第8話 ハッチング

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ペトゥラ・サンクタの方式


修道士であり紋章学者であるシルヴェスタ・ペトゥラ・サンクタの開発した紋章のティンクチャ表記形式。

白黒でしか表現できない文書等においては、図を正確に描写するのに必要。


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「ゔ―――――――……」


最近はアオイが書類などを眺めて文字にならない声を上げているのも珍しくなくなった紋章院の一室。

が、さすがにだいぶうるさかったのか同僚の一人が注意に来るのも珍しくない光景となっていた。


「うるせえ」

「ぶっ!?」


ぽぺん、と間抜けな音を立てて図表保管用の筒がアオイの頭に振り下ろされる。

さほど痛いものではないが、アオイの明後日の世界へと旅立っていた意識を無理矢理に引き戻すには十分だったようだ。


「ぁにすんだよアーゴス!?」

「仕事のジャマすんじゃねえ。うるせえだろうが」

「だってさー……」

「だってもでももない。勉強するのはいいが静かにやれ静かに」


アーゴス・ガイウス・ヒースコート=ドラモンド=ウィロウビー。紋章官の一人である。

その知識はセルクシノイほどではないにしろ、積極的に表に出る性格と相まって生きた情報を手に入れてくる紋章官として重宝されていた。

というよりは若干戦闘マニアのきらいがあり、戦地同行を好む変わり者の――セルクシノイ配下の紋章官のほぼ全てがそうだとは思うが――紋章官の一人だ。


「今日はミットフォード様がお休みだからとお前さんも休みだと思っていたんだがな」

「いやー俺もそのつもりだったんだけど」

「だけど?」

「姫様、図書室にこもっちゃって」


ああ、あの悪癖かとアーゴスも無精髭の生えた顎を撫でながら納得する。

セルクシノイは元来が本の虫だ。下手をすると食事さえ書庫に持ち込みたがるレベルの。

本が傷むので、アオイとしてはあまりやってほしくない、と要請しているのだが……。


「まぁ、ああなったらテコでも動かないからなぁ。で、お前はここでまた勉強に励んでいる、と」

「だってやることないし……」

「まぁ、それならしゃーないか。で、今日はどこで詰まってるんだ少年」

「この古い文書の図が……」


そこには古い書式の文書が数点広げられていた。

紋章は「色」の重要な分野であるため、紋章院の文書は基本的には高額であろうとも色刷りであることが多い。

だが、古い時代の文書となればそうもいかない。黒の単色刷りであり、色の替わりに線や点で塗られている。


「この表記ってなんなんだ?」

「『ペトゥラ・サンクタの方式』だな。慣れるまでは少し戸惑うが、さして難しいもんでもないぞ。ただ色を線と点で置き換えたに過ぎないからな」

「今でも使われるのか?」

「もちろん。金貨なんか『必然的に一色しか使えない素材』で紋章を表すときは必須だぞ。といってもペトゥラ・サンクタの方式はいくつかある表記形式ハッチングの一つでしかないが」

「こんなのがまだまだある、ってことなのかよ」

「あーいや、ペトゥラ・サンクタ以外はさほどメジャーじゃない。あんまり使われることはないが……知識としては知っておいてくれ」


そう言いつつアーゴスはさっさっと適当な紙に線を引き始める


「まずはティンクチャ金属色メタルからいこうか。アージェントは空白、オーアは点のパターンで表す」

「これは簡単だな」

「次、基本色カラーアズュールは水平の横線、ギュールズは垂直の縦線、ヴァートは右下がりの斜線、パーピュアは右上がりの斜線」

「ん?セーブルは塗りつぶしじゃないのか?」

「昔の印刷技術だと塗りつぶしは難しかったらしくてな、ペトゥラ・サンクタの方式では黒の縦横格子で示されるぞ」


さらさらと無骨な手が紙に図形を書き表していく。

やっぱり女の子の方がいいなぁ、などと失礼なことを考えつつ、アオイは基本色カラー以外のティンクチャが表に出てきたことに眉をひそめる。


「なにこのティンクチャ?知らないんだけど」

「めったには出てこないからな。でも淡桃カーネイションとか教わってないか?」

「……あ、自然色プロパーとか?」

「お、思い出したようだな。マイナーな基本色カラーのいくつかにも指定があってな、濃紫マレーは斜めの格子、黄褐テニーは垂線に右下がりの斜線、血赤サングィンは水平線に右下がりの斜線、淡桃カーネイションは垂直の点線、天青ブルーセレステは水平の破線、消炭サンドレは縦横交互の点線だな」

