六
正直、人見知りするタチだ。
視聴覚室、と書かれた扉の前で、大きく息を吸い込んで「ヨシ」と気合を入れる。生憎、今日は山木は休んでいたのだが、偶々捕まえた西山に占い部、と言ったらすぐに教えてくれた。
正しくは「ボクセン同好会」なる謎の集団だということで、「テンション高すぎてヒくから近づかない方がいい」らしいのだが、それでも事情を察してか、直ぐに目的地を教えてくれた。曰く、「視聴覚室が開いてたら居る」という日和見な情報だったが。
思い切って手を掛ける。引き戸だからノックもどうかと思ってそっと開けようとしたが、扉はビクともしない。…今日は開いていないようだ。肩透かしだ、とがっくり項垂れた所に、唐突に甲高い声が聞こえた。
「やあやあ!入部希望者ですか?!それとも下僕希望者?!」
「どなたですか」
思わず問い返しながらぐるりと首を向けると、そこには長い黒髪をツインテールにした個性的な容姿の女子が居た。見覚えはない。前髪が左から右にかけて急傾斜を作っているから一度見たら忘れそうにないが、やはり記憶にはない。
「いいとこに気が付きましたね!」
女はそう、わけのわからない部分を褒めながら腰に手をあててふんぞり返った。
きゅっと吊った瞳は大きく、顔のバランスが猫に近い。かわいらしい顔をしているとは思ったが、会ったことはない。もしかしたら上級生かもしれない。
「
うわぁ、本当に面倒くさーい。
という顔をしてしまってから、慌てて表情筋を引き締める。
「俺は…」
名乗ろうと口を開いたが、彼女は「しーっ」と人差し指を口元に押し当て、すっと体をずらして跪いた。
「崇めよ、
訳が判らない。が、彼女が身をずらしたさきに、一人の女子生徒が居た。すらりと背が高く、艶やかな長い黒髪を靡かせながらこちらに歩いてくる。
静かに視線が上がった瞬間、射竦められたように動けなくなった。
極端に黒目部分が小さいというか、此れは所謂三白眼だろうか。しかしその割には瞼が重そうで半眼というか据わった目をしている。蛇に近いだろうか
表現は難しいが色んな意味で印象的だ。
彼女は薄い唇を半開きにして煌と、足元に跪く猫神を見比べた。そののち、彼女は「これ」の一言で猫神を制する。慌てたように立ち上がる後輩の膝元を、腰を折って手で軽く払ってやった彼女は、ぐっと鎌首をもたげるように身を起こし、こちらを向いた。
そして開口一番、
「なるほど。当たったな」
そう言った。
「はい!円衣さま!」
猫神も歓びの声を上げる。
「様は止めなさい」
「はい!先輩!」
煌は頭痛を感じてこめかみを抑えた。こんなに理解しがたい世界がこの学び舎にあったというのは結構な衝撃だった。黙って立っていると、円衣と呼ばれた女子生徒は徐にポケットから視聴覚室の鍵を取出し、そこを開けた。暗幕が垂れ下がっているのを暖簾の様に手でよけながら猫神と煌に手招きをする。
「まあ、入りな。託宣の子よ」
「?」
たくせん、とはどういう意味だろうか。託宣という字しか浮かばなかったが心当たりはない。思わずゴクリと喉をならしながらも、なんとか二人について、室内に入った。
◇
「ふうん。じゃあ君はクラスメイトに、体の痣とイズホさまの関連性を指摘されて、恐怖心に駆られてここに来たと。そういう話でいいのかね?」
剣呑な目つきでそう問われて、曖昧に頷く。流石に旧校舎での一件は伏せておいた。円衣は探る様な目を向けていたが、やがては諦めたようにもう一度「ふうん」と声を漏らした。
そして静かに続ける。
「別にね、吾輩も事件に詳しいわけではないんだよ」
「わがはい…」
「失礼であるぞ!」
後ろで猫神がかな切り声を上げる。円衣は右手を挙げて猫神を制すると、組んだ足を戻し、身を乗り出すようにして声を潜めた。
「私たちが何者か、貴君は判ってるのかね」
「ぼくせん、どーこーかい、さんでしたっけ?」
「そう、我らは
言いながら彼女はちらりと猫神の方を見た。
