。


 次の瞬間、光は四方に散り、天井、壁、床のあちこちを照らした。

 アガートラム改の周囲に銀色の花吹雪が舞い落ち、きらきらと輝いている。唯一の武装、チャフ。ばら撒かれた金属片によってレーザーはエネルギーを分散され、破壊に必要なだけの熱を焦点に生み出せない。


 二歩目を踏み出し、チャフの漂う空域を抜ける。ドミニクはレーザーを防がれる予想外の展開に混乱していたが、直ちにレーザーの照準を合わせた。薙がれた赤い光の束が、アガートラム改の脚を切り裂く。くの字をした銀の部品が宙を舞う。

 残った足で踏み込んだ、三歩――。


 アガートラム改は、機能を停止していた。軍用モデルに抱きつくように、体を預けている。

 隻腕は、頑丈な装甲を貫いていた。胴体の中央部、最も安全な位置に設置されたルーターを、銀の手が引き抜いていた。軍用モデルもまた、機能を停止していた。

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