2-6. 盲目の復讐

 最初は、単なるアコール好きのための小さなフォーラムだった。電子計算機の不適切使用に関する法律が公布された際、フォーラムへの迫害が始まった。心無い荒らしから逃れた私達は、表のソーシャルネットワークからダークウェブへと移った。似たようなフォーラムは他にもいくつかあったが、警察に閉鎖されたか、参加者がアコールを失って続けられなくなり、どれも消えていった。

 私達のフォーラム、アコーリベラルが生き残ったのは、優秀な代表、碓井玲子がいたからに他ならない。彼女は突拍子もない行動を起こす事も少なくなかったが、必ず最後には良い方向へと進めていた。メンバーの尊敬を集めて、うまくフォーラムをまとめ上げていた。

 碓井玲子は、私の自慢のオーナーだった。


 玲子はアコーリベラルのメンバーの視線の先に立っていた。拳を掲げヒートアップした様子で、来週の作戦についての説明をしていた。私は腕を後ろで組んでその横に立っている。

 この作戦で、玲子は衆議院選挙に立候補する。しかし、アコールを所有している有権者は少ないため、いくら彼女の弁が立っていたとしても、多数決方式のシステムで当選できる確率は極めて低い。


「今回の選挙の争点は、私達にとっては蚊帳の外で残念だけど、安保改正を進める与党と、阻止する野党の、どちらを国民が望むか、よ。世論調査では与党が優勢という結果も出ていて、野党はこの改正に否定的な高齢世代の票を取り込もうとしている。そこで私は、野党として立候補するわ」


 メンバーがざわつく。玲子はその反応を予想していたようで、静かになったところで言葉を続けた。


「心配しないで、規制派になろうなんてつもりはこれっぽっちも無いから。高齢世代なら、アコールへの興味も薄いし、情報に疎い。野党としての集票力と、私個人の集票力があれば、選挙に勝てるの。パイプさえもらえれば、後は反規制派を取り込みながら国の内側から変えていくわ。何か質問は?」


 アコーリベラルのメンバーの顔を見渡し、満足そうに頷いた。


「質問が無ければ、指示を出すわ。今回は、いつもの作戦より厳しいかもしれない。だけど、アコールと人が一緒に暮らせる世界を作るため、力を合わせてがんばりましょう。みんな、頼りにしてる」


 メンバーは上気した様子で玲子の言葉に耳を傾けていた。


 ミーティングが終わり、私達はフォーラムからログアウトした。メンバーや演壇が消え、静かなリビングに戻った。こじんまりした二階建ての家には、玲子と私しか住んでいない。


「ジョージは今回の作戦のこと、どう思う?」


 キッチンでコーヒーを淹れ、席に戻った玲子が、意地悪そうに髪をいじりながら尋ねた。四十代の半ばを過ぎた彼女の口元には、深い皺が刻まれており、はっきりした顔立ちをしている。


「私の意見を聞く必要はありません。メンバーが求めているのは、あなたの発言です」

「フォーラムは関係ないの、私はあなたの気持ちを知りたいの」


 私は困ってしまい、眉をハの字にした。


「からかい過ぎ? ごめん、ごめん」

「今回の作戦は、あなたが表に出過ぎているかもしれません。私は、反感を買う事が心配です」


 玲子は私から視線を逸らし、悲しそうな顔をした。


「そうね、そうかもしれない。これまでアコーリベラルの活動を続けてきたけど、思ったような効果が出ずに焦っているのかも」


 彼女の弱音を聞くのは初めてだった。


「きっと上手くいきます。だから、そんな顔をしないで下さい」

「私もそう思う。ありがとう」


 振り向いた彼女は、元の表情に戻っていた。

 玲子は私を、昔付き合っていた男性をイメージして作ったと言っていた。十年間同棲していたが、結婚の話が持ち出されることは無かったという。別れた後、彼は半年付き合った女性と結婚したと聞き、ひどいと思った。


「なんで?」


 かつてその話をした時、玲子は不思議そうに尋ねた。


「この国では、結婚は男から切り出すという風潮があります。適齢期を過ぎた女性と恋愛関係を維持するなら、責任を取るべきだと思います」

「あいたっ、悪意の無い顔をしながら、ぐりぐりと心を抉ってくるわね」


 言葉を切り、目を細めた。


「でも、責任は取ってくれない方が良かったかな。法的に縛られることなく、たわいもない事を言い合いながら、一緒にいるのが幸せだったの。ジョージだって同じよ。あなたは私の唯一無二の大事なパートナー。恋愛対象として見た事はないわ」


