第42話 前進だけが人生(か)


 件の店の前につくなり、ピウスがソワソワモゾモゾと落ち着かねぇんで、「奢ってやるから心配すんな」と言ってやった。途端に喜色満面っての、わっかりやすいな、こいつ。嫌いじゃねぇぜ。


「おひさぁ」と声をかけて、入る。


 店の様子は変わらねぇ。初めてパチ公に連れてかれたその日のまんま。あいつと暮らしたときのまんまだった。


 店の片隅、あの『不自然にあいた席』も。寸分たがわずそこにあった。


 とまれ、今日は仕事じゃねぇ。例の席とはまた別の、飲み食いと騒ぎをする場に陣取る。


「ほれピウスよ、なんでも頼みな。一等高いのでもいい、頼めば鶏の丸焼きだって出てくら」

「いやぁ、俺はいいよ。豆の煎ったのとかさ、サッと出るので」

「酒は?」

「も、いいかなぁ。別に」

「ンだよ、ここにきて遠慮すんな。じゃんじゃん頼め」

「いや、ほんと、遠慮とかじゃなくてさ。へへ、な、わかるだろ?」

「――?」


 わかるだろって言われてもわかんねぇ。首をかしげてみせると、あたらやぁらしい笑顔で、ピウスは言った。


「早くさ、に回りてぇしさ。酒飲むとほら、差し支えるだろ?」

「……ああ」


 つまりあれだ。


『二階の部屋で恋愛関係』になりたい、と。


「バァカいってんな、聞きてぇ話が山ほどあるんだよ。今日はナシだ」

「は⁉」


 なんだその見たことねぇ面は。


 失望と怒りと悲しみと、複雑だなオイ。


「おま、おい、なぁ、じゃぁさぁ、リョマぁ、思わせぶりな店選びすんなよ。えぇー……。嫌がらせかよ。やめろよそういうの」

「思わせぶりって……」


 メシ屋だろ?


 まぁ、『そういう営業』もしてるみたいだけどよ。あの部屋の具合知ってんのかこいつ。色気もクソもねぇ。実入りのいい副業ではあるかもしれねぇが。


――いや。


 俺は思いなおして、ピウスに聞く。


「つかぬことを聞くけどよ。ここはメシ屋に『副業として』色事がついてる店だよな?」

「……ああ、異邦人ってそういう勘違いするんだな」

「だってお前、ここの『二階』の造り知ってんだろ?」

「知ってるよ。ベッドがある、、、、、、んだろ」


 何をいまさら、という面を、される。


「評判だよ。布張りのベッドが十台もある、、、、、。しかも全部木枠で猫脚付き。通り一の高級店、、、、、、、だよ」

「嫁入り道具なみの高級品たぁ聞いてるが」

貴族や豪商のな、、、、、、、

「――なるほど」

「『そういう商売』はそりゃいくらでもあるけどさぁ。ここで遊んだら、俺は後の一月は麦粥食って水しか飲めないよ」


 逆に言えば、ここにいる客はそんな額の金を『遊び』に使える客ばかり、ということだ。


「アイツ、マジで、マジで商売上手だったんだぁな」

「リョマぁ、黄昏てんなよ、なぁ……」

「あぁ、まぁ、悪い。うん。確かに俺が悪かったな、これは」

「じゃあさ」

「だが今日は『二階』は無しだ」


 川に落ちたうえ棒で叩かれた犬の顔だな、それ。上手いぞピウス。


「知らなかったンだよ。ここがどんな店か――それ以外にもたくさん、何も、俺は知らない」


 だから聞いておこうってわけだ。『この先』に行く前に。


「店の名前も、町の名前も、国の名前も。場所も季節も暦の読み方も。知らないんだ。『今ここ』までは要らなかったからな」


 だが、もう、違う。


 この店で、あの日パチ公に宣言したように。もうそんな仕事は、辞めるんだ。


 もっとデカい勝負へ。この先へ、今より先へ。もっと前へ、前へ。


「全部聞く。教えろ。――心配すんな、記憶力には自信がある」


 お前がそれを拒否しても、俺は行くぞ。パチ公。


 手を挙げて給仕のねぇちゃんを呼んだが、相変わらずゴミを見る目をされた。

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