第7話 預言者

 燃えるような緑の中で、俺を見送る桃子の立ち姿が頭から離れない。俺は残像を追いかけるように、全速力で山を駆け下りた。


 この世界でなんとかやっていく、そう言って彼女は残った。なのに、


「このままじゃいけない! 絶対にだあああああああっ!」


 心の叫びは雄叫びとなり、初夏の緑の匂いと風と熱射を全身に浴びながら、溜まったもやもやを山道にぶちまけた。


 脇道の入り口に着く頃には、相変わらず脆弱な心臓が悲鳴を上げていた。


 肩で息をしながら参道に足を踏み入れると、鳥居の下には、当たり前のように海斗と雅次郎がいた。


 黒縁眼鏡を掛けた優男が、ひらひらと手を振っている。近づいてみれば、海斗は座り込んで何かをしていた。


「やっぱ気づいてくれたんだな。っていうか、何やってんの?」


 ニッコリと笑顔で、海斗が振り返った。


「やあ、青葉くん」


 海斗はしゃがんだまま、後ろで退屈そうに立っていた雅次郎を仰ぎ見る。


「ほらね。青葉くん、やっぱいたじゃん」


「はいはい……」


 地面を指差しながら、海斗が俺に言う。


「ちょっと待ってね。これ面白いから、記念に撮っておこうと思って」


 そう言って、海斗は俺が残していったハンカチメッセージをスマホで撮影している。


 逆光になっている、と追い払われた雅次郎が、俺の足元をチラッと見て鼻を鳴らした。


「なにそれ、靴下じゃん。ヤバイね」


 足元を覗いてみると、尋常ではない様相を呈している。今更、足の裏を叩(はた)いてみたところで、焼け石に水とはまさにこのこと。


 このまま、人様の目に触れる場所へ行くのは避けたいところだ。

 

「はい、終わり」


 海斗が満足げに呟いた。かと思うと、すぐさま、傍に置いてあったボストンバッグを手繰り寄せ、ジッパーを開けると、ゴソゴソと中の荷物を漁り始めた。


「はい、貸してあげる」


 つかさずスニーカーを俺に突き出した。


「おお……いいの?」


 かゆいところに手が届く機転の良さには、頭が下がります。滅多に披露することのない、満点の笑みで返すしかあるまい。


「かたじけない!」


 バッグのジッパーを閉じると、海斗はギロリと視線を送ってきた。


「でも、その靴下は脱いでよね」


 俺は媚びた笑いをしながら、履きかけた足をピタリと止めた。それにしても、雅次郎もリュックを背負っているし、海斗も教科書の入ってないバッグを持参とは。


「用意いいな。お前らしいっちゃそうなんだけど」


「不測の事態に備えて、僕らは学校に一泊分くらいの荷物を常備しているからね」


 雅次郎が小馬鹿にしたように言う。


「そうそう、手ぶらなのは、お前だけだよ」


 俺は泥だらけになった靴下を脱ぎながら、面白がる雅次郎の顔を睨みつけた。


「むかつくな、その言い方」


 嫌な匂いも一切ない、清潔な海斗のスニーカーに足を入れていると、海斗が立ち上がりながら言った。


「元気そうで安心したけど……その、大丈夫?」


「大丈夫って、何が?」


「今日、お葬式だったんでしょ?」


 腰をかがめて靴紐を結びながら、事務的に答える。


「まあね。前から医者に言われてたからさ、長くは生きられない、って。だから、ある程度は覚悟してたし」


「――青葉くん、頑張ったね」


 俺はうつむいたまま、いつまでも靴紐を触って、気持ちを抑える時間を稼いだ。


 もしも、心に形があるなら、今の俺の心は水風船のような状態なんだと思う。つまりは、触れて欲しくないということだ。


 だが、ここで、空気を読まない雅次郎が、いい具合に滑り込んでくる。


「あの脇道に行くと、何かあるのか?」


 違和感ない程度に鼻をすすり、待ってましたとばかりに顔を上げた。パンツの尻の部分をはたきながら、何事もなかったかのように立ち上がる。


「あるよ。水神が祀ってある、と言われてる池がね」


 桃子と約束したのに、思わず口が滑ってしまった。


「でも、行くなよ。絶対に……」


 と訂正をいれて、雅次郎を横目でみると、悪い顔をしている。


「めっちゃ行きたくなるじゃん、それ」


「いいか? 絶対ダメだからな」


 と、俺は雅次郎を睨みつけた。

 

 海斗は腕を胸の前で組むと、目を細め、私立探偵のように自己流の推理を始めた。


「そっか。なるほどね」


「なんだよ、そのしたり顔は」


「つまり――僕らを待っている間に、青葉くんは思いついた。ああ、思い出の場所に行ってみよう、と。そして、ばったり砂上さんと再会。気持ちも再燃、しかも、様子がおかしかった、かな?」


