Epilogue+.

to be 1891

 様々な場所で、それぞれの聖夜が過ぎていく。


                 ◇ ◆ ◇  


 キャンピアン邸ではヒラリーとパトリシアが晩餐を楽しんでいた。


「いっけない、僕としたことが!」

「どうしました、先生?」

「クリスマス・プディングに火を点けるの忘れてた! 毎年やってたのに!」

「別にやらなくとも食べられますが……」

「駄目だよ、あの青い火が揺れるのを見なくちゃ! マッチ! マッチはどこ!」

「もう、先生ったら……」


 パトリシアは苦笑しながら、ヒラリーを手伝ってマッチを探し始めた。

 派手に飾り立てられた屋敷で、小さな師匠と美しい弟子はプディングに火を点す。


                 ◇ ◆ ◇  


 雪降るロンドンの片隅で、ダンカンとウェスターは街を巡回していた。


「……あの、どうして僕も巡回に」

「貴様の曲がった性根を叩き直すためだ、キーン。いいか、ハーヴェイが色々取りなしてきたがな。俺はそうは甘くはないぞ。貴様は昨今の仕事屋と同じく根性というものが……」


 寒空の下で、くどくどとダンカンの説教が続いている。

 捜査官と少年は、震えながら夜の街を見回る。


                 ◇ ◆ ◇  


「――え、クリスマス祝うのか?」


 ロンドンにあるとある屋敷で、マリブは目を丸くする。

 その周囲では、黒装束に身を包んだ者達が簡単なクリスマスの支度を調えつつあった。テーブルに小さなクリスマスツリーを載せ、蝋燭に火を点していく。

 参列者は男もちらほらいるが、圧倒的に女性が多い。


「……わたし達の冬至祭ユールは済んだけれど、あなたは魔女じゃなくて常人だもの」

 テーブルの主賓の席に付く少女が緩慢にうなずく。

 結われていない栗色の髪が華奢な髪に流れ、黒い絹のブラウスへと落ちる。


「で、でも魔女はクリスマスを祝わないんだろ? なんで急に――」

「おまえは当面外出禁止だからな」


 少女の背後に立つ従者が言って、「ひひひっ」と不気味な声で笑った。


「退屈するだろうというローリィの配慮だ。感謝しろ、マリブ」

「はぁ? 外出禁止? えっ、なんで――!」

「安静にするようにと言われたのに、病院を抜け出したでしょう? おしおきよ」

「そんなァ! あんまりだァ!」

「静かになさい。どのみち異形と戦ったんだから、休息は必要よ。……ああ、大事な用事があったら話は別よ。実際、お世話になった人への挨拶は許してあげたでしょう?」


 慌てだすマリブに、少女は薄く笑った。

 蝋燭の火に煌めくその瞳は、スミレにも似た淡い紫の色をしていた。


「――ともかく一八九一年まで大人しくなさい、マリブ」


                  ◇ ◆ ◇  


 レンガ造りのアパートメントの一角で、キャロルは部屋を見回す。

 綺麗に整えられた部屋にはキャロル以外に人の姿はない。

 テーブルには、蓋を被せたまますっかり冷めてしまった料理。そして、香水瓶を文鎮代わりにしてメモが一つ――『遅くなる。ごめんなさい』

「……クリスマスになにしてんだか、あの子」

 キャロルは嘆息し、椅子に座った。

 夜が更けていく中、キャロルは同居人の帰りを待ち続ける。


                  ◇ ◆ ◇  


「……はっはぁ、やっぱりここは特等席だ」

 ロンドンを見下ろすビッグベンの上で男が一人、ブランデーを楽しんでいた。

 赤髪の男は気の抜けた笑みを浮かべて、目の前の夜景にそっとグラスを持ち上げる。

「メリークリスマス、ロンドン――っくしゅ」

 ブランデーに口を付けようとしたところで、男はくしゃみをした。

「――人形でも、寒さは感じるんだなぁ」

 囁きを掻き消すように、ビッグベンの鐘が夜空に響いた。


                  ◇ ◆ ◇  


 ――鐘の音に、男はまどろみから目覚めた。


「――ん、ああ。鐘の音か、びっくりした」


 二十代後半といったところの、大柄な男だった。

 キャラメル色のロングコートに包んでいる。若々しい容貌にもかかわらず、癖の強いその長髪はまるで老人のような銀色に染まっていた。

 銀髪の男は緩く頭を振り、姿勢を正した。その拍子に、膝から一冊の本が滑り落ちる。

 ――『アーサー王の死』

 床に落ちたそれを、銀髪の男は慌てて拾い上げる。


「おっとっと……しまったな」


 テーブルの上に本を置き、銀髪の男は代わりにそこから丸い縁の眼鏡を取った。それを顔に掛けながら立ち上がり、銀髪の男は窓へと近づいた。

 紫の瞳に雪景色を映し、満足げにうなずく。


