第3話とにかく今は

 鐘吉たちは騒がしい病院へと連れ込まれ、まず空いている床に座らされた。

 見渡し、まず得た感想は、騒がしさの割に重病者は少ないと言うこと。ほとんどの人間が軽傷。酷くても骨折程度でことが腕に巻かれたギブスや添え木などで判断できる。

 今すぐ緊急の治療を必要とする人間がいないことは、素人の鐘吉でもわかる。

 実際、ベンチや床に横たわっていたり、座っていたりする人たちに巻かれたトリアージタッグと呼ばれる、治療の緊急性・優先度を視覚化するタグは、鐘吉が見る限り優先度の低い緑ばかりだ。

 ここまで緑ばかりだと、逆にいったい何を優先するのか疑問になる。

 もちろん、《Hazard》からこれと言った攻撃を受けていない鐘吉や炎の壁を出す女、助けた少年まで、それぞれ巻かれたタッグは緑のみだ。

「なにこれ」と、腕に巻かれたそのタッグに興味を示す女に鐘吉は簡単な説明をする。

「ふーん」

「訊いてきた割にどうでもよさそうだな」

「そもそも興味ないもの」

「さいですか」 

 しかし、緑の──緊急に治療の必要性がないことを示す──タッグを巻かれた以上、いったいどれだけここに居座ればいいのか。

 周りも同じタッグを付けている以上、治療の順番は先着順と考えるのが順当だろう。だとしたら、来た段階で既に先客が多くいた鐘吉たちはかなり後に回されることになる。

「長いな」

 時間が生まれた。

 何もすることがない時間だ。

 だとすれば、鐘吉にとってやることは一つ。

「デイリークリアしなきゃ」

 ソシャゲのデイリーミッションの回収だ。

 スマホを取りだし、電源を点けてまず確認するのは残りの充電。

 彼がやろうとしているソシャゲは起動している間、それなりのスピードで電池を食っていく。なので、気を付けなければプレイ中に電源が切れることもあり得るため、充電の確認は起動時にまず行うべき行動だ。

 そして、今は有事だ。連絡を取り合える手段は残しておきたい。

 だったら、ゲームなんてしなければいいと、そう言った考え方もできるが、鐘吉には愚かな思弁に過ぎない。

 クリアしなければならないのだ。

 バイト代のほとんどをこの《Defenzard》につぎ込んでいる彼にとって、いつ何時であってもデイリーミッションを達成できない日が生まれることを許すことはしない。これは義務感ではなく、プライドの問題である。月二回行われる定期イベントで、常にトップ30には入っている人間が簡単なデイリーミッションをクリアできないことがあってはならないというのが鐘吉の信念である。

 信念と感情は別だ。

 さすがに毎日同じステージをクリアしていれば飽きが来る。

 電池にはまだ余裕があり、隣には暇そうにしている小さな子どもがいる。

 この子にやらせよう。そうすれば、暇を潰し、面倒な作業を消化できる。

 鐘吉は彼に、《Defenzard》が起動された状態のスマートフォンを差し出した。

「このゲーム知ってる?」

「うん」

 このゲーム自体が有名なタイトルだ。知っていること自体何もおかしくない。

「やったことある?」

「ある……」

「お家の人の携帯でかな?」

 携帯電話やスマートフォンがかなりの割合で普及しているとはいえ、目の前の彼はまだ小学校低学年程度の見た目だ。自前のデバイスを持っているとは考えにくいので、恐らく家族のものでやっていたのだろう。だが、子どもは首を傾げて、

「うーん、わからない」

 わからないとは……。自分がプレイした端末の持ち主ぐらい簡単にわかりそうなものだが、相手は子どもだ。そういうものなのだろう。

 それよりも大事なのはデイリーミッションの消化だ。

 鐘吉は横向きにしたスマートフォンを子どもに預け、しかし自分で操作しながら説明する。

「まず……」

 やってもらいたいことの前に、ゲームの趣旨から説明を始める。

《Defenzard》のジャンルは【タワーディフェンス×無双アクションゲーム】。タワーディフェンスパートで出来るだけ敵を減らし、ボーダーラインを越えた瞬間から残った敵を倒していく無双アクションパートがスタートする。敵を全滅させる前にボーダーラインを越えられると強制的に無双アクションパートが始まるため、ゲームをプレイしていけばほとんどこの二つのパートを体験することになる。もちろん、タワーディフェンスパートで敵を全滅させることも可能だ。高性能のユニットで低級のステージをプレイするのも一つの方法であり、デイリーミッションの達成にはこの方法を用いる。

チュートリアルから二つほど進めた先のステージを選択し、ゲームが始まる。

ゲーム画面は、下部に出撃・使用可能ユニットが表示され、上部から三分の二は、出撃・使用したユニットと出現した倒すべきモンスターの戦闘を移しだす場所として構成されている。

 戦闘場所の左部には赤いラインが表示されていて、そこを突破されると無双アクションパートが始まる。つまり、今回クリアしようとしているミッション【タワーディフェンスパートのみでクリアせよ】を達成するためには、この赤いラインを越えさせてはいけない。

 クリア条件の説明を、スマートフォンを預けた子どもに一通り終えたのと〝START!〟の文字が消えたのはほぼ同時だった。

 慣れない手つきながらも、ゲームは順調に進行していく。

 それは、鐘吉が揃えたユニットの優秀さとゲームの難易度の低さを考えれば当然でもあるのだが、プレイヤーである子どもが、絵を見ただけでそれが〝どのようなユニット・モンスターであるか〟判別する能力や、画面の操作で何がわかるのか・できるのかを把握できる能力などが備わっていることも大きい。

