1-9. 瞳の中のシンギュラリティ(前編)

「それではアウトロマンサーの復活を祝いまして――」


 メンバー全員の視線の先で、マリアがグラスを掲げる。


「乾杯!」


 グラスのぶつかる音が響く。『祝・アウトロマンサー復活』と書かれた横幕や、短冊を貼り合わせた飾り、豪華な料理の載った机はMRだが、グラスに注がれたシャンパンだけは各自が用意した実体だ。フルーティーで爽やかな液体が口の中に広がり、炭酸が弾けた。

 拍手が四方から巻き起こった。

 陸の裏切りによって、メンバーは半分以下になってしまった。しかし残ったメンバーは、フォーラムの再開を信じて情報を集め続け、マリアが掲示板に残した書き込みを手掛かりにして、再開するや否やこうして集まってくれた。


「それで、新しいメンバーの紹介はしてもらえるの?」


 沙織がエマとオーウェンの顔を見比べながら私に尋ねてきた。二人は借りてきた猫のように、私の後ろで縮こまっていた。


「この女の子は――」

「エマだ。健斗とは、そうだな。古い友人みたいなもんだ」


 エマが頬を掻きながら答えた。


「よろしく、私は沙織。南関東地区の代表よ。失礼だけど、どうしても聞かせて。その体はアバター? 現実世界でもそんなにスタイルいいの?」

「アバター、ではないな」


 困ったように私の方をちらちらと見てくるが、普段見られない姿が面白いので助け船は出さない。


「すごーい、ミーティングが終わったら、いろいろ教えて。ぜひ、ぜひ!」


 沙織がぐいぐいと顔を寄せる。ぎこちなく頷くエマの顔は引きつっていた。

 『後で覚えていろよ』と、短いが、これ以上無いくらいに恨みのこもった個人宛のメールが届いた。このままパーティーが終わらないことを願う。


「あなたは?」

「オーウェンだ。俺も健斗の古い友人みたいなものだ」


 オーウェンが答える。それと同時に、フォーラム内がしんと静かになった。お祭り騒ぎだった雰囲気が一変し、緊張を帯びていた。


「オーウェンって、あの千葉警察署のアコールキラーか。なんでアウトロマンサーにいるんだ?」


 皆が聞きたくても聞けなかった質問を、蓮があっさりと尋ねた。


「一緒に活動してくれる事になった。今は仲間だ。いろいろ思うところもあるだろうけど、目的に向けて一緒にやっていこう」


 問いには私が答えた。首を傾げる人、目を伏せる人、拍手をしようとするが周りの反応を見て止める人、消極的な反応が多く見られた。


「心強いけど、なぁ」


 蓮が見まわしながら同意を求める。


「やっぱり俺は――」

「はいはい、打ち上げはその辺にして、作戦の話をしましょう」


 口を開いたオーウェンを遮り、マリアが手を叩いた。


「この間の不意打ちで、皆も目が覚めたでしょう。政府はあらゆる手を使ってアコールの規制を進めようとしてる。それに対抗するためには、今までのやり方ではぬるい。どうしてもテロリズムやクーデターに近い行動を起こす必要があるわ。信念を持って戦うつもりだけれど、時に人を傷つける事もあるでしょう。時にかつての敵と一緒に戦う必要もあるでしょう。ここから先は、覚悟のある人だけ一緒に戦って頂戴」

「今さら何だってんだ。リリーと暮らし始めた時から、俺はとっくに覚悟を決めてるよ」


 蓮が大きな声を上げた。隣に立っていたアコールのリリーが頷く。


「うん、続きを聞かせて」


 沙織もマリアの前に立ち、皆の参加を促す。続々とメンバーがマリアの周りに集まる。退出する者はいなかった。


「ごめんなさい、無用な心配だったようね。作戦名は――、メイルストロム作戦」


 マリアが自身のバーチャルコンソールを広げて、地面に地図を投影する。都内の代表的な無線基地局の位置に赤いマーカーが表示されている。基地局の規模に応じて、マーカーのサイズが異なっていた。


