「結構。では、はじめよう」

 円衣はそう言って言葉を切ると、猫神に合図をした。猫神は妙にきれいな敬礼を返して、とたとたと入り口のドアに走り寄り、「よいしょ」と無駄な掛け声をかけて鍵を閉めた。

 円衣といえば、もうすっかり慣れているのだろう、気にした様子もなく、

「聞かれても困るからね。この部屋は一応、貴君の言うところの"影"は入ってこれないが」

などと言う。そして、それに応じるかのように、猫神が暗幕の重なり合った部分をひらりと捲った。底には墨で梵字のようなものが書き込まれた札が貼られている。

 それは一般によく言う御札というやつで、怪談につきもののアイテムだろう。やっぱりこの人たちは真面目にそんな話をするのだろうか。

 まだ追いつけていない煌を置いて、円衣は言葉を継いだ。

「我らはアレを常忌トコイと呼ぶ。それこそ千年以上前から世に怪談が溢れ返っているのを知っているだろう?人が人として営みを始めたころから、恐らくアレらは我らの生活のすぐ隣に居た。害を為すものも為さぬものもあり、多くは人の眼には映らず、害、益、関わらず長くそこにあり、いつか人知れず掻き消える。そんなものだね」

 所謂、幽霊、お化け、あやかし。

 そういったものを指しているのは察しがついた。曖昧に頷くと、円衣は頷き返して言葉を継ぐ。

「それらがね、原因は判らないのだが、どうもこの冬頃から、爆発的に増えている。他の占い師の話を聞く限りではどうも局地的に…状況からしてといって差し支えない」

「!」

 それは何を意味しているのだろうか。何となく嫌な感じがするのは判る。眉根を顰めると、円衣は憂鬱気に目を伏せた。

「あまりいい兆候でもないし、勿論自然には起こり得ない状況だ。我らは微力ながらもそれらを注視、観測してきた。その結果ね、どうもこのあたりが、霊の分布を見たときの特異点になりつつあるのは間違いがない」

 円衣はそこで言葉を切って、じっと煌を見た。

「去年の京都の事件……知っているかね?」

 小さく頷くと、円衣はそのまま少し黙った。言葉を探しているようにも見えた。

「ハッキリと線引きはできないが、あの事件の少し前からだろうな。この土地は何者かの力で歪められたようだ。詳しい事は判らないがね」

 土地が歪められる?そんな話どう信じればいいのだろう。大体、歪めるというのはどういう状態を指すのか。そもそも、何か根拠があるのだろうか。思っていると、円衣は例の見透かしたような目をして小さく頷いた。

「うん。根拠が知りたいだろうね。根拠はね、これだよ」

 言った彼女は、ポケットから凡庸な意匠のトランプを取り出した。

「吾輩、大衆の知る知る占いは大抵習得している。これはその一つだね。去年の秋、文化祭に出店した我らはよく当たると噂になった。結果、文化祭後も依頼が殺到するようになったんだが、十一月ころから急に、カードは内輪の事を妙にはっきりと示し始めた。…解るかな。妙に冴え冴えとカードが結果を告げ始めたんだ。別に私の勘が冴えわたっていたわけではなくね。逆に――」

 前屈みに俯いていた彼女が視線を上げる。剣呑な目つきと裏腹に、ニヤリ、と口の端が吊り上った。

。そしてその傾向は、。…何か恐ろしい力が働くのを肌で感じたよ。話には聞いていたが本当にそんなことがあるなんてね」

 彼女はそこで一度言葉を切ると、ゆっくりと背筋を伸ばした。そして短い息を一つ吐いてから、話を続ける。

「つまりね、これは、このあたりと外を隔絶する力が働いているということだ。我らのように地霊だ祖霊だ神仏だのかそけき声に耳を澄ませるしかない弱者には及びもつかない力で、このあたりは閉鎖され始めた」

 閉鎖される地域…それも目に見えない力で。それはつまり、

「それは…所謂、結界とかそういう?」

ファンタジーで見聞きした単語が口から漏れ出す。今まで妙に静かだった猫神がまたはしゃいだ声を上げた。

其処許そこもと、なかなかわかっておるな!」

 猫神は時代劇の見過ぎだ。

「うん。その認識でいいと思うよ。最初はスランプかと思っていたんだがね。そうだな。我ら、占いをする人間を携帯電話としようか。普通の状態だと世界中と通話ができる状態だ。だが今、何者かがこのあたりを覆い尽くす膜を張った。幸い、基地局は内側にも一つあったが、今は膜の中同士でしか満足に通話ができない。もちろん外からもかけられない。そして膜は徐々に厚みを増して、多少ならできていた外との通話も、今は完全に遮断されつつある。…まあそんな状態だね」

