参:魔女の王と世界と鬼と執事と


さらさらと流れる黒髪は艶やかで絹糸のような煌きを纏っている。頬に触れられた指は細く、少しだけ冷たい。とろりとした光沢を宿したイブニングドレスが、肢体の曲線を鮮やかに彩っている。女性特有の、なめらかな曲線。弧を描く口唇、細められた紫色の瞳、細い首筋から肩にかけてのなだらかなカーブ、どのパーツをとってもすべてが完成された美しさで彼女はできていた。


『めずらしいですね、黄桜さんがいらっしゃるとは』


頬に触れる掌に口付けを捧げ、緩く促されると同時に黄桜は立ち上がる。有能な執事がガーデンテーブルにティーセットを準備していた。促され、リクライニングデッキチェアに腰を下ろす。ふかふかのクッションが良い具合だ。


「実は私のところにがいらっしゃいましてね、」


丁度良いタイミングでサーブされた紅茶のカップを持ち上げ、香りを楽しむ。今日はダージリンのようだ。マスカットにも似た爽やかな香り。この香りは、セカンドフラッシュだろうか。


「本日は黄桜さまにクッキーを頂きましたので、ダージリンのセカンドフラッシュにいたしました。珈琲やミルクティーなども用意してございますのでお申し付けくださいませ」


優雅に一礼し控える執事は、相も変わらず有能だ。目礼を返し、本題に戻る。


「どうも違う場所からいらっしゃったようで。しかも無意識に」

『先程の波ですか?』

「おそらくは」

『……そうですか』


伏せられた紫色の瞳がけぶるような睫毛に隠れて、なんとも妖艶だ。ぼんやりとそんなことを考えながら、紅茶を一口。口に広がる爽やかな香りと、ほのかな苦みがバランス良く調和している。


『……さて、どういたしましょうか』


魔女の王は緩く手を組んでテーブルに肘を付き、困ったような、からかうような笑みを浮かべている。その微笑に応えるように黄桜はゆったりと微笑した。


「どういたしましょうねぇ、私としては……まぁ、お客人に約束しましたから、無事に元の世界に帰っていただけると宜しいかと」


白磁のティーカップをソーサーに置き、平皿にきれいに盛られているクッキーに手を伸ばす。アーモンドを砕いて入れたクッキーはサクサクとした触感と、アーモンド特有の香ばしさが口に広がる。良い焼き加減だ、と黄桜は心中で自画自賛した。

黄桜の変わらない表情にも、魔女の王は微笑を浮かべたままだ。有能な執事が主の手元に何かを渡す。大きめな鏡だ。壁に掛けるタイプのもので、周縁には華のような、波のような装飾があしらわれている。彼女が掌で撫でると、ゆらり、揺れたように鏡面がさざめいた。そのつるりとした表面には彼女の姿は映っていない。


和風の座敷と、縁側。庭に小川が流れていて、黄色い桜が咲き誇っている。ひらりひらりと舞う桜の花弁も、座卓で舌鼓を打っている客人も、そこに映っているものは何かがおかしかった。

舞い落ちる花弁がいつまでたっても落ちていかない。空中をただ、ふわりと浮かんでいるだけだ。客人たちに至っては笑顔で料理をほおばっている姿、そのままだ。


『……してきたのですか?』

「陛下にお逢いするのに、時間を気にしていては不敬かとおもいましてね」


彼女の問いかけにも、黄桜の微笑は崩れない。さも当然と言わんばかりの表情に、彼女は今度こそ苦笑した。眼前に居るこの到達者は、複雑なようで至極単純だ。気まぐれで慈愛に満ちた救い手にもなるし、奈落の底に叩き落す悪鬼にもなる。すべては彼の気まぐれだ。何故か彼女のことを『陛下』と呼び、最上級の礼を捧げるくらいには信望されている、らしい。


『……零、』


苦笑を浮かべたまま、彼女は後ろに控えている有能な執事の名を呼ぶ。執事の黒髪がさらりと揺れる。彼女の黒髪に似た艶やかな色だ。


「はい、Lady」

『お客様の故郷はかしら」


敬愛する主の問いかけに、執事は燕尾服の懐からいくつかの紙を取り出す。何かがびっしりと書き込まれているその紙を見ながら、執事は主の問いに答えた。細められた両眼は、彼女と似ているようで違う。少しだけ黄色みが混じっている。


「……現在は龍歴院という組織に所属し、大型モンスターを狩猟する狩人ハンターと呼ばれているようです。大型モンスターや古龍と呼ばれる異形のモノを武器や防具を鍛えて狩る、そのような世界であるようです」


執事の説明を聞きながら、また彼女は鏡を撫でる。ゆらり、鏡面はさざめいてまた違うものが映る。青く抜ける空に浮かぶ大型気球。後方にはプロペラがついており推進力を持たせているようだ。気球は3つあり、それぞれ子船と足場でつながっていて、甲板の上には多種多様な人影が見える。


『……みちことはもちろん可能ですが、あまり世界へ干渉するのは憚られますね』


ほんの数秒鏡面を眺めていた彼女が、苦笑の色彩を濃くしながら告げる。静かに、ゆっくりと伏せられていた瞳が持ち上がる。神秘的な紫色の瞳が、まっすぐに黄桜を見ている。腰のあたりからぞわぞわと背筋に這いあがってくる寒気にも似た高揚感を、黄桜は無視しなかった。が、表情には出さなかった。紅茶を飲む仕草で、内側にある業火の熱をやり過ごす。


「……お客人も、どうも常人ではないようですが。

 その辺りからどうにかできますかねぇ」


カップをソーサーに戻す仕草は全くよどみがなく、なめらかだ。浮かべた微笑もいつもの彼だった。魔女の王はそれに気付いているのかいないのか、やわらかい微笑を浮かべたままだ。正直なところ、彼女にとってみれば黄桜のところに客人が迷い込んだとしてなんの影響もないのだ。それによって彼女に利がもたらされるならばともかく。


「……Lady、こちらを」


黄桜の言葉を聞き逃さなかった有能な執事である零は、一枚の紙を主へ差し出す。

その紙を受け取り、一瞥すると今度こそ彼女ははっきりと苦笑した。


ですか……それならば悠長なことは言っていられませんね』


白い指が紙をなぞる。そこに記載されていた内容は黄桜からは見えない。


「何か問題でも?」

『……問題というほどではありませんが、お客様には速やかに帰っていただくべきでしょうね。

 黄桜さんのところに居る間はそれほど影響はないでしょうが、先程の波のこともありますし』


柳眉が少しだけ寄せられている。浮かべられている微笑は変わらないが、ほんの少しだけ精彩に欠けているようにも見える。……迷っている?


「Lady、いっそ直接お逢いになってはいかがでしょうか。

 その上で見極め、お決めになっても宜しいかと存じます」





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