復讐心、それは「自分を不幸にした相手にも同じように不幸になってもらうこと」を願う、人間の深いふかいところに根差す、黒くて汚くてまるで灼き切れた鉄みたいな匂いのする感情で、本来は直視するに堪えないものであるはずです。
この物語の登場人物は、そういう人間の黒くて汚くて焦げ臭い部分を恥ずかしげもなくさらけ出して、泣いて喚いて、自分の心の傷を見せびらかして、そのくせ他人を平気で傷つけて、かつて愛していたはずの相手の不幸を願って、そしてそんな自分を嫌になってたりして、ほんとうに真っ黒で汚くて焦げ臭い心の持ち主ばかりで——それなのに、どうしてこの物語がこんなにも心を打つのか、僕はどうしても言葉で説明することができません。
とにかく、みんな弱い人間です。タイムマシンに頼った月乃だって、自分の心を守るために自分より弱い相手を傷つけることしかできなかった松波だって、みんな弱い人間ばかりです。だからでしょうか。弱い心をさらけ出して、つまづいて転んで血を流しても、それでも何度でも立ち上がり前へ走り続ける、求めるものを追い続ける、そんな「諦めの悪さ」、「一生懸命なひたむきさ」というものが、世知辛い現代社会で擦れ切った僕の心に再びあたたかな火を灯してくれるんでしょうか。
太陽光のような強さではなく、月光みたいな弱さ。ほのかな月の明かりの中で輝く星たちのように研ぎ澄まされた光を放つ——そんな月乃たちが、そんなこの物語が、僕は好きです。
最後に一言、
松波め俺がこらしめる前にくたばるのはゆるさん
このお話にでてくるひとたちは、みんな一生懸命で、でも素直になれなかったり、たぶんほんとうは傷つけたいわけじゃないのに相手を傷つけたり、とにかく器用ではありません。
主人公の雪村月乃ちゃんは、おはなしのなかで、たびたび「無敵ボタン」なるものを押します。たとえばこんなふうに。
>--もう、何も考えるな。ボタンを何度だって押す。何度だって、何度だって、わたしは。
こころのなかにあるボタン。これで私は何があってもだいじょうぶ、というボタン。
そんなの押さなくていい、むりしておさなくていい、あなたが犠牲になる必要はないのだと、アストロは教えてくれました。アストロは、というか彼は、やさしくて勇ましい男(?)です。
作中でだいすきな台詞、はっとする言葉はたくさんたくさんでてきますが、なかでも、ここがすきです。
>松波は悪くない。悪者のいる物語は苦手だ。
>「……俺はあなたがすきです。強いところも、優しいところも、そのまっすぐなところも」
月乃ちゃんは、松波はわるくない、自分に余裕があるときはだれだって優しくできる、と言います。それはそうだけど。
月乃ちゃんががんばる必要ないよ、とやっぱり思います。松波も月乃ちゃんも、がんばりすぎだよ。えらい。ふたりとも抱きしめたいです。
このお話のなかで生きるみんなは、やさしくて、いろんなことを背負い込みすぎていて、もっと頼ってよ、と思ってしまうくらいです。
大事なのに、なんでちゃんと大事にできないんだろう、と思うことがあります。大事なら、傷つけたらだめなのに、でもどうしようもなく相手を傷つけてしまうことがあります。
この「月の弱き」というお話は、やさしくて、あたたかくて痛くて、やっぱりやさしいおはなしだと思います。
こころが弱ってしまったとき、いろんなひとに優しくできなくなったとき、そういうときに私はまた「月の弱き」を何度でも読みたいです。同時に、たくさんのひとにこのお話が届いてくれることを願っています。
青葉さんのおはなしはどれもやさしくて素直できらきらまぶしくて、夢のなかにいるみたいです。でもそれだけではありません。この物語(にかぎらずですが)には、ひとの弱い部分も、うしろに隠していた感情も、たくさん存在します。なにかを抱えながら前をむいて、わたしたちが生きる場所はここだよ、と示してくれます。
このお話がだいすきです。この物語が読めて、私はしあわせでした。
最後に、青葉さん、「月の弱き」を
書いてくださってほんとうにありがとうございました。月乃ちゃんと松波が、いつかどこかでわらっていますように。