「今回の作戦は、アドホックネットワークの構造を逆手に取っているわ。そこら辺の技術的な話は――任せた」


 マリアが私の肩を叩く。メンバーの目が一斉にこちらに向いた。


「皆も知っている通り、アドホックネットワークは、基地局や端末装置の中継によって自律分散的にネットワークを構築してる。だけど、すべての中継機が同じ階層で繋がっているわけじゃない。グローバルな接続――インターネットに接続するような場合は、最寄りの基地局からデータをダウンロードするようにネットワークがリルートされるんだ。さらにこの基地局は、地域を管轄する、より大きな基地局からデータをダウンロードする」


 小さなマーカーを指していた指を、大きなマーカーへとスライドさせた。


「そして、全てのネットワークの起点になる基地局、すなわち日本で一番大きな基地局が、ここにある」


 東京駅の西南西にある、一際大きなマーカーを指差した。


「永田町にある山王パークタワー基地局だ」



 時刻は十五時。私とイブは正面の自動ドアから、山王パークタワーの中へと立ち入った。大きな窓と白を基調にした内観は、明るく清潔感がある。事務所向けの格式ばった建物かと思いきや、波打つ天井や高い吹き抜けから遊び心も感じる。

 オーウェンの助言に従い、私は着慣れないフォーマルなジャケットを、イブはナチュラルな黒いドレスを身につけてきたが、判断は正しかったようだ。スーツ姿のサラリーマンや、高級なデートを楽しむカップルが多く、いつものラフな格好では浮いていたと思う。

 飲食店がある一階と、レストランがある二十七階は自由に立ち入れる。

 建物の中央、吹き抜けの中に位置するシャトルエレベータに乗り込む。かご内の壁は大理石で作られている。二十七階までは直通で、静かだが高速に、三十秒ほどで到着した。目的の最上階までは、さらにここから十七階分上がらないといけない。

 景色を見ているふりをしながら、壁際へと移動する。人目がない事を確認し、私達は非常階段の扉の中へと体を滑り込ませた。従業員ではないので、エレベータは使えない。



「警備はどうなんだ」


 作戦の概要の説明が終わったところで、蓮が尋ねた。


「チェックしてある。あまりに急で、一週間分しかデータは取っていないがな」


 オーウェンがコンソールを表示し、皆から見えるように向きを変えた。山王パークタワー、そして基地局の外観図と内部の地図が表示されている。


「基地局は山王パークタワーの屋上にあり、最上階の四十四階から階段で上がる必要がある。基地局までは警備は無いと考えていいが、最上階に立ち入る際にテナントのカードキーが必要だ。基地局自体は二十四時間警備されているが、六時と十八時の二交代制。見回りルートは緑色で表示したラインだ。赤色の箇所ではカードキーによる認証が必要で、目的のコントロールルームに到達するまでに二回通過する必要がある」

「よく調べてあるな。こういうところを見せられると、心強いと思ってしまう」


 蓮が唸った。オーウェンは照れ臭そうに顔を逸らしていた。



 息を切らしながら四十四階に到着した。階段に腰かけ、ガラス窓に姿が映らないように注意しながら、ブリーフケースから作業着とノートパソコンを取り出す。まずは作業着に着替える。イブは瞬きする間に、頭巾を被った掃除のおばちゃんスタイルへと変わっていた。


「四十四階に到着。これから開錠作業に入る」


 地上にメッセージを送った。


「了解。変わった事があれば、すぐに報告するように」


 即座にオーウェンからメッセージが届き、ヒアラブルデバイスから声が流れた。オーウェンはマンションに一人残ってフォーラムにログインしており、集まったメンバーと一緒に指示を出す手はずになっている。

