第3話 謎解き姫は豪邸で
塩田刑事が富田邸へ歩いて行くのをみると、富田氏の家で話を聞くことになるようだ。
富田邸は漫画で見るような大豪邸、ではなく、こじんまりとしたオシャレな洋風の建物だ。
とはいえ、ざっと見た感じでもお金がかかっていそうだから、豪邸には違いない。
壁はほとんどがレンガ造りで、ヨーロッパの街に迷い込んだようだ。
レンガ=ヨーロッパの感覚は安直すぎるだろうか、と思っていると、隣で祐希が「メルヘンだー!エキゾチック!」と感動していて軽い頭痛を覚える。
塩田刑事の説明によれば、富田氏の万年筆が消失したとのことだが、何故警察沙汰になっているのだろうか。
僕は家でペンを失くしても警察は呼ばない。
「ここが事件の現場」
塩田刑事に案内された書斎では、数人の警官と青白い顔でせわしなく歩きまわっている富田氏の姿があった。
詳しく聞いてみると、富田氏が小説を執筆していて、少し居眠りをした五分から十分程の間に、確かに机の上にあったはずの万年筆が無くなったのだという。
「はーい!」
思いっきり場違いな明るい声と共に祐希が手を挙げた。
警官たちの「何だこいつ?」という痛い視線をものともせずに質問する姿はある意味尊敬に値する。
もっともこの図太さを羨ましいとは思わないが。
「どうして万年筆一本でこんなことになっているんですか?」
訊きたかったことは祐希がしっかり訊いてくれたので、僕は黙って傍観者になることを決める。
「実はその万年筆というのが国宝クラスの
その国宝クラスの万年筆で小説を書いていたのか。金持ちのやることは分からない……。
「で、その容疑者として挙がったのが……」
「わぁ!ネコちゃんだ。かーわいー」
塩田刑事の説明は見事に祐希に遮られた。どうやらこの家には猫がいたらしい。
「祐希……」
「あ、ごめんなさーい」
ペロッと舌を出して謝る祐希。
しかしその数秒後、足元に擦り寄ってきた黒猫と猫パンチを交わし合い始める。
僕は帰りに頭痛薬を買うことを黒猫の首輪に付けられた鈴の
「いや、いいんだよ。えーっと何処まで話したっけ。そうそう、容疑者だ。野口
ミルフィーユが臨時休業だった謎が解けた。
流石に身内に盗難の容疑者が出たとあっては通常通りの営業は難しいだろう。
ちらりとネコと
あと、手の甲に青筋立ってるぞ。
好きなスイーツショップの店員に疑いがかかって怒り心頭なのはわかるけど。猫がかわいそうだ。
「彼は推定されている犯行時刻、今日午前10時30分から11時にかけての約30分間のアリバイが曖昧でね。加えて富田氏の机の上の原稿用紙にはミルフィーユの商品のものとみられるクリームが残っていた。彼自身は犯行を否定している」
刑事の顔でスラスラとよどみなく説明してくれる塩田刑事に一人感心する僕を置いて、祐希はネコの腹をくすぐりながら質問を重ねる。
「犯行時刻のアリバイについて、野口さんは何と?」
「売り物にならなくなったケーキ類を処分する為に、この富田邸の庭に面しているゴミ捨て場にいたと証言している。あと、処分した商品にたかっていた野良猫やカラスを追い払っていた、とも」
「庭に足跡は残っていませんでしたか?犯人の持ち物とかも」
と今度は僕が尋ねてみる。傍観者は、楽だが退屈だ。
「日本の警察もそこまで落ちぶれちゃいないよ。その辺は手抜かりなし。足跡は富田氏のものしか見つからなかった。彼は数年前に奥さんを亡くしていて、今は使用人を雇うこともなく、一人暮らしだ。昨夜は雨だったからね。誰かが歩いて足跡が残らないはずがない。現に僕が今日ここに来て歩いてみた時ですら足跡が残ったよ。ただ、逆に犯人がどうやって窓までやってきたのかが謎なんだ。加えてこの書斎は二階。雨どいもないし、いくらレンガでもそうたやすくは登れない」
「不可能犯罪……?」
「空でも飛べない限り、ね」
こんなジョークが出てくるということは相当行き詰っているな。それにしてもミルフィーユ側、庭からが無理となると……。
向かいの森だろうか。富田邸は
「黒羽之森から、というのは流石に無茶苦茶ですよね?」
「うーん。森ねぇ。距離がありすぎるんだよなぁ。それにカラスの巣窟。今ちょうど繁殖期だから、気が立ってて森に近づくのすらも難しいと思う」
やっぱり僕の手には負えない。頼みの綱は……と隣を見ると、遊び疲れた(?)のか、すーすー寝息が聞こえる。
長い髪で顔は見えないが、熟睡しているようだ。恐らく糖分不足だろう。今日はもともとスイーツを食べに来たのだから。
「祐希も限界みたいなので今日は失礼します。お役に立てなくてすみませんでした」
「いやいや、僕の方こそ無理言っちゃって、悪かったね。気をつけて帰りなさい」
全く、どこまでも良い人だ。この顔で、この性格でモテないはずはないのに独身だというから驚きだ。
前に結婚は考えていないのか、と訊くと、「刑事って仕事は何時死ぬか分からないから下手に悲しませる人を作っちゃいけないんだよ」とサラッと言っていた。
こういう言葉が
「ほら、祐希、帰るよ。起きて」
「えー。秀介、背負って」
割とすんなり起きてくれたものの、自分で帰る気はサラサラないらしい。
「あのさ、そう言うのは彼氏とかにやってもらって」
「……彼氏いないもん。ってか作る気ないし」
「それは別に構わないけど、とにかく自分で帰ってよ。家まで送るから」
「んー。じゃあ手繋いで帰ろ」
「断る。高校生にもなって何でそんな」
「じゃあ背負ってね。手繋いでくれないなら歩かない」
要求が幼稚園生並みだ……。このままでは
「……分かった」
「やったー!」
意気揚々と帰り支度をして右手を差し出す祐希。無言でその手を掴み、なるべく祐希の勝ち誇った顔を見ないようにして歩く。
祐希の手は、とても細くて、ちょっとでも力を入れたら折れてしまいそうだ。
小学校の方から帰宅を呼び掛ける音楽が流れてくる。
「ねぇ、これなんて曲だっけ?」
繋いだ手を、くいくい、と引いて祐希が尋ねる。
「七つの子」
「ああ!それそれ。カラスの歌だよね。カーラースーなぜ鳴くのー、って」
狙い澄ましたかのように頭上を通り過ぎていくカラスの群れを見ながら僕はうなずく。
ふふっ、と笑ってきゅっと手を握り直した彼女を、少しだけ可愛いと思った。
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