第5話同音異義
鐘吉の眼に映るのは、一体の《Second》が炎を操る女を羽交い絞めにし、別の個体たちが攻撃を行う姿だ。
《Hazard》及び、その手下的存在の《Second》に対して人類抱いているイメージは野生動物に近いものだ。
腹を空かし、気性が荒くなっている害獣。
理性はなく、本能のまま動く生物。
人間を襲うことに、危害を加える以上のこともそれ以下のこともしない。人間を殺した結果、記憶を消すのに大きな目的があるのではない。ただ襲ってくるのみ。
そのはずだった。
しかし、鐘吉の眼に映っているのは確かな《Second》の暴力。
逃げられないように相手を拘束し、殴る蹴るを繰り返す光景。
鐘吉の知っている《Hazard》や《Second》の行動原理とは明らかに違うものだ。
今を生きる人々にとって《Hazard》という化け物は災害だ。
襲われ、被害が出ることで人々は、次は自分の番なのではないかと己の身を案じたり、対策を考えたりする。破壊された街並みを見て怒りを覚える者もいるだろう。
ただしかし、世間が《Hazard》に対して抱く感情には圧倒的に少数の物があった。
大切な人を傷つけられ、奪われた怒りや悲しみ、憤りなどだ。
殺されれば忘れるのだ。
誰も死んだ人間など覚えていない。
覚えていないから、感情は湧かない。
干からびた泉に石を投げても水面に波紋は広がらない。
ただ虚無に落ちていくだけ。
何も起きない。
だが、それは忘れていたらの話だ。
誰かを傷つけられても、覚えていなければ心は乱されない。
ならば、今目の前で起きていることにはどんな感情を抱く。
一人の女性が化け物に襲われている。
それも、悪意ある形で。
このまま黙って見ているだけでいいのか。
良いわけがなかった。
☆ ☆ ☆
女は何となく己の終わりを悟った。
後ろからの力を振りほどくこともできず、杖もいつの間にか手から離れていて炎も出せない。
幸いを得てすぐにこれか。
人生何があるかわからない。
今までのこともわからないのに。
万事休す。
それを覚悟したとき、後ろに横へ倒すような衝撃が来た。
自分を羽交い絞めにしていた《Second》は剥がれ、自分もその勢いに巻き込まれ、わずかに倒れる。
《Second》にとっても突如のことだったのか、動きを止めている。
何が起きたのか。
さっきまで己の背後だった場所を見る。
そこに居たのは、肩で息をする少年だった。
名は確か、
「ショーキチ」
☆ ☆ ☆
鐘吉は己が《Second》の中心にいることを知覚する。
ついでに注目も手に入れているからこれはヤバい。
逃げられない。
さっきまでなら逃げられる状況にいた。
《Second》は自分のことなど眼中になかったし、変な女に付きっ切りだったからだ。
実際、これを好機として逃げて行った人々がほとんどだ。
辺り一帯、いるのは鐘吉と女だけ。
それでも《Hazard》も《Second》も移動しないのは、鐘吉にとって少々不可解なことではあったが、気にしてもいられない。
彼は女に駆け寄り、落ちている杖を渡す。
そして、肩を組み立ち上がらせ、
「逃げるぞ」
《Second》の数が少ないほうへ走りだす。と言っても、女は体に力が入らないのか歩くことすらままならない。ほとんど鐘吉が引きずっている。
これでは逃げることなどできない。
「お前、もうちょい軽くなれ」
そうすれば持ち上げてさらに早く走ることもできた。
鐘吉の言葉に女はじっと見つめ、ため息を一つ。
「素直に重たいって言いなさいよ」
女に突き飛ばされるように放られ、鐘吉は尻餅をつく。
「お前、」
何をするんだと言うよりも、どうするつもりなのかと訊きたい。
《Second》という化け物の集団に囲まれているのに逃げなくてどうする。
だが、女が取った行動は逃げるとは正反対のものだ。
杖を地面に突き立て、鐘吉と彼女の周りに炎の壁を建てた。
「──あっつ!」
背中が燃えたかもと思ったら本当に燃えていた。
急いでブレザーを脱ぎ、地面に押し付けることで火を消す。
「どういうつもりだよ」