 静音インパクトドライバでカードリーダーの周りのネジを緩め、カバーを取り外す。カードリーダーのコネクタを外して、代わりにノートパソコンを繋いだ。

 このカードリーダーの仕様は調査済みである。カードリーダーから磁力線を発し、カードキーに内蔵されたICタグを電磁誘導させて、記憶された情報を読み出す。セキュリティに難がある、数世代前のシステムだ。

 事前にクラックして手に入れたアルゴリズムとデータ構造、テナントの従業員の情報があれば、ノートパソコンから組み込みシステムに直接情報を流し込む事で、カードキーがかざされたと勘違いしてくれる。

 カチリと鍵の音が鳴った。

 音を立てないように扉を開閉し、さも清掃員のように廊下を歩く。オーウェンからもらった地図をスマートグラスに表示しながら、倉庫を経由して屋上と繋がる階段を目指す。


 正面から従業員の男が歩いてきた。自販機で買った帰りか、カップに入った飲み物を持っている。

 私は背中で汗が垂れたのを感じた。男が清掃員全員の顔を知っていたら、見慣れぬ二人組を不審に思うだろうか。清掃員が無愛想に歩き去るのは、悪い印象を残すだろうか。


「こんにちわ」


 元気よく挨拶をすると、従業員は会釈をして歩き去って行った。選択が正解だったと願いたい。

 私達は倉庫の前で足を止めた。


「倉庫の前に着いた」


 エマにメッセージを送った。しばらく待ったが返事はない。手違いがあったのだろうかと、心配になった。

 ドタンバタンと荷物の倒れる音がした後、鍵が回り、引き戸が開いた。

 中から出てきたのは、エマが操縦するアガートラムと、マリアだ。


「あの馬鹿、厳重に梱包しすぎだ」


 エマがアガートラムの中指を立てている。


「無事でよかった。でもその話は後で」


 今回の作戦にアガートラムは必須だが、実体を持つため基地局に連れ込むのは困難だった。そこで、四十四階のテナントの協力を得て、事前にアガートラムを郵送して解決した。マリアはアガートラムのルーターにデータを格納して潜入した。

 通路を曲がった先で、上り階段が見つかった。『関係者以外立ち入り禁止』のプレートがかけられている。人目のない事を確認してから駆け上がった。


 階段室の陰から様子を伺う。

 基地局の前では、二人の警備員が、手を後ろに組んで仁王立ちしていた。腰のホルスターには拳銃が収まっている。重要な施設となれば、さすがに警備はしっかりしていた。


「情報通り、銃を持ってるみたいだ。気を付けろよ」


 私は、やる気満々に腕を回しているアガートラムに話しかけた。


「任せとけ」


 アガートラムが地面を蹴り、基地局の前に飛び出す。

 よく訓練されているようで、一人の警備員はすぐさま取り押さえようと走り出した。しかし、銀色の肌を目にして思考が止まったようだった。

 伸ばされた手は、顔の前で肘を曲げたアガートラムのガードに弾かれた。体のひねりを利用した素早いフック。鉄の拳が側頭部を捉える。鈍い音がし、警備員の体がコンクリートの地面の上を転がった。

 もう一人の警備員が腰の拳銃に手を伸ばす。ホルスターから取り出された銃は、引き金を中心にくるくる回りながら宙を舞った。

 距離を詰めながら放たれた、アガートラムの前蹴りが手ごと弾き飛ばしていた。拳が顎を正面から捉え、警備員は膝をついた後、倒れ込んだ。


「ひゅー、過激ぃ」


 イブが走り出す。見とれていた私とマリアも後を追った。

 途中、倒れていた警備員の首からカードキーを抜き取り、アガートラムの傍に駆け寄った。カードキーをかざすと入口のロックは解除された。


「AIの原則はどこに行ったんだ?」

「知らない。アガートラムの方が手足が長いから、抵触しないんじゃないか。ここは任せろ、気張れよ」


 エマは見張りのため、入口に残る。鉄の手に押され、私達は基地局の中へと踏み込んだ。

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