救:等価交換


距離にして10mも離れていない。全力疾走でほんの数秒。白月は双剣を抜刀し、身じろぎするウカムルバスの前脚に強烈な一撃を叩き込む。その衝撃でバランスを崩したウカムルバスの顎先を回避し、更に一撃。と、同時に眉間に照準を合わせたマスターが貫通弾を撃ち込む。


背後から飛び出してきた二人に、魔女の王が息を飲むのがわかる。けれどもう戦いは始まってしまった。マスターは振り返り、にこりと笑ってみせた。


「元はと言えば、ワシらが此処に来たことが原因ですざ。貴女が戦うことなんて、ない」


マスターの言葉に、白月が頷く。まだ、まっすぐ見返すことはできないけれど、はじめてやさしく触れてくれたひと。傷ついて欲しくないとおもうのは、自分たちも同じ。

何より、女性を矢面に立たせて後ろで指を咥えてただ護られているなんて、気に食わない。


魔女の王が驚いたように少しだけその美しい紫色の瞳を見開いた。結い上げられた髪が風でなぶられ、ほどける。さらりと流れた黒髪は艶やかで、嗚呼、こんな場面だというのになんと美しいのだろうとぼんやりと意識の片隅でおもった。


二人の意志が多少の言葉では揺らがない強いものだと感じ取ったのか、魔女の王は苦笑を混ぜた微笑で緩く頷く。それを見届けて、白月は双剣を握りしめ身体を独楽のように回しウカムルバスの爪を砕く。回転が終わるのとほぼ同時に榴弾を頭めがけて打ち込む。


「……やれやれ、あの誠実さは眩い限りですねぇ」


魔女の王をかばうように前に出た黄桜が、なんとも感情のこもらない声でそうつぶやく。


『……黄桜さん、』

「ええ、おっしゃりたいことは解っておりますよ」

『では、何故……?』


魔女王の問いに、黄桜は殊更に柔和な笑みを浮かべた。


「お客人の熱意に胸を打たれた……と言っても信じてはくださらないでしょうが、……まぁ、止めはしましたよ、一応ね。それを聞くか聞かないかは個々人の自由でしょうに」


くつくつと喉を鳴らし、暗い表情を浮かべたままの彼女の頬をそっと撫でる。するりとしたすべらかな頬。静かに、音を立てずにその頬にあたたかな雫が伝ったのを黄桜は当然見ていたし、気付いてもいたが、口には出さなかった。


『黄桜さん、』

「ええ、何でしょう陛下。貴女の望む通りに」


見上げてきた紫色の瞳は、もう揺れていない。魔女の王は静かに客人二人の方へ向き直った。視線の先には白銀の巨躯を中空に浮かせたウカムルバスの姿と、のしかかりに似た行動に対応するため素早く駆け出す白月と、着地点を見計らって樽を振るマスターの姿。

これがハンターの姿なのだろう、と黄桜はぼんやりと思った。


やろうとおもえば黄桜はあのウカムルバスを一刀両断できる。が、それをどうやら魔女の王は望んでいないようだ。小さな黄色い桜の咲くこの世界は、黄桜が主だ。だが、当の黄桜は魔女の王の赦しなくその牙を晒す気になれないらしい。ゆったりとした動作も、柔和な笑みも、まったく常と変わらない。


麻痺弾を撃ち尽くしたところで巨躯が震えた。しびれている。その隙に白月は側面から乱舞を放ち、マスターはほぼ正面から貫通弾をしゃがみ撃ちする。連射に伴って弾速が上がる。

1発、2発、3発、全弾撃ちきる前に、ウカムルバスの巨躯が不自然に伸びあがった。空に向かって痙攣するように伸びたかと思うと、糸が切れたように崩れ落ちる。


「シロちゃんお疲れサンバ!」

「ん、お疲れ。なんかそこまで痛くなかったし、下位個体なんかな、これ」


疑問に思いながらもはぎ取ろうとハンターナイフを取り出そうとして、いつもの場所にそれがないことに気付く。あれ、と不審に思ったのはどうやら自分だけではないらしい。相方も同じような動作をして、同じように軽く首を傾げている。その疑念を吹き払うような柔らかな声が二人の耳に届いた。