確かにこれなら《Second》から身を守れる。
しかし、炎を出している最中は杖を離すことができない──杖を地面から離せば炎が消える──故に逃げることもできないのは今日一日で嫌と言うほどわかっている。
「あいつらが諦めてくれるのを待つのか?」
「それもいいわね」
けど、と、女は杖を動かさぬまま、鐘吉の方を向く。
「あれ出して」
「あれ?」
「あの、子どもに渡してたアレ」
「あ、あー」
スマホのことか。
「スマホって言えよ」
「スマホって言うのね。
まあ、いいわ。それ、見せて」
幸いスマホはブレザーではなく、ズボンのポケットに入れていたので無事だ。
鐘吉はスマホに新しい傷がついていないことを確認し、彼女に渡した。
受け取ると彼女は器用に四角いそれを掌で回したり、放り投げるなど弄び、
「これどうやって使うの?」
言いたいことが二つ出てきた。
一つはそうやって手慰めにするものではないということ。せっかく傷がなかったのに、いつ落とすのかヒヤヒヤした。
二つ目は、
「お前、マジで言ってるのか?」
「ま、マジよ?」
「マジって意味知ってるか?」
「──知らないわ」
「本気と書いてマジって読むんだよ」
「え?ほんきって書いてあるなら〝ほんき〟でしょ。何言ってるの」
「読み仮名だよ読み仮名!──いや、これも違うか」
「よみがな?」
読み仮名ぐらいわかるだろ。小学生が習うやつだぞ。
しかし、女も冗談やからかいで訊いている風には見えない。
なんなんだいったい……。
「ああもう、そんなことより!
その下の真ん中のボタンを押すんだよ!」
ホームボタンと言っても通じそうにないので、この言い方だ。
「ほぅ」
押した。
「明るくなったわ」
「その画面を横にスワイプして」
「え……?いいの?」
「お前が貸して欲しいって言ったんだろ」
「ああ、そう。じゃあ遠慮なく」
女は何を血迷ったか、スマホを持った手を腕ごと広げ、腰をひねり、思いっきりスイング。
ただ振ったわけでは無い。
ぶつけた。
思いっきり。
杖とスマホを。
鈍い音とかそんな温い音じゃない。
快音だ。
割れるような快音が明らかにスマホのほうから響いた。
「何するんだおめえ!」
「は?スワイプよ?細かい言い方をすると大振りの強打」
「スワイプにそんな意味はねえよ!」
鐘吉は女からスマホを取り返す。
あー……。
せっかく無傷でここまで来れたスマホもこれで終わりか。
二年契約のまだ半年だ。
かなり無理して購入した最新モデル。
一緒に住んでいたころの両親に頭下げまくったものだ。バイトしてるんだから自分で出せとか。自分で出したら課金できる額減っちゃうだろうが。
「なんてね」
「……は?」
「さすがに私でもぶっ叩いたら壊れることぐらいわかるわよ」
じゃあ、なんで叩いたんだよ。
スマホを思いっきり杖で叩いたのは明白。音が証明していた。
絶対画面なんかバキバキだ。
ほら、もうこんなに。
「こんなに……?」
無い。
傷が無い。
無傷だ。
半年間大切に使ってきたことの証である無傷がそこにある。
だが、それだけではない。
〝無い〟ことだけではない。
「光ってる……?」
画面はスリープ状態の黒だ。
光っているのはスマホ本体。
鐘吉の手が握るスマホから淡い光が発せられている。
「子どもにやらしてたアレであいつら倒せないかしら」
「アレって」
この妙な女が言っているのはきっと《Defenzard》のことだ。
なり行きで行動を共にした子どもにデイリーを消化させたゲーム。
ジャンルはタワーディフェンス。
ユニットを出現させ、半自動的に敵を殲滅させるタイプ。
それで《Hazard》共を倒せないだろうか。
そう、女は言った。
出来るわけないだろ。所詮、ゲームだ。
手に持つスマホの中だけで動く世界。
現実を生きる鐘吉にとって、それはただの妄想。
だが、期待する。
もし、本当にそれができるとしたら。
自らの手によって虚構で現実の脅威を倒せるのなら。
「燃えるぜそんなの」
これが答えだ。
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