第8話 謎解き姫は両想い?

 バサバサッ。



 音のした方を見やると、ちょうど窓の外の木にカラスが止まったところだった。


 くちばしに何やら光るものをくわえて、せわしなく周りを見回している。


 ふと、祐希が解決した富田氏の万年筆事件を思い出す。昨日のことのはずなのに、ずいぶんと前の事のように感じられる。



「……野。森野」


「はい?」


「『方丈記』の作者は誰だ?」


「え、と。鴨長明です」


「正解。授業中は前を向きなさい」


 そう言って古典の中田先生が微笑んだ。


「『方丈記』は日本三大随筆の一つで……」



 再び、中田先生の声が遠くなる。ちらりと斜め前の席を見やる。祐希はまだ戻ってこない。


 そして、僕の前の席もさっきから依然として空席。


 

 ガラリ、と中田先生の説明する声を遮って、教室の扉が開けられた。中田先生が板書しながら問う。


「笠原。川崎の様子は?」


「少し休めば落ち着きそうです」


 そう言いながら蒼羽はちらと僕を見、そして何事もなかったかのように席に着いた。



「川崎、祐希」



 周りに聞こえない程度に呟く。蒼羽の背中が目の前でピクリと動く。


 どうやら蒼羽には聞こえてしまった様だ。

 


 ──私ね、秀介が好き



 先程の祐希の言葉が蘇ってきた。


 祐希は、僕のことを好いてくれている。


 僕は? もちろん彼女の事は好きだし、可愛いと思う。


 だが、恋愛対象として見たことはなかった。それは他の女子に対してもそうなのだが。

 

 僕は他人と関わったり、相手の気持ちを考えたりすることが苦手だ。


 こんな奴と付き合っても、きっと楽しくない。


 祐希のためにも、ここは断ろう。


 む。待てよ。


 祐希は「好き」とは言ったが「付き合って」とは言わなかった。


 とすれば僕は何も案ずることはないじゃないか。


 よし、授業に戻ろう。



「……キリが良いから、今日はここまで。はい、号令」


「起立。礼」



「「「ありがとうございました」」」



 ……いつの間にか、終わっていた。仕方ない。ノートは誰かに見せてもらおう。


「秀介、川崎んとこ行くぞ」


「は?」


「は、じゃない。ほら急げ」


 僕の襟をガシッと掴むや否や教室を飛び出し、あっという間に保健室の前。


「後は、お前と川崎の問題だ。あれはここで待ってるからな」


「……分かった」


 首が痛かったし、他にも言いたいことは沢山あったが、ここは素直に引き下がる。



 コンコン。



「失礼します」


「あら、あなたはどうしたの? 今日は一年生の日ね」


 クスクスと笑いながら西沢先生が応じてくれた。


「川崎さんの様子を……」


「ああ、そうだったの。でも今は眠ってると思うわ」


「そう、ですか」


 では仕方ない、と教室に戻ろうとすると、



「秀介……?」


 どうやら起こしてしまったらしい。


「起きたみたいね。川崎さん、入ってもらっても大丈夫?」


「……はい、お願いします」


 シャッと少しカーテンが開けられ、僕は祐希の枕元に立つ。


「祐希、大丈夫?」


「うん。わざわざ来てくれてありがと」


「蒼羽に連れて来られてね。えっと、何から話せばいいんだろう……」



 ピロロロロ……。



 突然、電話が鳴った。


 ビクッとして振り返ると西沢先生が応対している様子が目に入る。


 二言、三言話したかと思うと、


「ごめん。ちょっと急用できちゃった。30分くらい空けるね」


「あ、でも僕達も授業が……」


「秀介、今日職員会議あるから、五限終わりだよ」


「え? 嘘、そうだっけ?」


「そんな訳だから、しばらくよろしく」


 パタパタと慌ただしく西沢先生は出て行った。




「あのさ、秀介が好きな子って、誰?」


「へ?」


「いや、笠原がそんな感じの事を言ってたから気になって」


「蒼羽が? 僕は好きな子なんていないよ」


「……良かった。あ、あのさ」


 顔まで毛布を引き上げて、目から上だけ出た状態で祐希は続ける。


「さっき、言いそびれたんだけど。わ、私と、付き合ってくれませんか」


「え?」


 一瞬、思考が完全に停止した。


 さっき「僕は何も案ずることはない」って結論出したばかりなんだけど……。


「えーっと……。僕は人と関わるのが苦手だから、一緒に居ても楽しくないと思う。祐希に好きになってもらったり、付き合わせてもらったりする資格もない。きっと祐希の為にも、僕はやめた方がいいと思う」


 祐希を悲しませてしまうことは、十分に分かっていた。


 それでも、これだけは伝えておきたくて、しっかりと、祐希の目を見て言った。


 途中から、彼女の目に大粒の涙が浮かび、こぼれ、また浮かび、こぼれた。


「一緒に居て、楽しくないとか。もっと他に良い人がいるとか。そんなこと言わないでよ。私は、秀介がいいの。秀介じゃなきゃ嫌なの」


 グッと身を起こしながらそう言うと、祐希は僕に抱きついてきた。


「ちょ、祐希!」


「秀介は、私といて、楽しくない?」


 一緒にミルフィーユへ行ったこと。


 富田氏の事件について考えたこと。


 手をつないで帰ったこと。



 祐希と過ごした時間が、次々に頭に浮かぶ。



「……楽しかった。人と関わるのは嫌いだったけど、祐希と話してるのは楽しかった」


 どうやら僕は自分のことも分かっていなかった様だ。それなのに祐希のためだとか……馬鹿みたいだ。


「ごめん。誰かと居て楽しいとか、誰かともっと時間を共有したいとか。そう思えることが『好き』ってことなら、僕も、祐希のことが好きだ。」


 おそるおそる、祐希の頭に手を載せる。


「ありがとう」


 そう言って、祐希は一度、僕は体を離した。


「じゃあ、さっきの質問もう一回。私と……」


「ストップ。それは僕に言わせて」


 祐希の肩に手を置いて、涙に濡れてしまった瞳を見つめる。こんなこと、本の中の世界でしか知らない僕の、勢一杯の一言だ。



「僕と、付き合って下さい」



 もう、彼女の瞳から涙がこぼれることはなかった。


「はい」


 少しだけ、頬を赤く染めて、恥ずかしそうに、でもはっきりと祐希は答えた。


 それから、ふにゃっと笑って僕の首に腕を回して軽くハグすると「大好き」と囁いた。

 


 窓から差し込む夕陽が、優しく僕らを包んでいた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る