「そこの猫神は押しかけ助手だから同好会と言いつつ一人だがね。…卜占というのは所謂占いだね。つまりは貴君らが言うところの事実だとか真実ってヤツは何一つ握っていない。我らが語るのはあくまでも占いの結果、つまりは誰も知りえない未来の事や、事実と一致しているか判らない絵空事。それでもいいなら語るべきことはいくつかある」
つまりは、本当にそれは籤引きの結果と変わらない、所謂”占い”でしかないのだろう。だが、たとえ、事実という確証がないにしても、何らかの手がかりとなるのなら、聴くべきだ。
小さく頷くと、彼女は唐突に右手を差し出してきた。握手かと手を出すと、彼女はその手を掴んでくるりと上向きにする。
「見る限り左利きだね」
「え…あ、そうです」
応えると彼女はしばらく仔細に眺めていたが、最後に
「立派な神秘十字」
と呟いて手を離した。次いで、手振りで煌に立つように示す。素直に従うと、彼女は徐に袖を捲りあげてす、と腕を上げた。両手の人差し指と小指を立て、片方はこちらに手の平を、もう一方はこちらに手の甲を見せる形で組み合わせ、その隙間から中を覗く。
「…」
此れも占いなのだろうか。居心地が酷く悪い。彼女は手を組んだままそれを動かして煌の頭のてっぺんからつま先までを眺めまわす。足首まで来たところで動きを止めた彼女は酷く神妙な顔で頷いた。
「こりゃあ……すごいね、キミ」
「すごい、とは…」
どういう意味なのだろう。痣は制服と靴下で隠れている。痣については話したが、足首とまでは言わなかった。もしかして噂になっているのだろうかなんて考えてから、円衣を全く信じていない自分に気付いた。
彼女は静かに組んでいた手を解き、深い息を一つ吐いてからすっ、と背筋を伸ばす。
その目は再び煌を射抜いた。どうもこの目は苦手だ。彼女はそんな煌の腹の内を知ってか知らずか、物騒な言葉を吐く。
「確かに、このままじゃ危ない。それだけはハッキリしているね」
「危ない…?」
酷く曖昧な言葉だが、全身の血がざっ、と下がった気がする。くらり、と眩暈を感じた。
「確かに失踪した乙女と同じ
心当たりはある。煌は手指を握りしめる。今、言うべきではないだろうか。視線を伏せ、少しの間逡巡していたが、結局す、と顔を上げると、円衣はなんだか見透かしたような目をしていた。
不思議な雰囲気の人物だ。いまだ信じるには至っていないが、話してみる価値はありそうだ。
「実は、旧校舎二階の一番奥の教室に…」
「…旧2-Dだな」
ぽつ、と円衣は呟いて、手振りで続けるように促す。何となく引っ掛かるものを覚えながらも、煌は続けた。
「転校生の机をとりに行くように言われて行った。…そこで」
煌は言葉を切る。いざ口にするとなると、何と説明すべきか。怪談のようになるのは避けたい。
「そこで?」
再び促され、煌は少し俯く。
「最初に、扉が閉まった。――何かが這いまわる音がして、直ぐに体が動かなくなって……。影のようなものが見え始めた」
そこまで言葉を継いで行くと、彼女は目を細めた。考え込んでいるようでもあったが、なにか疑っているような顔にも見えて、思わずたじろぐ。後ろ暗いことは何もない。確かに、非常識な事を言っているが、自分の眼から見たら、そうとしか表現ができない事態だった。
補足すべきか。でも何を。どう二の句を継げばよいか浮かばないで黙っていると、彼女は静かに呟いた。
「まぁね。聞くまでもないんだ。本当は」
どういう意味だろう。思う煌の前で、円衣は大きな溜息を吐いた。
「貴君はどうやら気付いていないようだがね……否、この学校の誰もが気付いていないのだからその言い方もおかしいね。我らしか気付いていないようだが、とっくにこの学校は異常な空間になり果ててるんだ」
どういう意味だろう。あの教室だけではなくて他の教室にも出るということか?ぞわっ、と二の腕を這い上がるように鳥肌が立つ。
「じゃあ、我らが事の顛末をどう捉えているか話そう。準備はいいかね?ご不浄はここから出て五メートル程いったところにあるが」
「いや、大丈夫」
「結構。では、はじめよう」
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