 現実には遮蔽物などはない。そもそも占いなんてものを阻害する壁がなんになるのか、よく分からなかった。

 とはいえ、イメージだけは掴めたので頷くと、円衣は頷き返してから話を続ける。

「さて、問題の痣だが…。文化祭中、我らに縋ってくる仔羊達の中にその痣を持っている子が複数名居た。占いを欲する者は大抵悩みを持っている。当初は関連に気付いていなかったが、初期の失踪者の中に、痣を持つ子が居るのに気付いてね。遅ればせながら調査を始めた。可能な限り占いを依頼した人物の足取りを追い、関連を調べはじめたんだ」

 円衣はそこまで言うと、唐突にぐるり、と首を回して猫神の方を振り向き、問いかけた。

「猫神、飲み物でも買ってきてくれないか」

「あらほらさっさー!」

 猫神は本当に現代の女子高生なのだろうか。おどけて敬礼した彼女は円衣から小銭入れを受け取り、ツインテールを揺らしながら部屋を飛び出していった。

「…実はね、猫神の中学の同級生も一人消えているだ」

 ぽつり、と円衣が呟いた。

 煌は俯く。これだけ人が消えているのだ。身内が消えた生徒は山木だけではないだろう。偶々、引っ越してきた煌には見知った人間が少ないだけで、不安はきっと生徒たち全員にずっしりと圧し掛かっているはずだ。

 猫神も、もしかしたら空元気なのだろうか。そこまでする必要は全くないが、彼女も不安を包み隠しているのだとすると何とも不憫に思えてきた。

「さて。どうもね、例の"イズホさま"を呼び出す、すると痣ができる。その後、何らかの理由で失踪する、そして、失踪者が増えるごとにこのあたりは隔絶され、何らかの理由で常忌トコイが増える。これが決まったパターンのようだ。…ここからの話は、人から聞いた話だが」

 言いながら円衣はおもむろにカードをシャッフルし始めた。

「我らの元締めというかね、とても力の強い子が外側――帝都のあたりに居るんだがね。今は物理的に…つまりは電話でやり取りをしているんだが、その二人によると、なにか大変なことが起きた、と。そう言うんだよ」

 言いつつ、彼女は煌との間にある机の上にカードを広げると、手早くぐるぐると混ぜ始めた。念入りに念入りに。カードが立てる音が妙に響く。

「けれど、詳しく占おうにもあちらからは日に日にこのあたりのことが読めなくなる。だから、彼女たちにも、ここが幽世に引き寄せられていること、常忌が発生しているというべきか、集まっているというか、兎に角、殆ど異常な密集度であること、そして」

 意味ありげに、言葉を切った彼女はゆっくりとカードを一つに纏めはじめた。トントン、と机の平面を利用して綺麗に揃えると、カードを机の上に置く。

 静かに視線が上がった。煌はそれを受ける。彼女は少しの間、煌の瞳を覗き込むようにしていたが、やがて言った。

 少なからず衝撃があった。動じる煌をよそに、円衣は再び視線を落とす。

「――この三つしか、わかっていないんだ」

 ゴクリ、と喉が鳴った。つっ、と頬を汗が伝う。

 この学校は、比較的安全だと思っていた。だが、それが間違いだというのか?ここが、であると。

 胸に渦巻くそんな思いを読み取ったらしい。円衣は溜め息を吐いて俯き、首を横に振った。

「そうだよ。誰も消えていない…つまり、障りがない筈のここが、すべての中心なのだね。

――吾輩、実は目はあまり良くないんだが…つまり、普段、君の言うとこのは殆ど見えないんだがね」

 これには少し驚いた。どうせ腕利き(?)の占い師を名乗るのなら霊感があることにした方がハクがつくはずだ。それとも信用させるためのテクニックなのだろうか。

 訝しむ煌をよそに円衣は言葉を継ぐ。

「普段の生活では薄っすらとね…そうだな、夜の公園にいくつか光源があって、影が幾つもできることがあるね?あの中の一番薄い影に近いか。意識して見ないと、存在に気付かないレベルでしか捉えられない。その吾輩でもね、

