第126話:続く物語

 講堂から教室まで、私は一人で歩いた。

 さっきの今で一緒に歩くなんて、どんな顔をしていればいいのか分からなかったから。

 音羽くんには先に行ってもらって、私は少しの間、呼吸を整えた。

 通学に使われているバスは、もう最初の便が到着したようだ。ということは、きっとあの二人ももう来ている。


「おはよー」

「お、おはよう」


 なぜだか二人は私の机の前に待ち構えて、挨拶を交わしても普段とはなにか違う。

 怒っているとも見えないのだけれど、笑ってもいない。無理に表情を殺しているような――。


「どうしたの?」

「コト、ちょっといい?」

「う、うん……」


 渡り廊下を通って、特別棟に向かう。前を歩く純水ちゃんと祥子ちゃんは、示し合わせているようになにも言わない。

 授業開始前だから、誰も居ないかと思いきや、特別棟にもちらほらと生徒の姿が見える。

 彼女たちも想定外だったのか「どうする?」、「そこにしよう」と短く相談が為された。

 そこ。とは、女子トイレ。この二人でなければ、もしかしていじめにでも遭うのだろうかと怖れる場面だ。

 いやまあ、ひどく真剣な顔の純水ちゃんに、「コト」と詰め寄られるのは、やはり迫力を感じたけれど。


「なにかあった?」

「なにか――あったよ」

「どうしたの。どうしたの」


 気の急く様子の祥子ちゃんを、純水ちゃんは窘める。どうもなにやら、察しているように見えた。どこまでなのか、分からないけれど。


「音羽くんが……」

「音羽が?」

「か――」

「か?」

「か、かれ――恋人になったよ」


 彼氏と言うのが恥ずかしくなって、音羽くんの言った恋人という言葉にした。彼以外の人に言ったという事実が、ようやく私自身にも実感としてこみ上げてくる。


「恋人? 音羽が言ったの? 恋人になってくれって」

「う、うん」

「恋人ね――」

「おっさんか!」

「え、えぇ? おっさんなの⁉」


 どんな反応があるかと思ったのに、最初が祥子ちゃんのツッコミとは。驚いた次には、笑ってしまう。

 そうか。なんだか違和感がある気がしていたけれど、そこだったのか。


「あはははは。そうだね、ちょっと古いかもね」

「あははっ。音羽、緊張してたんだね」

「あはははははは。音羽、おっさん! 音羽おっさん!」


 冷静に考えれば、それほど笑えることでもない。でもなんだか笑いが止まらなくて、しばらく三人で笑い続けた。

 笑って、苦しくて、涙がこぼれて、泣いた。


「良かったね。コト、嬉しいね」

「コトちゃん、おめでと!」

「ぐっ、ぇぐっ。純水ちゃん、祥子ちゃん……」


 三人で、わあんと声を上げて泣いた。

 そのまま時間を忘れて話していて、チャイムが鳴ったので顔を洗って教室に戻る。

 するとそれは本鈴だったみたいで、もう三島先生が教壇に立っていた。


「三人で随分とゆっくりだな」

「すみません……」


 先生はじっと私たちの顔を見て、少し気まずそうな顔を浮かべる。


「まあいい。気分が悪いなら、保健室に行ってこい」

「ううん、大丈夫ですよー」

「じゃあもう座れ」


 二人が答えるのに任せて、私もお咎めなしになった。椅子に座る前に、ちらと目を向けると、音羽くんが心配そうに見ている。

 平気だからと意味を込めて、小さく頷いた。すると彼も頷き返す。

 親友と、彼氏。私の気持ちを、言わなくても読み取ってくれる人たち。胸がすごく、温かくなる。

 その日の夕方。おとはでも報告した。「音羽くんと」と言いかけて、なんだかおかしいなと思って


「優人くんと、お付き合いさせていただくことになりました。よろしくお願いします」


と頭を下げた。


「うちの息子をよろしく頼むよ」

「言乃ちゃん、ずっと仲良くしましょうね」

「いいお嫁さんだねえ」


 かなり気の早い部分もあったけれど、みんな歓迎してくれた。

 ただ一人、優人くんだけは


「そんなにすぐ言わなくてもいいんだよ……」


と困っていた。

 でも、ダメだったのかと落ち込んでいると、「――まあいいけど」と言ってくれて、また優しいなと思ってしまう。


 それからそれから、私たちはもっともっと仲良くなっていった。

 優人くんも、純水ちゃんと祥子ちゃんとも。早瀬くんや詩織さんとだって。学校帰りや、お休みの日には、あちこちへ遊びに行った。

 仲良くと言えば、お兄ちゃんはお付き合いする人が出来たらしい。結婚する気だけど、すぐにはしない。十年分を取り戻すと言っていた。どういう意味だろう?


◇◇◇


 楽しい時間はどんどん過ぎていって、冬休み。大みそかから三日までを過ごすため、約束通り、お婆ちゃんのところへみんなで向かった。

 メンバーは、祥子ちゃんと純水ちゃん。もちろんお兄ちゃんも居て、そこになぜだか与謝野先生も居る。

 お婆ちゃんの家は、かなり広かった。私たちが二部屋を借りても、全然余裕だ。

 到着するなり、ケーキやフルーツで歓迎されて、部屋にも和菓子なんかが置いてあった。

 それでいてお婆ちゃんは「あんたたち。そこにあるからって、食べすぎるんじゃないよ」とかなんとか。


「おや奥さま。昨日は、不足するのではと仰っていましたが」

「今日は冷えるねえ」


 司さんとも、相変わらず仲がいい。

 その司さんは、年越しやおせちの準備を、一人でやっているようだった。だから三人で手伝う。

 その間、優人くんはなにをしていたのか、あとで聞いた。するとどうやら、お婆ちゃんと話していたらしい。お付き合いを始めてすぐ、お兄ちゃんも二人で話したいと言っていたけど。なんの話なのか聞いても教えてもらえなかった。


