第2話 謎解き姫はスイーツがお好き

「ねえ、どっちがいいと思う?」


 甘い声って、食べ物に例えたら生クリームになるのだろうか、という訳の分からない疑問と共に、僕の読書は中断させられた。


 仕方なく本から顔をあげると、目の前にはぱっちりとした瞳、マシュマロを思わせる白い肌、そして腰ほどまである黒髪の美少女の顔。


 正確にいえば「美しい」より「カワイイ」という形容詞が相応しい。


 僕は彼女の顔を見る度に、いったい何人、いや何十人の男達に溜め息をつかせてきたのだろうと思ってしまう。


 ちなみに僕が彼女の美しさに関して溜め息をついたことはない。

 むしろ彼女の言動に溜め息をつかされてばかりだ。


 詳しいことは後々分かってくるだろうから、ここでは必要最低限に留めておこう。


 彼女の名前は川崎かわさき 祐希ゆき。先程から述べている通り、いわゆる美少女だ。会話に戻ろう。


「何が?」


「ミルフィーユの新作。和風抹茶小豆シフォンかビターチョコムース。どっちも美味しそうなんだけど……」


 状況は分かった。ちなみに、ミルフィーユは彼女のお気に入りのスイーツショップだ。


「僕に聞かれても困るんだけど。どっちも買うって選択肢は?」


「ない。今月お小遣いピンチなの。うーん。どうしよう……」 


 長くなりそうなので再び本に目を落とす。



 が、一行と読まないうちに現実に引き戻される。


「そーだっ!秀介が片方買って半分ずつ食べればいーじゃん!」


 秀介、というのは話の流れから理解してもらえると思うが、僕のことだ。



 森野もりの 秀介しゅうすけ、これといって秀でたものはない(これは客観的事実だ。名前に『秀』とあるだけで特技が身に付くなら誰も苦労はしない)、ごくごく普通の高校一年生である。



 ……ってちょっと待て。何で僕まで買うことになっているんだ!?



 慌てて反論を試みるが、彼女は既にお願いモード。


 完璧なまでの上目遣い。


 彼女の可愛らしさには屈しないが、かといって困っている人間を無視できる程、僕の心は強くない。


 そして長年の経験から、彼女への抵抗は愚行だということは分かっている。


「……分かった」


「ありがと!秀介大スキっ!」


 抱きついてくる祐希をやんわりと引き剥がし、鞄に教科書を詰め込む。



 このやり取りが放課後で本当によかった。


 こんなところを見られたら男子からは憎悪の、女子には軽蔑のまなざしを向けられる(後者は主に祐希の方に、だが)こと必至だ。


 運が良いのか悪いのか、今日は部活(一応茶道部である)が休みだったのでそのままミルフィーユに向かう。


 ただでさえカップルに見られてしまう(誤解のないように言っておくが、僕としては不本意だ)うえに、祐希が「手、繋ぐ?」などと茶化してくるからたまったものではない。


 男女のペアを見たらすぐに「カップル」だの「リア充」だのと認識する日本人のDNAを恨みつつ、一人足取り軽くスキップしていく彼女の後を追う。


 ミルフィーユに着く頃には心がボロボロだった。


 そんな僕に更に追い打ちをかけるかのように、ミルフィーユの裏の大富豪、富田氏の家にパトカーと人だかり。


 僕は人混みが嫌いだ。大勢の同時に話す声を聞いていると、気分が悪くなる。


 ドサリ、と不意に祐希の方から学生鞄が落ち、猫のキーホルダーが大きく揺れる。


 そうか、彼女も人混みが嫌いだったか、とほんのわずかに親近感を覚えたが、どうやら少し、いやかなり違ったらしい。


 彼女の視線の先には、ミルフィーユの


 よくよく見れば、そこに「臨時休業」の貼り紙。


 マズイ……と祐希の顔を覗き込むと、案の定、表情は凍りつき、目だけが異様なまでに見開かれている。


 そして明らかな殺気。



 祐希はキレると危険だ。


「怖い」ではなく「危ない」。


 手当たり次第にものを破壊し、一度キレると手がつけられなくなる。



 僕は慌ててあたりを見渡す。


 助かった。


 アイスの自動販売機が目にとまった。



 ダッシュでイチゴ味を買ってきて、彼女の口に突っ込む。


 なんとか間に合ったようで、凶暴な悪魔は天使の微笑みを取り戻した。


「130円貸しだからね」


 一応言ってみるが、天使の微笑みの前では風前の灯火ともしび


 ご丁寧に小首をかしげて実に可愛らしく「ん?」と聞き返される。


「……何でもない」


 僕にはあきらめるという選択肢しか残されていない。



 溜め息をついていると、「おーい」と聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。


 塩田刑事だ。

 以前祐希と二人で(実質的には祐希が一人で)彼が捜査していた事件を解決して以来の付き合いだ。


 ……別に僕が警察のお世話になったことがある訳じゃない。


 初めは僕ら一般人の介入を快くは思わなかったようだが、最近は「市民の声を聴く」という名目で、お茶に誘われたり、たまに事件について意見を求められたりする。(ここだけの話、祐希の父親は警察庁のかなり上のほうの人物らしい。それがこの優遇に関係しているのかは、わからないが)。


「いやぁ、丁度いいところに来てくれた。実はまた少し知恵を借りたいんだけど……」


 『職務怠慢』、『守秘義務』という言葉が僕の頭の中で踊る。



「富田氏の所ですか?」


 先程のパトカーと人だかりを思い出して尋ねてみる。


「ご名答。実は富田氏の……おっといけない。少し場所を変えようか。順序が逆になっちゃったけど、協力してもらえるかい?」


殺人ころし以外ならいいですよ」


 いつの間にかアイスを食べ終わっていた祐希が口を挿む。


 いや、殺人だったら女子高生に頼んだりしないだろ。


「なら決まりだ」


 パチンと指を鳴らして微笑むと、塩田刑事は歩き始めた。


 いつも少しやつれているような感じはするが、割とイケメンなほうだと思う。少なくとも僕なんかよりはずっと。


 すらりと背が高く、祐希と並んで歩いていると実に絵になる。


 さしずめ僕は召使いってところか。そんなことを考えながら、二人のあとを追った。





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