癒えぬ痛みさえいとしい青春のなかで


だれにだって、幻のような記憶があるのでしょう。懐かしさに心がふるえたり、思い返すたびに胸が締めつけられるような記憶が。

ふるいにかけられながら、すこしずつ手のひらから零れてゆく記憶。いつしか靄がかってしまった思い出。それらが風化していくのは仕方のないことなのかもしれません。
ですが、胸の奥ふかくで化石となってしまう記憶があるのなら、蕾がほころぶようなものだってきっとあります。

この物語の主人公である刻都--彼にも、思い出せないけれどたいせつな記憶がありました。悠伽という少女。六年前の事件。そのとき、彼女がほんとうに伝えたかったこと。


この物語を読み終わってしばらくのあいだ、雨の降る夕方、とても長い夢からさめたような切なさに溺れていました。
あの白い花を、彼女の鳴らす音を、私は知っているような気がするのです。

青春のうちに負った深い傷は、もしかすると一生かけても癒えることはないのかもしません。それでも、と思います。

遠い場所にたたずんでいた悠伽は、刻都に憶えられていたことで生きてゆけた。うつろう歳月のなかで、その事実はやさしい陽だまりのような記憶となって、彼らふたりの心を癒やしてくれるのではないでしょうか。

『ありがとう』

悠伽が彼に告げた最後の言葉を、私も信じていようと思います。


最後になりますが、ほんとうに執筆お疲れさまでした。やさしく照らしだすような音海先生の物語が、これからもずっと大好きです。