第4話無限の可能性
煙と悲鳴の発生源には、先ほど自分が《Hazard》に遭遇したときと同じ光景が広がっている。
違うのは今の自分は巻き込まれた側の人間ではないと言うことだ。
鐘吉は自ら、この場所にやってきた。
目的は無い。ただ、偶然出会い行動を共にしていた幼い少年の家族がまた一人消された事実を目の前にし、居ても立ってもいられなくなって先に走りだした女を追いかけただけだ。
「一回抜かしたくせにすぐまた追い抜かれるなんてね」
「あんたが早すぎるんだよ」
「女に負けて悔しくないの?」
「自動ドアに反応してもらえなくて壊そうとしたくせに。お前こそ悔しいんじゃねえの?」
「意味が分からないわ」
そんなことより、と女が訊く。
「何しに来たの?」
鐘吉には、すぐさま答えられる理由も目的も無かった。
「……お前は何しに来たんだよ」
「わからないわ」
「は?」
「ただ、」
ただ、と女は視線を鐘吉から外した。
見るのは人々が流れてきた方。逃げてきたものがあるほうだ。
そこに《Hazard》と《Second》がいる。
それらは得物を追い詰めるようにゆっくりと歩みを進めていく。
そいつらの視界に人間は入っているはずなのにすぐさま追いかけてくるようなことはしてこない。
鐘吉にはそうすることで人間たちに恐怖を与えているように見えた。実際、彼の脚は今にも身体を反対方向へ向かそうとしている。
「ただ、あいつらは殺さなきゃいけない。そう思っただけよ」
女は駆け出す。
《Hazard》と《Second》に向かって。
応じたのは《Second》の集団だ。
数にして三十はいるだろうか。
一人で相手取るには多すぎる数。
それでも女は止まらない。
やがて、数呼吸の間に戦闘が開始される。
開幕は女が杖を自身の少し前にあるアスファルトの地面に突き、炎の壁が沸き上がるところからだ。
炎の壁は《Second》を遮る。
それだけではない。
鐘吉はパニックに陥った街の声の中で確かに聞き、そして見た。
炎の壁が下から上へと完成していく間に何体かの《Second》を巻き込み、燃やした音と光景を。
☆ ☆ ☆
女は狙いが上手くいったのをその目で見た。
自分の出す炎は杖を突いた場所から沸き上がるようにして出現する。
厳密に言えば瞬間的に現れるのではなく、生えるように発生する、だ。
前者の場合、敵を壁で焼くとなれば発生地点と敵の場所がドンピシャで重なったときに発生させなければいけない。もし、炎の発生タイミングのほうが早かったら、敵は突如として目の前に現れた壁に足を止めるだろう。
しかし、現実は後者だ。下から上へ。生えるように炎は沸き上がる。
この場合、何がどうなるか。
簡単だ。
多少発生タイミングが、敵がポイントを踏むタイミングより早かったとしてもその地点へ到達するのと同時に身体を焼けることになる。
多少タイミングがズレてもいいと。そういうことだ。
「昔からそういうの苦手だったのよね!」
そんな気がする。
叩いて鳴らす楽器の演奏もよく隣の子が叩いたのを見てから鳴らしていた。そんな気がする。
昔のことはよくわからない。
わかるのは《Second》と呼ばれている目の前の化け物たちと、その奥で偉そうに歩いているこれまた《Hazard》と呼ばれている化け物のボスを倒さなきゃいけないということだけだ。
だから、戦う。
わからないものばかりのこの現状で、戦うことが唯一自身を確かな存在にしてくれる。
自分は何者なのか。
どこから来たのか。
好きな食べ物は。
服の趣味は。
何もわからない。
名前すら出てこない。
記憶に蓋をされているのか。過去のことを思い出そうとしても見えてくるモノが無い。アクセスを遮断されている感覚に近い。
過去を覗き込もうとしても冷たい黒の円が邪魔をする。
対照的なのは地面から沸き上がる炎の熱だ。
見えるし、思えばはっきりとした応じが来る。
触れることもできる。
もちろん、女は自ら触れたりはしないが。
触れるのは《Second》だ。
燃やし、聞く敵の断末魔。
完全な灰にはならず、焦げた姿で転がった《Second》の生焼けの匂いが鼻に突く。
嫌な匂いだ。
懐かしみは……。
「何も感じないのよねこれが!」
これはむしろ感じなくてよかった。
もし、生物の焼けた匂いを懐かしいと思えるのであれば、どれだけ自分の過去は過酷なものだったのか。
「いや、案外食堂とかで肉焼いてただけかも」
感じていないのだからこの線は消えている。
わからないが、違うということだけはわかった。
黒の円の向こう側。無数にある可能性の一つが消えた。
「うん……」
杖を強く握る。
自分の過去へ繋がる可能性の一つが消えたことが嬉しくて。
右も左もわからない、無限に近い数のゴールが一つ消えたことが嬉しくて。
嬉しいと素直に感じることができて嬉しい。
「あ」
なぜ、嬉しいのか。
〝嬉しいと感じること〟が嬉しいことだと知っているから嬉しいのだ。
過去に自分は歓心を得て、欣幸をも手にしていた。
不幸な生い立ちではない。また、無限から一つ、過去の可能性が減った。
幸いだ。
幸いは続いていく。
生焼けた匂いが充満する周囲。
逃げ惑う人々はもういない。
いるのは自分と、人類の敵【Hazard】と【Second】、そして、記憶を無くして《Hazard》共に追われてから何かと病院で行動を共にしていた男だけ。
人類はこの状況を幸いと判断しないだろう。
人類に危険を及ぼす災害がまだ暴れていて、それを食い止めようとしているのは自分みたいな女だけだ。男は見ているだけ。このままでは、《Hazard》専門の駆除隊が来るまでにさらに被害が拡大してしまう。
そのことを知ってか知らずか、しかし、少なくとも女は幸いを得ていた。
《Second》の群れがさらに詰めてくる。
侵攻の圧が増したのだ。
☆ ☆ ☆
鐘吉は《Second》が女に対して詰め出したのを感じ取った。
これまで連続的に攻撃を繰り出してきていた《Second》だが、今は他方向からの同時攻撃が目立っている。
優勢だったのは女だ。
しかし、それが徐々に変わり始めている。
燃やす時間が短くなったのだ。余裕が無くなっている。
一番遠くに転がっている《Second》の焼死体と、一番手前に転がっている焼死体。
一番遠くに転がっているのが、戦闘開始直後に燃やした《Second》で、一番手前のはその逆だ。
前者は全身が黒く焦げ、元の姿の色などわからぬほど燃やされている。
が、後者は燃えてはいるものの、青や黄など身体の色が目視できるほど残っている。
さらに、後者のほうがこちらの近くに転がっている。
じりじりと圧されている。
前者の位置から、後者の位置へ。確かに女は後退しているのだ。
ヤバい。何か俺にできることは。
近くに武器になるものは無いか探そうとしたとき、女が倒れた。
攻撃を受けた気配はない。ならばなぜ、と鐘吉は気づく。
ローブから出た女の足首。
炎の壁に焼かれ、倒れた《Second》の一体がそれを掴んでいるのだ。
女はとっさに上半身を起き上がらせて杖で《Second》を叩くが、力が入らないのか望む結果は得られていない。
起き上がれない女に、横から蹴りが飛ぶ。そしてそのまま身動きが取れない女に対し、リンチが始まる。
その行動は、人類から〝災害〟と呼ばれてきた《Hazard》、《Second》からは想像できない残忍なものだった。
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