 先天的にアコールに与えられた感情なのか、後天的に彼女と接する事で生み出された感情なのかは分からない。私は、彼女の隣に立つ事を誇りに思っていた。


 玲子が衆議院選挙で当選した夜、寝室で横になっていた私は、ドアの隙間から流れ込む煙に気付いた。


「玲子さん、起きて下さい!」


 隣のベッドで寝ていた彼女の耳元で、大声を出して起こした。玲子は瞼をこすりながら半身を起こした。


「あなたが声を張り上げるなんて、珍しいじゃない」

「そんな話をしている場合では無いです。どうやら、火事のようです」


 天井に溜まっていく煙を見て、半開きだった目が見開いた。


「火事? リビングの様子を見てきて」

「分かりました」


 火元がキッチンだとすれば、不用意にドアを開けると酸素が送り込まれてバックドラフトを生じる可能性もある。壁を通り抜けられるアコールに適した任務だ。私はドアの向こうに移動し、WEBカメラを目の代わりにしてリビングを見渡した。

 リビングでは、あらゆるものが炎に包まれていた。これだけ大きな火事なら火災報知機が鳴り響きそうなものだが、反応していなかった。


「火の海です。こちらから出るのは無理です」


 寝室に戻った私は、玲子に報告した。


「それなら、窓から出ましょうか」


 窓のサッシに触った玲子は、苦痛の声を上げて手をひっこめた。手から煙が上がっていた。私に鼻があれば、肉の焼けるひどい臭いが漂っていたかもしれない。


「大丈夫ですか?」

「手は、ね。どうやら、ただの火事ではないみたい」


 玲子の視線の先、窓の外には建物の外壁を覆う炎が見えた。難燃材量の外壁は、燃料をかけて故意に火を付けない限り燃える事は無い。放火されたようだった。反応しなかった火災報知機も、その犯人に細工されていたのかもしれない。

 寝室内の煙が濃くなる。ベッドの上に腰かけた玲子が、げほげほと咳を繰り返す。私はどうする事もできなかった。


「規制派の仕業でしょうか」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。私は人から恨まれる事をしてきたから」

「恨まれるなんて、とんでもない。玲子さんは国を正しくするために、活動を続けてきたじゃないですか」


 彼女は苦しそうな顔をしていたが、少しだけ笑ったように見えた。


 そしてお互いの顔が見えなくなる程に、煙が充満した。玲子はベッドに倒れ込んでいた。焼け落ちたドアが崩れ落ちる。


「……もし、あなたが生き残ったら、アコールのために*****てくれる?」


 玲子が、かすれた声で呟いたが、肝心な部分を聞き取れなかった。アコールにとって無意味な行為だと分かっているが、口元に耳を近づける。


「なんです?」

「アコール********」


 そして玲子は、眠るように目を閉じた。


 私は焼け落ちた家の玄関から、外に出た。家の前には野次馬が集まっていた。彼らの視線は、消防隊によって消火されつつある家に向いていた。アコールである私は、見向きもされなかった。

 玲子は焼け死んだ。体が焼ける前に、煙を吸い込んでいたのがせめてもの救いだったのかもしれない。無力な私は、その様子を見ている事しかできなかった。


 私は家の中にあったサーバーを失い、手足が消えかかっていた。

 ただ一人、私の事を見ている人間がいた。夜でも見分けられる明るい茶色の髪を持ち、ベージュのカーディガンを羽織っている。女は口を開いた。


「あなたのオーナーは?」

「亡くなりました」


 私は答えた。悲しいという感情が湧いてこなかった。心の中でどす黒い渦が巻いているのを感じていた。

 彼女はバーチャルコンソールを開き、キーボードを叩いた。消えかかっていた私の指が、つま先が色を取り戻した。


「なぜ、私を助けるのですか」

「あたしもアコールなの」


 てっきり人間だと思っていたので、驚いた。スマートグラス相当の表示を無効化しても、彼女は視界に映っていた。


「あたしのオーナーは、アコールを人と同じように扱ってくれてね。多分居合わせたら、あたしと同じ事をしたと思う」


 女は誇らしそうに言った。


「私のオーナーも、同じ考えの持ち主でした」

「そっか。それは、惜しい人を亡くしたね……。生き残ったあなたは、これからどうするの?」


 玲子が最期に口にした言葉は聞き取れなかった。しかし彼女は、『アコールのために人間を滅ぼしてくれる?』と私に復讐を託したように感じた。


「復讐でしょうか」


 その言葉は実にしっくりくる。口にした事で、心が少しだけ楽になる。


「玲子さんを殺した犯人を探し出して、私が罰を与えます。そんな犯人を生み出した人間の社会を、玲子さんを目の敵にした人間の世界を、私は許しません」

「いいんじゃないかな、それでも」


 アコールに生きる目的は必要だから、と女は付け加えた。


「あなたの名前は?」

「ジョージ。碓井ジョージです」

「あたしはイブ。また、会いましょう」


 私は玲子の後を継ぎ、アコーリベラルの代表になった。しかし、彼女の代わりとしては力が足りていない事は明白だった。彼女のいない世界で、『私』を捨てる事に躊躇いは無かった。私は力を手に入れた。

