050 少年は想像する

 二週間後、ひなのサイバー探偵事務所。

 俺を迎えたつばめちゃんは以前にも増して髪はボサボサ、眠そうな目に隈をこさえ、少しやつれた様子だった。

「今日は逆恨みの人は来てない?」

「ええ。たまにしか来ないですから」

 たまに来る時点でアウトだろ。

「あのさ、別に事務所を構えなくても、ネットで依頼を請ければいいんじゃないの? その方が安全だと思うけど」

 俺の指摘は痛いところを突いたようで、「うぐ」と苦い顔をした。

「だって、探偵には事務所がつきものでしょう。……それに、ここは私の場所なんです」

「そっか。そうだよね」

 居場所は誰にだって必要だ。

「そういえばつばめちゃん、ACTには入らないの?」

 赤間さんに頼まれていた言伝を、前回すっかり忘れてしまっていた。

 しかしつばめちゃんはそっけなかった。

「入りません」とばっさり。

「彼らとは志さえ同じくしていればよいのです。私は一人が性に合ってるですし、警察よりサイバー探偵の方が圧倒的にカッコいいですから」

 それは果たしてどうだろうか。

 しかしそういうことなら、俺も心置きなく打診できる。

「じゃあさ、俺をここに置いてくれないかな?」

「……えっ!?」

 ストレートに驚かれた。

「それは、雇用契約の申込みということですか?」

「う、うん。ここで雇ってもらえないかなって」

 あんぐりと口を開けて面白い顔をするつばめちゃん。

「俺、学校も行ってないし、かといってやりたいこともなかったんだ。でも今回、自分のいる世界のことを知って、君やACTの皆の姿を見て思ったんだ。ハッカーになるのは俺には難しいかもしれないけど、探偵の助手なら体力勝負でなんとかなるかなって」

「体力ってあなた……」

 つばめちゃんは呆れ顔だが、彼女にとっても悪い提案ではないはずだと俺は踏んでいた。

 この事務所の探偵は、比類なきハッキング技術と誰にも負けない勇気を持っていて、いつも正しく、そしてカッコいい。

 だけど弱点もある。

 不健康で運動音痴で、そのくせ無鉄砲なところだ。

「君が心置きなく戦えるように、俺が支えるよ。その代わり、あの時みたいな危険な真似はもう無しだ」

 ドローンの群れに単身突っ込んでいく彼女の姿は、俺にとって間違いなく一生忘れられない光景になったが、死んでしまっては元も子もない。

 なんて、俺に言われたくはないだろうけど。

 つばめちゃんはエヘンと咳払いをした。

「ま、まあ、サイバー探偵に憧れるというのは良い心がけですけども」

 正直なところ、“サイバー探偵”という響きはカッコいいとは思わない。むしろシンプルにダサいと最初から思っていたのだが、それはやっぱり言わぬが花だ。

「笑止。貴様のような尻の青い小童に何ができる」

 パピコは最初に会ったときのキャラクターに戻っていた。

「お前こそ、会う度にコロコロ変わり過ぎなんだよ。自分ってものが無いのか?」

「何を言う、人間こそ相手によって己を変えるではないか」

 む。なかなか機知に富んだ返しをするな。

 人工知能のくせに。

「いいでしょう。そこまで言うならコキ使ってさしあげるですよ」

「えっいいの!?」

 自分から申し込んでおいてなんだが、こんなにあっさり認めてくれるとは思っていなかった。一緒に行動する中で、俺の何かしらを認めてくれていたということだろうか。

「しかしあなたはまだこの世界ではトーシロもいいところです。雇用主としては、まずは試用期間を設けてあなたの働きぶりを見たいと思うですよ」

「応、どんと来い!」

「では最初は厨房担当ということでお願いします」

「専属コックかよ」

 まあいいけど。つばめちゃんの食事、それはそれで大事な仕事だ。

 つばめ……エサ……

「つばめちゃんって虫とか食べないよね?」

「食べるわけないです!!」

 だよな。

「なんです、人を鳥とかヤモリみたいに。虫は嫌いです」

 残念。意外と美味しいんだけどな。

 でも虫といえば……

「俺、好きだよ。アゲハ」

 そう言うと、つばめちゃんの時が停止した。

「な、ななな、なななな」

「ほら、アゲハって色が奇麗だし。俺は基本甲虫推しなんだけど、色が見えるようになってからは蝶の魅力を再認識したというか。まあミツバチも可愛いし虫は全般好きだけど……おわっ!」

