陸:取引


店内を奇妙な沈黙が支配している。マスターは彼女の言葉を理解しようと頭をひねらせている。何かを差し出す。此処に居たいなら居てもいい。……理?

ふわりと、コーヒーとは違う芳香が鼻をくすぐる。渋みのある香りだ。香りの発生元を求めて視線を彷徨わせると、店主である黄桜がカウンターの内側で煙管をくゆらせている。

マスターの視線に気づいたのか、黄桜は穏やかな微笑を深くするとカウンターの上に置いてあった煙草盆にぽん、と灰を落とす。


「世界に於いて、世界が世界として存在するためにはいくつかの絶対的なルールがあります。正直なところ、それらを無視することも可能ですがそうしてしまうと本質の変化が起こる可能性がありましてね。

 なので偶然とは言え此処に来てしまった貴方がたを元の世界に戻すためには、何かしらを私や陛下に支払っていただく必要があるのですよ」


苦笑しながらの補足説明に、なんとなくわかったような気がした。


「何かを得るために何かを対価として支払うということですかの?」

『パンを得るために硬貨を差し出す、と言えばわかりやすいでしょうか』


マスターの言葉に付け加えるように魔女の王は言葉を紡いだ。視線を戻すと、神秘的な紫色の瞳とかち合う。惹き込まれそうなその淡い輝きに、どきり、鼓動が跳ねる。


「そうだ、陛下、こういうのはどうでしょうかねぇ」


カウンターの内側からゆったりと黄桜が声を投げる。その声に促されるように魔女の王とマスターは視線をそちらに向けた。


「私自身、お客人の居た世界に興味があります。私が別の世界に干渉するのは大して制約がないのですし、私があちらに渡る時にお客人に戻っていただいては?」


黄桜の浮かべている笑みが、悪戯を仕掛ける前の子供のようにきらきらとしている。到達者というのはその前身ゆえか探求心が異常に強い。以前は鍛冶に興味を持ち、ドワーフの居る世界にまで足を延ばして包丁を作ってきたことがあった。それを思い出したのか、魔女王は少しだけ嘆息した。


「お、それは面白そうですな。どうせなら一緒に狩りに参りましょうぞ」


黄桜がどのようにしてモンスターを狩るのか正直興味もある。立ち居振る舞いからして相当の実力者だというのは解っているが、古龍や大型モンスターを相手にどのように狩りを進めていくか。想像して、つい口元が緩んでしまう。


『……現状ではそれが一番でしょうが、それでは等価とは言えないでしょう、黄桜さん』

「それもそうですねぇ」


うーん、と唸る黄桜に、マスターは何かを思いついたようにぽん、と両手を打った。


「では、黄桜さんがハンターとしてある程度慣れるまでワシらがサポートするというのはどうですかの?更に古龍や大型モンスターに対する立ち回りも教えますぞ」

「ほぅ、やはり一筋縄ではいきませんか」


黄桜とマスターが同じような表情でにやりと笑う。黄桜はカウンターから出ると、静かに手をマスターに差し出した。


「最初からおもっていましたが、貴方とは気が合いそうですね。このご縁が末永く続くことを祈っていますよ」

「そう言っていただけるとうれしいでさァ、いやはやこんなところでこのような出逢いがあるとは何があるかわかりませんの!」


差し出された手をがっしりと握りあい、アイコンタクトを取る。その様子を見ながら、魔女の王は少しだけ苦笑したようだった。。似たような雰囲気の二人が意気投合するのを少しだけ微笑ましくおもいながら、彼女はあることに気付いたように顔を上げた。




じっと見つめてくる視線。興味深く、敵か味方かを探るような、或いはただただ純粋に相手を観察するような。鋭いわけでもない、厳しいわけでもないその視線。

トイレと言って中座し一向に戻ってこない相方を怪訝に思った白月が、その姿を探してこちらに来たのだろう。そして黄桜や魔女の王と会話しているのに気づき、声をかけようとして会話を中断させるのは失礼だと自戒したところで、初めて見る女性の姿に目を奪われてしまった。


緩く結い上げられた髪は黒絹のように艶やかで、額やうなじにこぼれている後れ毛がはっとするほど美しい。白い象牙の肌に長い睫毛で縁取られた紫色の瞳。視線に気づかれ、苦笑を浮かべていた彼女がゆっくりとこちらを向く。

ばち。音を立てるような勢いで目が合う。ゆらりゆらりと扇情的な光を称えるアメジストの瞳が、自分を見ている。少しだけ首を傾げ、浮かべていた微笑を深くされる。


「あ、あぅ、」


思わず口から言葉にならない声が漏れる。全身の血液が逆流したんじゃないかと思えるほど鼓動が奔る。え、なにあのひと、きれい。俺を見てる、あのきれいなめで。おれを?おれをみてる?え、あ、あ、ど、どうしよう、どうした、ら、あ、


顔と言わず全身が真っ赤に染まるのを自覚する。思考もめちゃくちゃで自分では制御できない。


「あ、ああああぁぁぁああ!」


悲鳴に近い叫びをあげ、白月は長年の付き合いがある相方のところへ走った。距離にして3mほど。だがその距離が永遠にも感じるほどパニックに陥っているのは自覚していた。

半ば飛び込むようにしてマスターの腰元に抱き着く。顔を埋め、ずっとずっと昔から(物心ついた頃から)嗅いでいた匂いに少しだけ安心する。


抱き着かれたマスターは特に驚く様子もなく、苦笑した。


「失礼、シロちゃんは女性に免疫がないもので」

「いえいえ、陛下が美しいのが悪いのです。白月さんは悪くありませんよ」





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