「本当に気にしなくて大丈夫だよ。言乃は、家族から愛されてるなって思うよ」


 そう言った優人くんは、少し疲れた顔をしている。

 優人くんのあと、お兄ちゃんと与謝野先生も、お婆ちゃんの部屋に行った。すごく緊張していたけれど、出てきた時にはほっとした顔だった。

 悪い話ではなかったみたい。


 お婆ちゃんの家の大きな檜風呂に入ったり、おそばを食べたり。こんな賑やかな年越しは始めてだった。

 一足先に修学旅行へ来たみたいで、はしゃいでしまう。

 ああ、そうだ。日が変わる前に、ケイ出版の編集長さんもみえた。新年最初に出る雑誌の見本を、お兄ちゃんに持ってきてくれたのだ。

 年が明けて、みんながお互いに「あけましておめでとう」と挨拶し合った。それが終わるやいなや


「さあ、お年賀だよ」


とお婆ちゃんは、いつの間にか訪問着に着替えている。


「えー。お婆ちゃん、いいなー」

「着たいなら作ってやるさ。でも、自分で着られるようにしつけてからだよ?」


 それでも祥子ちゃんは、やりたいと言った。もちろん純水ちゃんと私も。

 まあそれはその日のことにならないので、諦めて初詣へ向かう。

 お婆ちゃんの家から歩いて行ける、小さなお宮だ。それでもたこ焼きとたい焼きの屋台はあって、すぐにでも買いに行きそうな祥子ちゃんを純水ちゃんが引っ張って歩く。

 境内にはそれなりに人手があったけれど、まっすぐ歩けないほどではなかった。参道を踏みしめて、拝殿の前へ。

 柱に貼ってある紙に書かれた通り、柏手と拝礼を。お賽銭は、もう五円玉を投げてある。


「なにをお願いしたー?」

「みんなと、このままずっと仲良くすごせますようにって」


 拝み終わって、聞いてきたのは祥子ちゃんだ。彼女は順に、みんなのお願いを聞く気らしい。


「あたしかい? 今年も健やかに、良い年でありますようにってだけだよ」

「奥さまが、健康でありますように。来年もまた、この全員でお参り出来ますようにと」

「来年も来ていいんだー」

「もちろんですよ」


 お婆ちゃんと司さんは、挨拶してくると社務所に消えた。大人は大変だ。


「あたしは――その、あれだよ。聞かなくても分かるでしょ」

「分かんない」

「もう……祥子と、もっと仲良くなれますように。コトとずっと友だちでいられますように、だよ!」


 純水ちゃんは恥ずかしがって、お守りを配っているほうに行ってしまった。祥子ちゃんも「えへへ」と笑いながら着いていく。

 しょうがないなあ、二人とも。十分すぎるくらい、仲がいいのに。

 あれ。そういえば、お兄ちゃんと与謝野先生は、どこへ行ったのだろう。拝む前までは傍に居たはずなのに、と見回してみた。

 ――居た。こちらも二人で仲良く、甘酒をもらっている。まるで恋人同士みたい。


「言乃。あっちに行ってみないか?」

「どこ?」


 優人くんが言ったのは、お宮の裏にある丘へ登る道。地面が見えているけれど、それほどの勾配ではない。登った先も、ちょっと見上げるくらいの高さらしい。