 戦車なら地上の敵に向いている。ミサイルなら空を飛ぶ敵に有効。ユニット選択の際、決定する前に表示される円で各ユニットの攻撃範囲がわかることなどを、彼は鐘吉の説明なしに身に着けている。

 特別なことではない。

 この、十歳もいっていないであろう子どもにとってはそれが普通なのだ。

 壁についているスイッチを押せば電気が着くのを自然と身に着けていたように、彼にとっては生まれたときから普及していたスマートフォンのゲームの操作など、一から百まで教えてもらう必要などない常識やそれに近い能力だ。

 むしろ、よくわかっていないのはローブの女のようで、先ほどから子どもが何かするたび「なんで?」「え、今のどうやったの?」「そもそもこれなに?」など、ととても十代後半から二十代の人間とは思えない質問をしてくる。言葉の節々からスマートフォン自体に興味を示しているのではないかと感じるのはさすがに気のせいであろう。

「これ、実際にあの化け物に対して使えないの?」

「ゲームの中だから無理だろ……」

「そう……」

 確かに、このゲームのようにユニットを置きたい場所に置けたら《Hazard》という化け物から多くの人々を守れるだろうが、あくまで《Defenzard》はゲームだ。フィクションの産物であり、現実世界でも使えたらと思うのは寝る前にベッドの中で考える夢物語に等しい。

 しかし、この女かなり夢中で画面を見ている。本気で《Hazard》を倒すのに使えると考えているのか。いい大人がさすがにそれは無くて、大方自分もプレイしたくなっているとか、そう言った類の集中の仕方だろう。

「やった!」

 女の真剣な横顔に夢中になっているうちに、ステージをクリアしていた。

「ありがとう」

 差し出されたスマートフォンは受け取らないまま、鐘吉は目線が子どもと同じ高さになるまで腰を下ろす。

 そのまま、手に持たせたまま操作する。

 するのは目的のミッションがクリアできているかの確認。

 問題なく達成できていたので、その分の報酬を受け取り、鐘吉が次のステージを選択しようとしたとき、

「ちょっとお話いいですか?」

 若い女性が話しかけてきた。

 服装はナース服でも白衣でもないことから医療関係者ではないことがわかる。

 服装はスーツだ。

 差し出してきた名刺には、

「害獣・災害対策専門組織〝OPPOSE〟被災者対応係・沢渡敦美……さん?」

「はい、私、主にHazardに対して活動しております〝OPPOSE〟で、襲われた方々への保護を任せられている沢渡と申します」

「はぁ……」

「この度は大変なことだったと察しますが、少し私共の調査にお付き合い頂いてもよろしいでしょうか?」

「まあ、大丈夫ですけど」

「ありがとうございます。それでは、まずはお父様とお母様のお名前をお聞きしてもよろしいでしょうか」

「なんでそんなこと聞くの?」

「Hazardに消された人間がいないかどうか確かめるためだろ」

 消されたら誰も覚えていない。しかし、確認する方法はいくつかある。

 今回の両親についての質問もその一つだ。

 例え、子どもを産んだことがある人間がこの世界の記憶や記録から消されたとしても、生まれた人間が消えることは無い。逆説的に言えば、親の名前を思い出せることができなかったとき、それは確実に誰かが消滅したと言うことだ。いなかったことになっているが、最初からいなかったわけではない証明になると、そういうことだ。

 鐘吉は両親の名前、そして姉の「綾野・小町」と姉弟の名前まで思い出すことができた。とりあえず、自分の知っている中で両親と姉は消えていないわけだ。誰も消えていないとは言い切れないわけだが。

 次に、沢渡・敦美は子どもから聞き取りを開始する。

 ここで初めて、彼の名前が渡辺・栄太だと知る。

 栄太は父親、兄、と順調に答えていくがしかし、

「お母さんは。お母さんは思い出せない……」

 確実だ。

 確実に、この子の母親は消滅させられた。

 いつかはわからない。

 もしかしたら、自身の目の前で消されたのかもしれないが、それすらも彼らに判別する手段は無い。あるのは、一人の人間の消滅が決定した事実だけ。

 それでも認めたくないのか栄太は思い出そうとする。

「お母さんの名前お母さんの名前。お父さんは浩二。お兄ちゃんは翔太」

 何度も何度も繰り返し、家族の名前を呟くが母親の名前だけが出てこない。

 小さな体から溢れる家族を失ったかもしれない恐怖に思わず動きを止めていた三人のうち、最も早くに動いたのは敦美だった。

「落ち着いてください。まだあなたには家族がいるのですから。一人じゃないですよ」

「一人じゃない……」

「ええ、思い出してください。あなたの家族を」

「僕の。僕の家族は、」

 敦美のスマートフォンが鳴るのと栄太が自身の家族構成について確認するのは同時だった。

「僕の家族は、お父さんと僕の二人家族」

 瞬間、敦美と女、鐘吉の三人は何が起きたかを察し、しかし起こした行動は別々だ。

 敦美は鳴ったスマートフォンを取りだし、電話を取る。

 女は出口の方へ走り出していた。

 二人の動きに迷いはなく。

 信念を持った確かな動きで。

 鐘吉は動くことができなかった。

 理由はない。

 しかし彼女たちには理由がある。そのような動きだ。

 目の前には一日のうちに家族を二人も失った幼い子供と、彼に対し少しでも悲しみが安らぐように接する女性。

 じっとはしていられなかった。

 自分も走らなければいけない。

 なぜだかわからないが、そう思った。

 それが鐘吉の走り出した理由だ。

 走りだし、自動ドアを持っていた杖で壊そうとする女を追い越した。

 扉が開く。

 行くべき場所は立ち上がる煙が教えてくれている。

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