「嗚呼、いい夜だ。こんな夜には、いい酒を呑まないと」


 銀髪の男は窓から離れると、さっそく酒の準備を始めた。

 ロックグラスに角砂糖を一つ。

 用意するバーボン・ウィスキーに、アロマティックビターズ。

 角砂糖の上にビターズを少し多めに垂らし、そこにバーボンを注ぐ。

 そうして出来上がった琥珀色のカクテルを持ち上げ、銀髪の男は満足げに目を細めた。


「……オレンジピールもチェリーもないけれど、悪くない。私は少し苦めが好きでね」


 呟き、銀髪の男はロックグラスに口を付ける。

 そして、わずかに眉を寄せた。


「ううん……これはちょっと苦すぎたかな。――君もどうだい、エヴァ」

「――オーガスト・ヴェリタス」


 冷やかな女の声に、男は――オーガストは振り返った。

 いつの間にか、そこには喪服に身を包んだ女が立っていた。

 黒いドレスに包まれた体は細いが、無駄なく引き締まっていることが見て取れた。淡い色合いの金髪に黒い帽子を被り、絹のヴェールで顔を隠している。


「こんな最低な夜に、ずいぶん呑気なものですね」


 喪服の女は――エヴァは、苛立たしげにこつこつとステッキで床を突く。

 グラスに角砂糖を一つ落とし、オーガストはきょとんとした顔をした。

「最低? どうしてだい、エヴァ? 外をごらんよ、こんなに良い夜はないじゃないか。街には雪が降っているし、静かで……」

「――レジナルドから指示がくだりました」


 オーガストの声を遮り、エヴァは冷やかな口調で言った。

 ステッキは、延々とこつこつと鳴り続けている。どうやら相当苛立っているらしい。

 オーガストはまたいくつか角砂糖を落とし、マドラーで混ぜた。


「ほう、彼はなんと?」

「まずはメイクピースの死因について調べること。そして、あの女を――あの、醜い雌の溝鼠を――フォビアン・バウを補佐し、カリオストロの遺産を回収せよと」


 カツッ! エヴァは一際大きくステッキで床を打つ。

 オーガストはさして表情も変えず、「困った」と言わんばかりに肩をすくめた。


「おやおや、あの烈女殿か。これは骨が折れそうだね」

「あの、屑の、下衆の、蛆虫の……!」

「いけないよ、エヴァ。言葉には気をつけよう」


 呪詛の如くまくし立てるエヴァを、オーガストは穏やかな口調で窘めた。


「言葉は大切だ。例えそれが正論でも、使いようによっては思わぬ痛手を被る。私もそうだった。空気を読まずに正論を言い続けていたら、友達がいなくなった」


「悲しいね」とオーガストは首を振り、マドラーをテーブルに置いた。

 角砂糖を追加したカクテルに口を付ける。しかし直後オーガストはむせ、口を押さえた。


「――失礼。これはいけないな、甘すぎる」

「……でしょうね。あれだけ角砂糖を入れれば、飲めたものじゃないでしょうよ」

「そう思っていたんなら止めてくれよ、ひどいなぁ……。途中から無意識でグラスの中に入れていたんだよ。――しかし、ふふ。少し懐かしいな」

「懐かしい?」


 顔を隠すヴェールの向こうで、エヴァは柳眉を吊り上げた。

 オーガストはグラスにまた口を付け、微笑んだ。


「いや、ちょっと弟のことを思い出した。彼はね、甘いものが好きだったんだよ」


 オーガストは優しい表情で、グラスに揺れる甘ったるい酒を見つめた。

 しかし、その目はどこか遠くを見るような――寂しげなまなざしをしていた。


「……でも、もうずっと前に死んでしまった。悲しいことだ。彼は少し難しい人間だったけど、舌はちょっとだけ子供っぽくてね。恐らく幼い頃に苦労をしたから……」

「……どの弟です?」


 エヴァはさして興味もなさそうな様子で聞いた。

 するとオーガストは一瞬目を見開き、続いて申し訳なさそうに笑った。


「ああ、すまないね。私には弟が何人かいたから、ややこしかったろう。今話したのは、末弟のことさ。わりと有名人だから、君も知っているかもしれないね」


 オーガストはカクテルを手に、窓へと近づいた。

 雪景色を見下ろし、ゆっくりとグラスを目の前に持っていく。

 街が、琥珀色に染まる。

 揺れるロンドンの景色を見つめながら、オーガストは優しい声でその名を口にした。


「――モードレッドという名前なんだ。知っているかい?」


 一八九一年が始まろうとしていた。



              ――Fin

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レプリカ・エンパイア 伏見七尾 @Diana_220

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