第5話 エスカッシャン

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エスカッシャン


紋章のもっとも重要な部分。紋章を「個人識別手段」たらしめる部分。

シールドとも呼ぶ。

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「えー、であるからしてエスカッシャンというのは紋章が紋章であるための最重要項目であるからして」

「せんせーそろそろお昼ですー」

「黙っとれ。折角やる気を見せたと思ったらこのザマか」

「まさかこんなみっちり座学だとは思わないじゃん」

「なっさけないのう……」


うららかな――アオイが職務放棄しかけたほどにうららかな――昼下がり。

紋章院ヘラルズカレッジの角部屋。それこそやわらかな日差しの差し込むもっとも居心地のいい部屋に二人はいた。

居心地の良さを重視したわけではなく黒板のある部屋がここだったというだけである。

基本的には貴重な資料の日焼けを防ぐため、紋章院のほとんどは薄暗くしつらえてある。


エスカッシャンにはいろいろな種類があるがどの形でも特段の差はない。国や職業によっての差じゃな」

「縦長の菱型と正面から見た馬の頭みたいなのは?」

「ひし形は女性用、馬頭型は聖職者じゃ。どちらも盾を持つことがないからのう」

「え? てことは紋章のエスカッシャンってもともと盾なの!?」

「むしろなんだと思ってたんじゃ……」


実際のところ紋章の起こりは盾の補強材や鋲を記号化し、幾何図形として盾に描いたのが初めという説がある。

鎖帷子チェインメイル板金鎧プレートアーマーに顎まで覆うヘルムを着けている人間を見分けるにはマントや盾に描かれた記号で判別することしかできないためだ。


「要はこんだけガッチガチに固められた人間をパパっと見分けるにはマークが必要だったというわけじゃな」

「そりゃ見えんもんなぁ」

「そして、そのマークの発展形が今日の紋章学ヘラルドリに繋がっているというわけじゃな」

「なるほどなー」

「今でも紋章のことはコート・オブ・アームズと呼ぶが、これは武器アームズ覆いコート。つまり陣羽織サーコートにも同様のマークを描いたことに由来するのじゃ」

「戦場戦場っていつも小うるさいのはそのせいか……」

「誰が小うるさいじゃ誰が?」

「あだだだだだ!?」


腕を枕にして寝ようとするアオイと、アオイの耳を引っ張ってそれを阻止するセルクシノイ。


「いってー。ここまでしなくてもいいじゃん」

「これぐらいされても当然じゃ。懇切丁寧に教えておるのに眼前で寝るやつがあるか」

「そろそろ休憩取ろうぜー」

「むぅ……戦場でも食事は必要じゃしの……まぁよい。休憩としよう」

「やった」

「じゃが!かっきり1時間後にはまたキリキリと絞り上げてやるから覚悟するのじゃぞ!」

「うえー……」


心底うんざりとした顔のアオイといまだ闘志みなぎる、といった風情のセルクシノイ。

ミットフォード家の料理人が作る昼食を逃す手はないとセルクシノイも判断したのだろう。


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黒パンに野菜や肉・卵を挟んだ質素なサンドイッチを頬張りながらも授業は続く。


「……儂が『戦場』にこだわるのは紋章官ゆえでな。紋章官とは切っても切り離せぬからじゃ」

「……どういうつながりなんだそれは」

「むう。そこからか。紋章官が『紋章を見分けるプロフェッショナル』が最初であるというのは先程話したとおりじゃが……」

「もごもが」

「飲み込んでから話さんか莫迦者。ゆえに、紋章官は戦場へ随行する義務がある。現在でも紋章院にある程度の強権が許されているのはそのせいじゃ」

「なんで?」

「紋章さえ把握しておれば互いの損害がわかりやすいからの。生々しい話じゃが首が落とされていてもすぐわかる。それに紋章官は外交を担う部分もあるし」

「外交も?」

「そうじゃ。紋章官は非戦闘員として伝令のようなことも行っていた過去があっての。それゆえに交戦規定として『紋章官に対する攻撃禁止』が古くから存在するのじゃ」

「けっこうしんどい仕事なんだな紋章官……」

「お主は紋章官をなんだと思っとったんじゃ」

「紋章の管理さえしておけばいいヒマな襲名の仕事」

「少しは伏せる努力をせい大莫迦者」


優雅にパンくずを払いながらセルクシノイはアオイをどやす。


「と言っても、儂は戦場同行をしたことはないのじゃがの……さすがに戦場はそうそう出てくるもんではないし」

「ねんつー物騒なこと言い出すんだこのお嬢」

「ここ数十年は紋章の管理ばっかりという指摘はあながち間違いでもないのが苦しいところじゃな……」

「でも毎日あんなにしこたま書類あるのか……」

「あれは新設の紋章の審査じゃ。最近は多くての」

「片っ端から否決印捺してるのはまさか」

「左様じゃ。紋章学ヘラルドリのカケラもないような出願が多くてのう……イライラする限りよ。なんじゃあの彩色、なんじゃあの形! 具象図形チャージに特段の制限はないからといってエスカッシャンの形に手を加えたり違反の彩色をわざとやってみたり! そりゃたしかに紋章院ヘラルズカレッジには法的権限があまり付与されていないがの! といってすべての出願を通すわけではないし袖の下でなんとかしようとしたが最後儂の権限で無理にでも首をへし折るのも視野じゃからのー!!!」


思い出すだに苛立たしいようで拳を握りしめるセルクシノイ。

出願書類に描かれていた紋章もどきの数々を思い返しながら、さすがにあれはセリーでもキレるわ、とアオイは諦めのため息を漏らすのであった。


「でもあの紋章は認可印通してたじゃん。おっぱいのやつ」

「おっぱ……!? ああ、あれか。あれに関して言うならきちんと意味のあるものじゃぞ。『ギュールズ地に乳の滴る乳房』というやつじゃな」

「でもなんでそんな突飛なモチーフ使ったんだろな」

「ふむ……このあたりの話を次の空き時間にでもしようかのう。このあたりは面白い話になると思うぞ」

「信じていいのかそれ」

「うむ。マジのマジ、じゃ」


にっこりと笑うセルクシノイからは一片の邪気も感じない代わりに、溢れんばかりの知識欲で満ち満ちていた。

その表情を見て、アオイは完全にドジを踏んだことを確信していた。

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