『おつかれさまでした』


振りかえると、黒の絹糸のような髪をさらりと流した魔女の王の姿。いつの間にか、纏っていた服が変わっている。白い単衣から、とろりとした艶やかなイブニングドレスへと。

肢体の滑らかな曲線が際立つその姿に、白月は赤面した。兎角、女性は苦手だ。


『ですが……


頭上から降ってきた声に、思わず顔を上げる。と、


『貴方がたとお逢いできたのはとても嬉しかったのです、とても、とても』


痛みをこらえるような、魔女の王の表情。身を斬り裂き、潰されていくような痛みを必死に押し殺して、それでもなお笑おうとする、見ているこちらが哀しくなる、そんな表情を。





息を飲んだ。涙を浮かべていないだけで、彼女の表情は哀しみにくれるそれだったから。こういう場面で絶妙にフォローしてくれる黄桜を見るが、彼はいつもの穏やかな微笑を浮かべているだけ。

どうしたらいいのだろうか、と考えるだけで手が震えた。女性は苦手だが、はもっともっと苦手だ。


マスターは魔女の王の表情に顔をしかめた。哀しみの表情を浮かべてなお彼女の美しさは一片たりとも損なわれないが、それでもやはり女性には泣くよりも笑っていてもらいたいというのは男性が持つ本能的な願いに違いない。


「そんな顔をしないで欲しいですな、ワシらは貴女を哀しませたいわけじゃない」


マスターの言葉に、白月も頷く。哀しませたいなんて思ったことはなかった。確かに恥ずかしいし、どうしようもなく戸惑うことだってあったけど、それでも全然不快に感じなかった。あんなにもやさしく触れられたのははじめてだった。


『……ありがとうございます、でも、』


彼女が不意にしゃがみこみ、まっすぐに見据えられる。視界に、きれいな紫色の瞳が映る。そのしなやかな繊手がそぅ、と持ち上がり、頬を包み込まれる。顔に熱が集まる前に、思考が鈍るのを実感した。視界が揺れる。揺れるなかで、紫色の瞳が、嗚呼、きれいだとおもった。










静かに意識を失った白月に、マスターが少しだけ驚く。護身のための動きや反撃の方法も白月には教え込んでいた。意識するしないに関わらず、身体は動くはず。けれど、彼女に頬を包まれ、見つめられただけで気絶するとは。


……?」


伏した白月の頬をもう一度そっと撫でて、魔女の王は立ち上がる。こちらに向き直った彼女に少しだけ警戒した自分を恥じて、強張った身体の力を抜く。

彼女が自分たちに害を為すことはない。何故かそう確信していた。


、』


形の良い口唇がゆっくりと微笑の形をとる。確かに彼女の表情は微笑んでいる。一見してこちらも穏やかになれるような、やさしい、やわらかい微笑。だが、その表情のどこかに哀しみが混じっているような気がしてマスターは言葉を失う。

まっすぐにこちらを見つめてくる美しい紫色の瞳。何処からともなく吹いた微風が彼女の髪を揺らす。さらりとしたその黒髪に触れたらどんなに心地良いだろうと無意識に手を伸ばした。揺れる一房を指に絡ませ、そのつるりとした感触に驚くと同時に感嘆。

するすると指から逃げていく絹糸の髪がとても寂しくおもえて、全てが流れ落ちる前に口唇を寄せる。甘い香りがした気がした。


頬に白い手が触れる。少しだけ冷たい、その温度。

視線でその先をたどると、変わらぬ微笑を浮かべた魔女の王。

例えようもない美しい紫色の瞳が、やさしく見返してくる。吸い込まれそうだ、とおもった。





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