 だから「うん、行こう」と、二つ返事だ。

 ちょうど先に登っていた人が、入れ替わりに下りてきた。いちばん上は木がなくて、見晴らしがいい。

 展望台と言うほどの高さではないけれど、ここで初日の出を見るのもいいかもしれない。


「寒くないか?」

「平気だよ。これ、すごく暖かいの」


 夜風が顔に冷たかった。でもお婆ちゃんのくれたダウンを着ているので、全然寒くない。


「そっか、良かった」

「どうかした?」


 ほっとした言いかたの割りに、なんだか残念そうにも見えた。優人くんは優しいけれど、私と同じで遠慮しがちだ。

 きっと、なにかあるに違いない。


「どうもしないよ」

「自分で気付ければいいんだけど――」

「ああもう。分かった、分かったよ」


 気付けなくてごめんねと毎回謝るので、優人くんはそれがまた困るらしい。私は悪いなと思って謝ってしまうので、困ってもらいたいのではないのだけれど。

 どうしたらいいのだろう。


「手を握ろうかと思ったんだよ」

「ああ……」


 それは嬉しい。だから素直に手を出すと、優人くんは恥ずかしそうに顔を逸らす。

 タイミングを逸したから、もう繋いでくれないのかと思うと、彼の左手が手探りで私の手に伸びてくる。

 私は気付かない振りで、彼が見つけるまで手を動かさない。


「お兄さん、良かったな。本当に載ってた」

「うん。優人くんのこともね」

「なんだか恥ずかしいけど、嬉しいよ」


 お兄ちゃんが以前の連載に続いて書いているのは、日常の物語だ。あくまでフィクションと断っているけれど、お兄ちゃんと私のお話が多い。


「いつまで書き続けるのか分からないけど、なるべくずっと登場したいな」


 その発言は、ちょっと納得出来なかった。「うん」とも、「ううん」とも、曖昧に答える。


「え。どうした? なにかまずかったかな」

「だって……」

「ん?」

「なるべく、なの?」


 これは、我がままなのだろうか。でも言わないと伝わらないから、言ってみた。もしも優人くんを困らせたなら、たくさん謝ろうと思う。

 けれどもそれは、杞憂だったらしい。優人くんは照れて笑って、「間違えた」と言ってくれた。


「ずっと。ずっと登場出来るように、ずっと言乃と仲良くしたい」

「うん。私もだよ、優人くん」


 お兄ちゃんの連載のタイトルは『事の次第』という。

 引っ込み思案な女の子が主人公で、親代わりのお兄さん。周りを取り囲む人たちの物語だ。

 なにも特別なことは起こらない。

 普通の女の子が、静かに、幸せに生きていく物語だ。



─『コトノシダイ~織紙言乃の事情~』完結─

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コトノシダイ~織紙言乃の事情〜 須能 雪羽 @yuki_t

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