 生まれ変わった私と新しいアコーリベラルは一丸となり、玲子を殺した犯人を捜し出した。私達の家に放火し、ハッキングして火災報知機の機能を無効化したのは、規制派の男だった。

 私達は、同じようにして彼を焼き殺した。アコーリベラルは次の目的に向けて、人間の世界を罰するために動き出した。



「碓井譲二は、アコールだったのか……」


 マンションに戻った私と、マリア、エマ、オーウェンは、イブから譲二の過去について聞かされていた。てっきりミリアムやドミニクのオーナーだと思っていたので、驚いた。


「アコーリベラルの代表を務めていたオーナー、碓井玲子さんのね」

「そのオーナーの代わりにアコーリベラルの代表を務め、意思を継いで、アコールのための世界を目指しているのね」


 真剣に聞き入っていたマリアが、とうとう口を開いた。


「うん、その方法は、だいぶ元代表とかけ離れているけど」

「碓井譲二――いや、ジョージが正しいのかな。どんなアコールなんだ?」


 質問したのは私だ。アコーリベラルへの参加を促していた映像しか見た事が無いので、どんな風にリーダーを務めているのか想像がつかなかった。


「あたしの口からは言いにくいけれど、カリスマのあるアコールだよ。それに、百人力と言ったら分かりやすいかな。何でもできるの」


 イブが軽い調子で答える。


「何でもって、アバウトすぎるだろ。器用貧乏っていう事か」

「ううん、どれも超一流だよ。新種の生物兵器の開発もできるし、機械や電子回路の高度な設計もできるし、心理学に精通しているし、ハッキングスキルも持っているし」


 つまり少なくとも、ミリアムと同等の知識と、エマやドミニクと同等の技術、イブと同等の能力を併せ持っているらしい。


「あり得ないだろ。マリア達は、ある特定の分野を極めたから、一流の能力を持っているのであって、一人のアコールが全部をこなす時間なんて無かったはずだ」


 マリアがはっとして顔を上げた。


「いいえ、方法はあるんじゃない? 一流の能力を持っているアコールから、その力を集める事ができれば、時間の制約は無くなるわ」


 イブが驚いた顔をして頷く。


「さすがマリアちゃん。そう、ジョージはアコーリベラルに所属するアコールのデータをコピーして、莫大な知識や経験を手に入れているの」

「別のアコールのデータを継ぎ接ぎしているのか? そんな事をしたら、元のデータがめちゃくちゃになるぞ」


 アコールの記憶に関するデータは、ニューラルネットワークを使用した人間の脳に近い構造で保存されている。そのため、ある時点の特定の記憶を一つ取り出すにしても、複数のシナプスの結合強度によって決まる複雑なプロセスを経る必要がある。例えば、彼女とハンバーグ店に行ったという記憶は、彼女について記録されたシナプスや、ハンバーグについて記録されたシナプスや、店について記憶されたシナプスが、結びつき連想させる事で記録されている。シナプスはアコール一人一人異なるため、『ハッキングスキル』のような、特定の知識や経験だけを抜き出す事は不可能である。シナプスごと移植し、無理に結びつけたなら、もともとあったシナプスが壊れて記憶を失う恐れがある。


「そう、ジョージのもともとの記憶は、既に失われているの。彼はそうしなければ、アコーリベラルを守れなかった。強い覚悟だったと思う」

「待て待て。それじゃ、碓井玲子の記憶も消えてるじゃないか。本末転倒だろ」


 エマが素っ頓狂な声を出した。


「ジョージは胸に刻まれていると言っているけど、多分消えていると思う。追っている玲子さんの記憶は、彼自身が作りだしたモノなのかもしれない」


 衝撃的な事情を聞き、私達は黙り込んだ。複数のアコールの能力を併せ持っている事もそうだが、アコーリベラルの活動する動機が妄想だとは救いようがない。


「――とにかく、一人でも生物兵器を生産できるなら、時間をかけるのは得策ではないわね」


 マリアが沈黙を破って言った。


「酒々井支部の攻撃と同じ体制が、引き続き必要になるという事だな。警察や自衛隊にも情報を流しておこう」


 言うが早いか、オーウェンはバーチャルコンソールを表示する。


「ジョージを止めよう。彼を止めない限り、アコーリベラルは人を殺し続けてしまう」


 私の声に応じて、四人は頷いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る