第2話 ぶっ壊す少し前

時間は数日巻き戻る。


「と、いうわけでじゃ。グレヴナー家の紋章について、裁判の結果違反紋章であると認定が下った」

「おっ、姫様!てことは祭りですな!」

「そうじゃな。ま、少し準備は必要じゃが……」

「っしゃ。んじゃ姫様、俺らは準備してくるぜ」

「ああ、そうじゃな」


いかにもあらくれ、といった風情の体格のいい男たち十数名を前に、体積だけなら半分ほどしかないような赤い長髪の少女が朗々と裁判の結果を読み上げる。

セルクシノイ・ホノラブル・マティルダ・ミットフォード。御年17歳の紋章官ヘラルドである。

意志の強そうな子猫を思わせる赤茶の瞳、身の丈ほどの長い赤髪。いかにもクセの強い風貌だが実際にクセが強い。言ってしまうならばアクも強い。


「んー終わったかー」

「やっと起きたか寝坊助め。もう説明も全て済んでおるぞ。皆は準備へと向かった」

「ふあぁ。で、このグレヴナー家の紋章の何が問題なんだよ……たかだか紋章が被っただけだろ?」

「阿呆。それのどこが『たかだか』じゃ。大問題じゃぞ」

「ほへー。……セーブル地にアルジャント立ち逆向きランパント・リガーダントホース?よくあるモチーフじゃん……」

「ほほう、よく覚えておったのう。ただ、これはグロンドマン家の掲げる紋章と全く同じだ、という申立を受けての裁判だったのじゃが?そのあたりも忘れてしまったわけではあるまい?」

「いや覚えてるけども……でも破壊までするのか?」

「何度言わせるんじゃ。紋章というのは戦場でのしきたりじゃ。『同一主権内での同一性』というのは大切じゃと何度も何度も教えたはずじゃが?」


黒髪の青年は眠たげな目をこすりながら書類に記された紋章の写しを眺める。

実際、申立人のグロンドマン家と被申立人のグレヴナー家の紋章は全く同一だった。

かろうじて紋章に添えられた題目モットーだけグロンドマン家が『DULCIUS EX ASPERIS苦難を抜けて甘露へ』、グレヴナー家が『SCIO ME NIHIL SCIRE我、無知を知る』と異なっていた。

紋章裁判の結果を見る限りその題目モットーは皮肉でしかなかったようだが……。


「でもなんでまた破壊なんて話になんてなるのさ」

「ただすげ変える、というだけでは意味がないからの。違反紋章というものは全て破壊せねばならんのよ。儂らの仕事というのはそういうものじゃよ」

「何もかも、すべて、ねえ」

「そうじゃよ。理由あってのことではあるがの。しかしグレヴナー家が意固地にならず、紋章裁判でさっさと和解しておればここまでの事態にはならんかったんじゃぞ」

「意固地?」

「紋章を下賜してもらったのはいいのじゃが、嬉しさのあまりそれを精査せずに付けてしまったのが大きな原因じゃな」


曰く――

グレヴナー家は下級貴族であり、もともとの紋章も違うものであったらしい。

それが3年前にちょっとした功績を上げ、その褒賞の一つとして新たな紋章を下賜された。

その紋章が今回の「黒地に銀の立ち逆向き馬」であった。

どうもあまり出入りの紋章官などに相談せず決めてしまったらしく、紋章が全く同じである、という事実の発覚が遅れたようだ。

そうなるとどうなるか。


紋章裁判にかけられることとなる。


紋章裁判というのは書いて字のとおりであるが「紋章に関する時のみにだけ開廷される裁判」であり、一般の裁判とは違い紋章院が裁判官を務める。

比較的民主的に見えるが、その実、もうすでに結果の決まった裁判しか行われることはない、とされていた。


「大抵申立人なり被申立人なりが根回しを済ませておってな。その場で再度の紋章下賜が行われ、与えられることさえ珍しくないのじゃ」


そう、ほとんどの場合裁判の時点で『両者の合意がある程度行われている』ため、裁判はあくまで『公的なお墨付きを与えるため』の行事に過ぎない。

ゆえにこじれることはほぼ皆無。グロンドマン=グレヴナー裁判が完全にイレギュラーであるといっても過言ではない。


「グレヴナー家が強硬に反対したものじゃからのう……3年ぶりに紋章院の強権を発動せざるを得んかったわ」

「そんなに」

「もらったもんじゃから他からぐちぐち口出されたくない!というのはよーくわかるんじゃがの……」


紋章院に認められた権利として「紋章の管理」「紋章裁判の開廷」、そして「紋章に関する件についての強行権」がある。

「強行権」といっても裁判の決定権だけではなく違反紋章の破壊権までを包括する非常に強権的なものである。

そう、紋章院は「」のだ。


「まあ、紋章破壊云々の話にまでなることなぞ稀じゃがの」

「珍しいんだ」

「調べてみたら先代にはおらなんだわ。先々代のころに1件あったっきりじゃの。血が沸くわ」

「蛮族かよ」


武具、家具、調度品、筆記具、果ては家屋まで。およそ全て「違反紋章」の付いたものは跡形もなく破壊されるべし。

紋章院規定に従うならば、家財道具のほとんどが破壊されてしまうのだが、実際ほとんどすべてを破壊する。

救いがあるとすれば配偶者や子供は別の紋章を持つため、それらの物品は傷一つない、ということであろうか。


「その後の生活とかどーすんのこれ」

「知らぬ」

「うおーお役所仕事ー」

「知らぬものは知らぬ。儂らは法を執行しておるだけじゃからの。その後のことは預かり知らぬことじゃよ」


ぺらぺらと書簡をめくりながら黒髪の青年――アオイは「紋章院」という名前の高尚さとは裏腹の暴力さに嘆息した。

このあと、ほぼ焼き討ちのような有様に自分が巻き込まれることを予想しつつ。

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