 話の途中でつばめちゃんがパピコを投げつけてきた。

「クビにするですよ! まったくもう……というか、そんなことより先に大事な話です! 今日はそのために来たのでしょう」

 何故か真っ赤になったつばめちゃんに怒られ、気を取り直す。

 そう。

 俺は今日、奪われた未来の仇討ちに来たのだ。

「あのメモリーチップには、予想通りAWBのソースコードと全ての開発データが入っていました。拓海さんが何を思ってあの場所に埋めたのかはわかりませんが」

 親父が何を考えていたのか。今となっては想像するしかない。

 AWBを本気でこの世から消し去るつもりだったことは間違いないし、あのパスワードから俺たちがあの場所に辿り着くという保証もなかったのだ。

 ただ親父も、ほんの少しだけ、賭けてみたくなったのかもしれない。

「データをそのまま再現して組み立て直し、そこに過去の差分のバックアップデータを当てました。この事務所のマシンのスペックでは性能面の再現は難しいですし、立体映像もありませんが、理論上は、最後にバックアップを取ったあの日の夜、つまり柊さんが公園に連れ出す直前の刹那さんということになるはずです」

 差分のバックアップデータなんて、いったいどうやって入手したのか。助手としてはその辺も把握しておきたいところだが、訊かなくても大体想像はつく。

 つばめちゃんはまっすぐに俺の目を見た。

「正直に言うと、私はまだ迷っています。考えると恐ろしくなるのです。もしかして自分は取り返しのつかないことを、とても残酷で罪深いことをしているんじゃないかと……それに、ちゃんと復元できない可能性だってある。ハード面での問題が生じる恐れもあるですし、私が組み立てた彼女は、まったくの別人になってしまっているかもしれない。だって私は」

 一度言葉を切り、続ける。

「私には、人間のロジックはよくわからないですから」

 彼女の気持ちはよく理解できた。

 俺だって苦手だ。

 機械も人間も、どっちもよくわからない。

「あとはエンターキーを押すだけです。……柊さん、あなたの考えを聞かせてください。起動するか、このまま廃棄するか」

 そう言ってパソコンを俺の方に向ける。

 つばめちゃんには申し訳ないが、俺の心は決まっていた。

 親父は命懸けでAWBを取り戻し、そして破壊しようとした。それが刹那の魂を救う唯一の方法だと信じて。

 刹那は「自分は消えた方がいい」と言った。AWBは争いを生むだけだと。周りの人間を犠牲にしてまで生きたくはないと。

 まったくもってその通りだ。

 彼らの選択を、俺は尊重する。

「あっ!」

 エンターキーを押した俺に、つばめちゃんが目を丸くした。

「本当にいいのですか!? また、同じ結末になるかもしれないのですよ。同じ悲劇が繰り返されるだけかも」

 俺の心は決まっていた。

 残りの人生を、何に捧げるか。

「つばめちゃん、君が好きだ」

 隈の深い彼女の目をまっすぐに見返す。

「え!? あの……えと、その、あや、何を」

「今さら驚かなくても。聞いてたんだろ、俺と親父の会話」

 俺には好きな人ができた。

 他人のことで無鉄砲に走り出したり、食事を忘れるほど思い悩んだりするくせに、人間のことはよくわからないなんて嘯く、とても人間臭い子だ。

 慌てるつばめちゃんに俺は言う。

 主人公がヒロインの心を射抜く、止めのひと言というやつだ。

「つばめちゃん、ハック・ユア・ハート!」

「死ねばいいdeathよ」

「あれっ!?」

 ……割と最下級のフラれ方じゃないか、これ?

 おかしいな、完全にキマったと思ったのに。

「まったく、兄妹そろって」

 つばめちゃんは深く溜息をついた。

「だから人間は苦手なんですよ」

 思ってた以上に気まずくなって、俺は思わず窓の外に目を向ける。

 事務所の窓から覗く空は青く、無責任に晴れ渡っている。

 パピコは薄い黄色。

 そしてつばめちゃんの顔は真っ赤だ。

 同じ赤でも、こんな赤なら悪くない。

 ——なんて良い感じでまとめようとしているが、俺の人生初の告白は結局、惨めにも失敗に終わってしまった。

 それはそれで別にいい。俺は言いたかったことを言えたのだから。

 お前がよければそれでいいのかって?

 いいに決まってる。告白なんて元より身勝手で独りよがりな行為だろう。

 それでも、これから先は独りじゃないのだから。俺も、彼女も。

 人間がよくわからないなんて言ってる二人に探偵事務所が務まるのかという不安もあるけど、まあ、そこは人間に詳しい人工知能にでも出しゃばってもらえばいい。

 ただ一つだけ、懸念がある。

 つばめちゃんだけでもこの有様なのに、これが女子二人対男子一人になったら、毎日キモイだの死ねだのと散々に言われてしまうのではなかろうか……?

 いやいや、それも大丈夫。

 むしろあいつの恋愛脳を利用して、こちら側に引き込んでやればいい。

 そんな俺の甘い見通しは、しかし案外的を射ていたようで、幸先の良い滑り出しを見せた。

 向日葵みたいに笑うつばめちゃんの後ろから、さっそく冷やかしの声が聞こえてくる。


「ひゅーひゅー!」



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ハクスタジア 一夜 @ichiya_hando

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