第44話 藪の向こうに何がいる?
とまれ、指南である。
笑んででばかりでは進まない。ランベルトとて生業とするからには、せねばならない。
「近いうちに、とは言いましたが。プブリオ殿」
と、話を継ぎながら、盤に目を戻した。
典型的な『仮面舞踏会』――相矢倉、の形がある。
王将を盤の左に寄せ、右肩を怒らせるかのように金将、銀将を添える。日本人の将棋指しが見れば、一目にわかる金矢倉の形である。
「尋常なら、あと十数年、ひょっとすると数十年、――あるいはもっと、永くもちましょう」
つ、と駒に指を添え、涼やかな声でいう。玉頭の歩――否、この国でいうところの
「非常に攻め難い。――覚えてらっしゃいますか?」
「うむ。上方、つまり敵方からの攻めに滅法に強い」
「そう。そして組むにあたって、必然
であるから、流行る。流行れば、対抗しようという研究もなされる。
その研究にもまた、搔い潜って組んでしまえ、という研究がなされる。
「して、それが定跡となる。プフッ。道理だの」
「ええ、道理です。私の研究では――」
そういいつつ、ランベルトは盤面を一手、一手戻していく。
そして、とある地点から、今一度動かし始める。
「――初手から数えて九十一手、双方の研究が十分なら、ここまでは定跡として整え得ると考えます」
「複雑、だの」
「複雑ですな。手遊びで嗜む傾けかたなら、たどり着きますまい」
「それも道理だ」
そういってプブリオは顎を撫でた。
九十一手の定跡が組みえる、ということは、九十手のうち一手を誤れば、形勢が傾く。
「で、あるので、多くのショーギは定跡の追いあいになり、隙の付き合いになる――。それをだれもがてんでに追いかけていれば、そうそう廃れはしますまい」
「しかしそれはショーギではない」
鉈のような、断ち切る声だった。
「暗記法の見せびらかしあいよ」
「――で、あるので、縊り殺してしまえ、ということですか?」
「そうとまでは言わんが、な」
ぴす、す、す、と、掠れるような笑いをもらす。
「して、廃れるかね?」
「廃れますな。――この指南が広まれば」
「九十一手の定跡が整えられても?」
「整えられればこそ」
囲い組みは、あくまで勝負の走り始めなのだ。
その後、いざ始まった勝負の仕掛かりを有利にするために、するのだ。
「九十一手を暗記せねば組めない。九十一手の合間に相手が足を外せば、それに応じて好機を取らねば組む意味もない。それを知っている相手が徹尾手を取って踊ってくれるとも、限らない」
それは分の悪い遊びになるだろう。
「なら、一手目から調子を外してくれてやろう。と、考えるでしょう。みな」
そしてそうなれば、新しく弾かれた調子に合わせた足運びを模索しなければ、踊れない。
ランベルトは、ようやく九十一手を並べ終えた。――我ながら、よく指したものだと思う。
そして目線を戻せば、福福とした相貌を緩めた雇い主がいる。
「そうすると、面白いショーギが見れるやも。ということですか」
「……ピフッ、フッ、フフ」
「――一月かかりました」
ランベルトが館に招かれ、指南書をつくるのだ、と言われた時。目の前の大商人は、当然それを商いの種にするのであろうと踏んだ。それは確かに面白い商売になるかもしれないが、果たして、金を払ってまでショーギの腕前を身に着けよう、という人間が何人いるのやら、とも思った。
そんな人間が多ければ、街中の道場はいまよりさらに多いだろう。今のような、公然の賭場として息をつなぐようなことにはなるまい。
なによりランベルトのような男を招いて指させる者はもっと少ないはずだ。――自ら腕を磨くのは、流行りではないのだ。
しかし、プブリオは指南をまとめたならば、それは売りに出さない、という。
自らの後援する道場に、タダ値も同然で配るのだ、と。
「つまらんだろう。定跡を正確に覚えているか、その合間に足をすくうや救われぬやで決まるショーギなど」
だから終わらせてしまえ。
王道を誰もが通るありふれた道にしてしまえば、誰かが藪に分け入るはずだ、と。
「先帝陛下に学んだのよ。道は多ければ多いほどよいのだ。ピスッ、スス、ピヒッ!」
「
「よく言うわ。獣道の一つ二つ、あるいは両手の指ほど、もっておるだろう」
そこまで吐き出せとは言わんわい。と、悪びれない言葉に、また苦笑する。
「で、あるので、廃れましょう。近いうちに。少なくともこの街では」
そして何が起きるか、道の先に何があり、どこへ向かうのかまでは、ランベルトには見えない。
ただ。
「――あの異邦人も、居ります故」
そこには、あの男がいるのだろう。と、確信していた。
九十一手の定跡。
それは、あの男とのショーギと、全く一致していたのだから。
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