 ごくり、と思わず生唾を飲み込む。それが本当だとすると、普段見えていないだけで実はすぐ傍にいたかもしれない。あの、黒い…悍ましい、虫が群れたかのように不快な、靄のような黒い影。その指の感触を思い出してまた身震いした。

 円衣は憐憫のまなざしをくれながら、机に置かれたトランプの山を二つに分けてから、上下を入れ替えるようにして一つに纏め直した。

「さて。やるかな」

 そう宣言した彼女が表に返した最初の一枚は、スペードの四だった。それを中央より少し左寄りに配置した彼女は、二枚目を一枚目の上にクロスさせるように置く。ダイヤのジャック。更にその上、下、左、右、と周りを囲むように一枚づつ配置していく。クラブの四、スペードの二、ハートのクイーン、スペードの九。そして更に右側に四枚、下からクラブの十、クラブのクイーン、ハートの九、スペードの三。

「ふむ、よくないね」

 よくないのか。何がどうなっているのかよく分からないが、よくないそうだ。

 ぼんやりと並ぶカードを見つめていると、彼女は最初に置いた十字の下側のカードを指差した。

「ここから推察しようか。まず現状はそれぞれの状況が停滞している。…なんだろうな、これは。…流石に大きなことを占いすぎてちょっと読み切れないが、怯え、恐怖、でも、勝ちたい…か。君は見た目より負けず嫌いなのだね」

「意味がわからない…」

「だろうね。それよりこれだ」

 彼女は言いながらクラブのクイーンを指した。指先でトントン、と叩きながらこちらをじっと見る。

「女性の協力者…もちろん吾輩のことではないね」

 次いでスペードの九、最後に配置したスペードの三を順に指した。

「このままでは、よくないな。風向きが悪い。どうにかして良い運を手繰らねばらない」

 言いながら、彼女は展開したカードをそっと集める。その指は白く細い。今更だが、美しい手だと思った。

「だが、絶望するには早い。何せ、今までここには我ら、先を見据えるだけの観測者しかいなかった。だが、君は必ず、状況を次の場面に進める」

 彼女がそう言い終わるのと殆ど同時に、控えめな音で戸が開いた。これまでの騒々しさからは全く想像できなかったが、猫神だった。

 彼女はまずひょこっ、と首だけを中に突き入れてこちらを見ると、手招きする円衣に気付いた様子で、安堵の笑みを浮かべた。そろそろと戸を開いて中に入ってくる。近くに戻ってきた彼女は紙パックの飲み物を三つおいた。

「円衣さまは烏龍茶。それがしはいちごみるく、御客人はこーひーでよかろう」

 どん、と置かれた飲み物、パックに印刷された正しい呼称はカフェオレである。甘いものは若干苦手であったが、出されたものを断るわけにもいかず素直に礼を言った。

「有難う」

 猫神はちょっとくすぐったそうに笑ってパックからストローを外し始める。煌達もそれに倣った。

「…なんとなく、よくない状況だという見方をされてるのは理解できました。けど…これから…」

 具体的にどうすればいいのか全く分からない。思いつつも言葉を選びあぐねる煌の前で円衣は全く不気味に茶を飲み下す。ストローをさして飲むだけなのに、この妙な目の剣呑さはなんなのか。無駄に緊張する。

 円衣は一息に茶を飲み干すと、手早くパックを開いて平らにしながら言う。

「まあ、そうなるだろうね」

「…」

 どう返していいかわからず口を噤む煌の前で、円衣は溜息を吐きながら机に両の肘をついた。そうして組んだ手指の上に顎を乗せながら、憂鬱気に目を伏せる。

「吾輩が君でも、どうすべきかわからないと思う。だから君は、。吾輩としても君に手を貸してやりたいのはやまやまだがね、さっきも言った通り、我らが語るのはあくまでも占いの結果、つまり絵空事だ。だから助言というのもおこがましいが、一つ提案がある」

 彼女が視線をあげる。ちらり、とあがるその瞳はやはりどこか鋭く、蛇を思わせた。ゴクリ、とまた唾を飲み込んで固まっていると、彼女は静かに言った。

「この学校の怪異を、集めてみないか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

禍津神の詛ふ影 ユキガミ シガ @GODISNOWHERE

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