「ま、まだあんのか……」

「あとは自然色プロパーは右下がりの波斜線、と。こんなもんだろ」

「お、多い」

「そんなでもないだろてか、まだまだあるぞティンクチャ

「えっ」


そう言いつつアーゴスはさらにペンを走らせる。


毛皮模様ファーだな」

「あ、それ姫様から名前だけ聞いた」

「なんだ、細かいことは聞いてないのか。じゃあ今話しちまうか」

「仕事はいいのかよアーゴス」

「オレの分はもう明日やる。どっちにしろ明日にならんと終わらんしな」


どっか、と空いた椅子に腰掛けるアーゴス。大柄なので小さな椅子が抗議の悲鳴を上げた。

アーゴスはそれにかまうことなく勢いのままにがしがしと図を書き進めていく。


毛皮模様ファーっつーのはそのまま毛皮のことだ。使われているのは白テンやリスだな」

「え、そんなちっちゃい動物なの」

「ちっちゃいのを沢山集めたマントが人気だったんだよ。ちっちゃいのいっぱい集めるの単純に大変だしな」

「貴族の考えることわかんないな……」

「で、この毛皮の模様を模した模様が毛皮模様ファーってワケ」

「そう考えると結構グロいな」

「いやいや、絵で済んでるんだからマシだろ? 殺されたテンはいないわけだし」

「いやそうだけどさぁ……」


手の動きは荒くも細かな図を描き上げていくアーゴス。

図を描き上げるスキルは紋章官の得意技であるようでその手には迷いがない。


「よし、こんなもんだろ。白テンの毛皮は白貂アーミン、リスの毛皮は栗鼠ヴェアと呼ぶ」

「で、ここからまた細かいんだろ……?」

「そんなでもないさ。アージェント地にセーブルが基本の『アーミン』。この黒はテンの尻尾の部分にある特徴的な斑点を模したモンだ。で、地がオーアになれば『アーミノワ』、アーミノワの色を反転させた『ピーン』」

「3種類かー」

「それ以外のティンクチャなら『地の色・アーミンド・アーミンスポットの色』で表す」

「あ、難しくない」

「だろ?」


たとえば、と前置きをしてアーゴスは図にvt.とar.と書き入れる。


「地はヴァート、アーミンスポットはアージェントなら記述はどうなる?」

「『緑地に銀のアーミンヴァート・アーミンド・アージェント』!」

「正解。やっぱ覚えは早いな」


どこか弟に対するような表情をしつつ再度ペンを走らせるアーゴス。


栗鼠ヴェアは一般的にアズュールアージェントで表す。正方形に三角形と台形を貼り付けたような形を交互に並べるのが基本だが……」

「こ、このパターンは……」

「めちゃくちゃ特殊なものが多い」

「やっぱり」

「波型になった古典的なヴェアヴェア・アンシャンだの、皮剥に失敗した栗鼠革ポウタントだのあるからな……この辺は姫様に聞いてみてくれ」

「あっ逃げた」

「だってめんどくせーもん。こればっかりは自分で見ていくしかないしな」

「セリー説明してくれるかなーこんなの」

「大丈夫だろ。ちなみにアズュールアージェント以外の彩色のものは『ヴェアリー』と呼ぶが……」


そう言ってアーゴスは図にpurp.とor.と書き込む。


「この場合はどうなる?」

「んん……『紫と金のヴェアリーヴェアリー・オーア・アンド・パーピュア』?」

「ま、こっちはわかりやすいか。とまあ毛皮模様ファーに関してはこれくらいだな。わからないとこはミットフォード様に聞いてくれ」

「アテにならない教師だなぁ」

「オレは先生ってガラじゃないからな。前線で立ってるのが一番だよ」

「普通紋章官って非戦闘員だと思うんだけどな」

「非戦闘員だぞ」

「ウソつけ。歴戦の傭兵みたいな姿しといて」


軽口を叩きつつアオイは文書をまとめ始める。

そろそろ、姫様セリーを書庫から引っ張りだす時間だ。


「なんにしてもありがと、アーゴス。助かったよ」

「うむ。励めよ少年」

「そんな励む気ないはずなんだけどな」

「ミットフォード様の助手なんだ、それくらいしてもらわんと困るしな。オレが」

「お前がかよ!」

「書類仕事増えるのは勘弁願うからな。じゃ、メシでも食い行くか?」


そう言いつつアーゴスも図表保管筒を肩にかける。言動と相まってただの筒が剣の鞘や矢筒に見えてしまう。

いちいち紋章官らしくない人間である。


「んー、今日は姫様引っ張り出すのが残ってるからいいや。明日の昼なら」

「おー、明日ならちょうどいいな。うまいとこ案内してやるよ。じゃあな」


そう言い残してアーゴスはのしのしと部屋を出ていく。

アオイも追いかけるように部屋を出るが……やはりそれをさらに追うように怨嗟の声が聞こえてきた。


「院長と書庫で二人っきり……!」「年頃の男女が閉鎖空間に……!」「許さんぞ……許されるものか……」


やっぱりおかしいだろうここ、とげんなりしつつ、アオイは封印するように重々しい扉を閉じた。

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