 悪戯をあばかれた子供のように、俺は海斗から目を逸らした。


「どう? 当たってるでしょ。脇道から出てきた時、怖い顔してたからね」


「あ、そう……」


 雅次郎が眉間にシワを寄せて、会話に割り込んできた。


「何の話をしてるわけ? サジョウって誰だよ」


「青葉くんの元カノだよ」


 海斗の回答に、雅次郎はいかにも興味なさげに頷く。


「へえ」


 言い訳する必要はなかったが、ついつい口を滑らした。


「本当に……偶然、なんだよ」


 自白同然の俺の呟きに、海斗は溜息を一つ吐いた。


「こういう言い方したくないけど、もう会わない方がいいと思う」


 なんの色もない海斗の声音に、怪訝な視線を向ける。これまでの経緯を知っている海斗には、理解を示して欲しかったのに。


「どうして、そういうこと言うかな」


「辛い思いをするのは誰でもない。君自身だからだよ」


 預言者じゃあるまいし、確定事項のように言われるのは心外である。釘を刺された形となった俺は、一瞬、言葉を失った。


 しかし、またしても雅次郎が絶妙なタイミングで、脈絡なく俺たちの陰鬱な会話をぶった切ってくる。


「どうでもいんだけど、今日、これからどうする?」


 海斗はチラッと雅次郎を一瞥しただけで、即答しないところが思慮深いというか、イラッとするというか。


「うーん、そうだね――」


 海斗は目元を緩め、しれっと雅次郎に答えた。


「折角、来たんだ。少し出かけてみようか。夕飯までに帰る、というのはどうかな?」


 その答えに、俺は眉を思いっきり寄せた。面白くも楽しくもない、底意地の悪い返答だ。


「青葉くんは、どうしたい?」


「しばらく滞在したい。一週間、いや四日……いや三日でいい。二人にも協力して欲しいんだけど?」


 海斗はさっきよりも深い溜息をついて、黒縁眼鏡のブリッジをクイっと上げて言った。


「砂上さん?」


「そう。お察しの通り、桃子には竜神池で会った。のっぴきならない状況だと、俺は見ている」


「でも、彼女は青葉くんのこと」


「ああ、覚えてないよ」


 自分の口で言うのは、なんとも気分が悪い。しかも、すっかり元の記憶も内容だから、帰ろう、と説得するのは簡単ではないだろう。そのくらいのことは、俺も重々承知である。


 だからこそ、この二人をその気にさせることが出来れば、俺の目的は達成に大きく近づくと考えている。


 だが、海斗も譲る気はないようだ。


「彼女は帰らない、という選択をしたんじゃなかったっけ?」


「そうだよ。きっぱりとね」


「だけど、連れて帰りたい、と」


 言うまでもないが「ああ、そうだよ」とぶっきらぼうに俺は言った。


「説得材料は? 恐らく、現時点では僕らのことだけじゃなく、彼女自身の記憶だって失ってるだろう。数日くらいで、彼女に戻る、という選択をさせられると思ってる?」


 責めるような海斗の口調に煽られて、俺の語気も強くなる。


「ないよ、なんにも。分からないから調べるんだよ。三人でな!」


 険悪なムードの中で、雅次郎だけが一人にんまりと笑っている。


「湯島はどうだから知らないが、俺は賛成だよ。だって面白そうじゃん」


 だが、海斗は雅次郎の茶々も耳に入れず、ニコリともせず俺に詰め寄ってくる。


「野宿でもするつもり? 僕はごめんだからね」


「心配するな。思い当たる家がある。今から行ってみるか?」


 海斗は少し考えて、「いいよ」としぶしぶ承諾した。


 間髪入れずに、目を輝かせて提案するしかない。居候する場所が条件なら、拠点を確保することは、そう難しいことではない、と俺は考えた。


「あのじいさんはどうよ? イケる気がするんだよね」


「……どうだろうね」


「いやいや、いけるって。トライしてダメなら、俺も諦めて帰るから!」


 乗り気ゼロの海斗が、重そうな口を開く。

 

「じゃあ……拠点を確保できたら、ってことで」


 雅次郎は何故か、この案件に対して非常に前のめりの姿勢だ。俺以上に、両目が爛々としている。


「面白そうじゃん! 湯島、お前はもっと冒険を楽しんだ方がいいぞ!」


 雅次郎は今にも歌い始めそうな陽気を振りまきながら、海斗の背中を勢いよく叩いた。


 あからさまに嫌そうに、海斗は自分のバッグを拾い上げると、雅次郎にせっつかれながら歩き始めた。


 先陣を切る雅次郎たちの騒ぎをBGMに、俺は振り返り、肩越しに山を一望する。あの枯れ木の中に戻りたい気持ちと、戻ったところで何も出来ないだろう自分を天秤にかけた。


「置いてくよー!」


 俺を呼ぶ海斗の声が聞こえて、俺は急いで海斗たちの後を追うことにした。

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交換日記は下駄箱の中に くにたりん @fruitbat702

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