第43話 篤志の人

 この国じゃ布が高い。日本よりずっとずっと高い。


 羊もいるし、蚕もいるし、綿の花も木綿もある。織機もある、が、糸がねぇ。紡績機がねぇし、糸を縁る人手がねぇ。


 この国じゃ木が高い。日本よりもずっと山も森もほったらかしの手つかずなのに。


 背の高い木もある。性質たちの素直な木だってある。そいつを切り出す木こりがいねぇ。


 人間様が地べたにへばりついて一所懸命働かなくっちゃ口に糊する麦が足りねぇ。――最近ようやく、足りてきた。


 だからこの国の建屋は木がすくねぇ。せいぜい梁、筋交いで、石だと思ってた建材はコンクリの又従妹みてぇな代物だった。そして木よりも布地がすくねぇ。思えば『ソファ』と呼べるようなもんはほとんど見たことがねぇ。赤毛の詰所のあれがせいぜいだが、現代日本のセンスでいえば、控えめに言って『ベンチ』だ。クッションのクの字もなかった。


 だから、ベッドが十梁もあるあの宿は超高級店だった。『福原の一番奥にあるぴっかんぴかんでギランギランの風呂屋』だった。給仕のチャンネーに嫌われてんのも腑に落ちた。そりゃそうだ。風呂屋の待合室で真剣さしてる俺は、店の『アガリ』になるはずの小遣い銭を巻き上げてんだから。


 そんな店に、裸の女と遊ぶために金をぽんと出せる客が。そんな金を賭けて真剣で遊ぶ客がひっきりなしにくる。糸を縁るのも木を切るのも足りねぇはずの人間が掃いて捨てるほど集まってる。


 豊かな街だ。本当に豊かってのはこういうことだ。

 

 俺がたまさかおんだされた町はそういう町で、『トルファトレ』って名前なんだと。


 そして、国を眺めりゃまぁまぁそこそこの、「ド辺境よりゃましな都会未満田舎以上」なんだと。


 そんな豊かなこの国は、インぺルゥム・ルチェ・ソラレ・ザスティツァ――ほにゃららほいの以下省略。修辞語を省いて日本語らしく整えるなら、『カールス朝ヴァイトリア帝国』ってところか。


 だが、たいてい『帝国』としか呼ばれねぇ。


 この国以外で、肩を並べて語るような国が近くにねぇからだと。


 とんでもねぇとこに来たもんだな。


 だからピウス。泣くな。ほら、豆うまいぞ。笑え。



:::



 プブリオ・ダ・トルファットーレの邸宅は、広い。


 古くは小さな宿場町に過ぎなかったトルファトレの街が、じわり、じわりと栄え始めたのは、先代皇帝の御代からである。拡張主義であった先々帝が野放図に広げた『啓蒙の戦線』を一つ一つ手仕舞いし、国内(と、呼ばれるようになったほんの最前までの蛮地)にひたすらに街道を引くことに注力した先帝は、一部の武官からこそ疎まれはしたが、結果としてその名を後世まで高らかに歌わしめた。


 後世曰く、『巌道帝』と呼ばれるその治世は、決して華やかでもなければ、絢爛でもなかった。が、そうして整えられたインフラストラクチャと、その上を血流のごとく駆け巡る物流は、当の先帝の死後も長く残り、そして街々に活をもたらしている。


 プブリオは、その有用性、先見の妙をよくよく、理解していた。――ひょっとすると、この国でも十の指に入るほどに、よく。


 若かりし頃の、小さな小麦問屋の跡取り息子に過ぎなかったプブリオがかくも豪奢な邸宅を構え、趣味道楽のショーギ商売にかまけていられるのも、ひとえに街道整備によってもたらされる数多の商機を一つ一つものにしてきたからであった。結果、今や彼は性として【トルファットーレ】を戴いている。


 街の名代である。


 当然、彼に招かれた食客であるところのランベルトも、プブリオの暮らしの恩恵に存分にあずかっていた。


 その日も、朝から二人は長椅子に腰掛けながら。悠々と茶を飲み、語らっていた。


 当世風の、寝掛けの長椅子である。本来寝そべって用いるものであったが、いかんせん、話題が話題である。二人して向かい合っている。


 一組のショーギ盤を挟んでの、指南であった。


「私が思うに」


 ランベルトが、述べる。


「『仮面舞踏会スィラ・デ・マスケラ』は、近いうちに廃れましょう」

「――ふむ」


 不遜な言葉であった。


 戦法の流行り廃り、それは長い歴史のうちで当然にあることであったが。ことその戦法に関しては、廃れる、などわずかでもショーギを知るものなら、口にするものではなかった。


 信仰に近い。


 聞くものが聞けば、その場で暴力沙汰にすら、なる類の言葉である。


「君が言うならそうなのだろう」


 それでも、プブリオは鷹揚としている。


 その様を受けて、ランベルトは口元に笑みを浮かべた。縁あって招かれて以来の付き合いはせいぜい一月である。浅い。しかし、『旦那』として背に負うにたる人物だ、と、思っている。ランベルトはことショーギにかけて、全幅の信頼を置かれている。


 この国でショーギはたしなみであり、伝統格式の象徴の一つである。ひとかどの人物とみなされたければ、なにかしら手妻の一つも持っていて当然、と、考えられる。本人に実力や見識が無ければ、実力者を招き、養う。――むしろ、昨今ではそのごときこそ今様いまようとされている。


 ランベルトも、最初は成り上がり物の見栄のため、飾り物として招かれたのである、と、考えていた。手慰み程度の指南を週に一度、あとはいくつかの、しつらえた『場』で華やかに勝ってみせるのが仕事である、と。


 しかし、プブリオは違った。確かに指南はあったが、それはプブリオのためのものでは無かった。


 週に一度、プブリオはランベルトに指南を求める。そこで、ランベルトは、日々の研究の成果について、述べるのである。


 指南であるので、当然生徒であるプブリオにも伝わるように。それは横に控えた丁稚の手で、木簡につづられていく。


 プブリオは、手引書を記している。


 広く、世に知らしめる腹である。


(人物だ)


 見栄ではなく、腹からショーギ道楽なのだ。一人二人がただ強いだけでは、物足りない。


 一人でも多く、一代でも長く、強者が生まれ、続いて欲しいのだろう。


(同時に、困った御仁だ)


 自分以外に強くなられては、ショーギ指しとしては要らない苦労を増やすだけのことだ。――自分の以前には、招きを断った者も相当にいただろう。


 ランベルト自身も、自分の手管がつまびらかになって困ることは多い。できれば、自分以外はみな一様に自分より弱くあってほしい。


 ランベルトが浮かべた笑みは、苦笑であった。


 それは、そのようなショーギ指しの葛藤を露もかんがえていないであろう雇い主の、ある種の無邪気さに対しての物であり。


 それに応えて、週に一度こうして自分をさらけてしまう、自らの甘さへの物でも、あった。

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