第45話 ここは掃き溜め
「便所がキレーだな」
招かれた旦那の館で、俺は陶製のおまるを前に一人ごちた。
便所がきれいだ。『汚くない』じゃねぇ。ちゃんと、清潔だ。
かっつり蝶番で開け閉めできる扉のついた個室で、床はタイルのモザイク模様。隅にケツを拭くぼろ布をつむ棚までしつらえてあって、しかも一枚一枚使い捨てなんだろう。──扉の前に控えてた男は、俺の出たあとこれを始末する係ってわけだ。ひょっとするとおまるの方も──
そしてそれはとんでもねぇ贅沢だ。この国じゃ。
病気や怪我が『汚ねぇ』から悪くなる、ってのが、まだ半分迷信のこの世界で、便所の清潔なんてのは、気の持ちようの範疇で。
跨がって
ああ……。
:::
「切れ負けの三番勝負。ウマを差すのはお互い一人ずつ――つまり、ワシとアルフォンシーヌ嬢が互いに互いの
昼下がり。
館のど真ん中、緑の豊かな中庭の、さらに真ん中の東屋の、さらにさらに正中で、俺とランベルトは向かい合っていた。
盤を挟み、互いに背には、それぞれの金主を背負っている。
あの日、俺がピウスにひかれてリデレ様詣でをした日から、一週間。そして、赤毛が睨んだ通りの、賭場で荒稼ぎした日からちょうど一月後だった。
昼日中っから呼びつけられるってのは、想定外だったがな。
「俺ぁ構わんぜ。……ただ」
「ただ?」
「こういうのは夜の遊びだと思ってたんで、面食らってら」
「ピスッ、スッス……」
旦那、笑ってんのか鼻炎なんかわかりづれぇな……。
「まぁなんだ、リョマとやら。不服かもしれんがワシにも客の手前というものがある。――氏素性の知れぬものを入れるには、今月の
「ふん……」
面白くねっ!!
「と、いうのが、お前という異邦人をその目で見たがった客たちへの言い訳だ。ピススッ」
「うん?」
「
そういって、旦那は使用人を振り返り、手を叩いて見せた。静かに頷いた男たちが、銀の盆に載せた何かを運んでくる。
まるで手品のタネか何かだ。白い、無垢布で、おおわれている。
「切れ負け、と言ったな? ──用意させた。ピスッ、謹製よ。帝国広くとも、片手の指ほどしかあるまいて」
ばさり、と。
取り払われた布の下にあったのは、大小とりどりの『砂時計』だった。
「こんなに……」
よくわからんが、俺の後ろの赤毛がなんかピィと鳴いてるから、たぶんすげぇんだろ。
「一番大きいもので半日のそれまである。ピスッ。二人で取り決めればよい」
「最大で、持ち時間が半日ってか」
「いるであろう?」
「さぁて……、どうだい。ランベルトさんぁよ」
「君の方こそ」
「いやいや、いいんだ。最前ひとつ負けたしよ」
向かい合った互いで、含み笑いすら交わしながら語り合う。
「それに、『年長者を敬え』ってのが、前回のあんたの取り分だ。俺ぁ勝ち負けの賭け代は大事にするんで」
「フッ……」
含み笑いもサマんなんのずるいぞ美形。
「なら遠慮なく。一等の品を使わせてもらおう」
「ピスピス! 半日であるな! よぅし! 承知した! 準備させよう!」
喜色満面が服着て歌ったみてぇな声をだして、旦那が使用人と一緒にその場を離れる。
というか、半日って決まったときちょっとピョンって飛んでた気がする。
「旦那、うれっしそうだな。ひょっとしてなんかのサマの仕込み?」
にしても露骨が過ぎるくれぇに喜んでんだけど。
「そういう御仁でね。長くショーギが観れるのが嬉しいのさ」
「んな単純な」
「……リョマ、これは本当だ。プブリオは無類のショーギ愛好家で、わりと日頃からこんな感じだ」
「あのさ。あっぱあの人、めちゃくちゃショーギが好きなだけの篤志家やんけ。なぁ。ホンマなんなんこれ。お前らグルんなってあの人を接待してんの? サプライズ誕生日パーティーとか?」
「違う」
「おめーの気持ちはそりゃそうだろうがよ」
気に食わねぇな。
「相手方がヌルいのが、気に食わねぇ」
「そうかね?」
「あんたもあんただよランベルトさんよ。手前の金主っつって甘やかすなよ、緊張感がねぇぞあのおっさん」
正直いって。
「俺が勝とうが、あんたが勝とうが、いいショーギならそれでよし。そんぐらいだろ、あの人」
「……だろうな」
それが。
「気に食わねぇ。なんか気に食わねぇ。一つくらいわがままいってやりてぇ」
「ふむ。と、言われてもな」
「待ち時間の方ぁ譲ったんだ。番数譲れよ」
「それは私の一存ではな」
「決めれら。結局指すのは俺らや」
「だとして、どうする?」
「一本勝負にしようや。半日切れ負け、一本勝負」
俺は。
歯茎を見せて笑う。
異世界転生真剣将棋 絹谷田貫 @arurukan_home
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