第2話少年と魔女は止まらない
「それじゃあ、ここから私はどうすればいい?」
「そんなこと俺が知るか」
鐘吉がそう言うと目の前の女は少し悲しそうな顔をした。
「助けてくれるんじゃないのか?」
「無理よ。これが精いっぱい。これ以上は……」
「は?」
彼女の目の前にある炎の壁は、高さは二メートル以上。横は十メートル以上ある。これだけの足止めがあるのだ、これ以上は望まない。
「その炎が消えないうちに逃げよう」
とにかく今はそれだけだ。
「それが無理」
「どうして?」
「私がステッキを地面から離したら炎は消える」
つまり、
「私が逃げたら足止めできない」
ここから離れるためにはステッキを地面から離し、壁を解除するしかない。だが、それをすれば《Hazard》や《Second》を足止めするものがなくなり追いつかれる。
「じゃあ、どうするんだよ」
「私にもわからないからどうすればいいか訊いたのよ」
「そんなこと言われたって」
彼女の第一声には彼女なりの意味があったことはわかった。
わかったところで状況は全く良い方へ動かないのだが。
鐘吉が胸に抱き寄せた子どもは不安そうに彼の襟を掴み、ここでじっとしているわけにもいかない事実を思い出させてくれる。
炎の壁は無限に広がっているわけでは無い。
壁の距離は十メートル以上だ。だが、十五メートルも無い。
横から回り込まれればすぐに見つかるし、また襲われる。
「他に君ができることは?」
「ほぼ無い。役立ちそうなのはこれだけ」
どうするの?急いで、と女は急かしてくる。
だいたい、なぜ俺に指示を求めるのか。考えている余裕を鐘吉は持ち合わせていない。今はただ、ここから逃げる方法を探すのみだ。
だが、いくら考えても逆転の一手となるような方法は思いつかない。
「当たり前だろ」
昨日、今日まで。恐らく、いや絶対明日からも普通の高校生である自分に、危機から脱出できる方法を導くための思考回路などあるはずもない。
自分にできることをするだけ。
「とにかく逃げよう」
「どうやって?」
「とにかく走る。走って、追いつかれそうになったらまたそれを出してくれ」
今はもうこれしかない。
女は鐘吉の襟を掴んだままの子どもを見て、
「その男の子は?」
彼女の問いかけで、初めて今まで抱きしめていた子どもが男の子だと認識した。それだけ必死だったということだ。
「走れる?」
少年は首を縦に振った。
「強いなあ」「強いわね」
鐘吉はもちろん、女の声も素直に心から出た言葉だった。この状況で、不安になりながら、〝自分で走る〟ことを頼られてそれを行おうとする。
走れないと素直に拒否してくれてもよかったのだ。
「それじゃあ行こう」
鐘吉は少年を抱きかかえたまま立ち上がった。
自分の肩の位置にある幼い顔は驚いた顔をするが、元より決めていたことだ。
「ごめん、たぶん君が自分で走るよりこうした方が早い」
少年の体格から見るに、大きくて小学校一年生ぐらいだ。だとすれば、手を引っ張って走るよりこちらのほうが速い……はず。心配なのは体力の問題で、
「大丈夫?すぐにバテ無い?」
「そのときは君にパス」
「私、ステッキより重たいの持ったことない気がするんだけど」
「気がするだけだ」
行くぞ、と鐘吉は炎の壁から背を向ける。
ローブの女は首と上半身だけを炎から背けた。炎の維持と、走り出しの構えのギリギリがこの姿勢なのだろう。
「行くぞ!」
鐘吉と女が同時に走りだす。
「炎は⁉」
振り向いて確認する余裕はない。
「きれいさっぱり!」
ステッキを話した瞬間に消えると言うのは本当だったようだ。
足音は、最初は二つだ。
鐘吉とローブの女のもの。
しかし、走って十秒も経たないうちに、増える。増えた数は一つや二つではない。あれだけ《Second》がいたのだ、気が付いた奴から追いかけてくるのは当然のことだ。むしろ、鐘吉たちが走り出したと同時に《Second》も動かなかったことのほうが幸運。これなら、追いつかれそうになってもまた炎の壁を出せば、インターバルを挟める。
「ごめん、そろそろキツい」
「え……」
落胆の声が返ってきた。
「仕方ない」
女は立ち止まり、ステッキを地面に下ろそうとした。
瞬間、
「もう大丈夫だ!」
声が横から響いた。
「よく頑張った。ここからは安全だ」
いつの間にか、パトカーが鐘吉たちを取り囲んでいる。
台数にして五台。
それだけのパトカーが鐘吉たちを円になって囲んでいる。
状況が状況なら、鐘吉とローブの女が少年を誘拐した犯人に見えなくもない図だ。
「とりあえず乗りたまえ」
その中でも、自分たちが走ってきたほうから一番遠いところに停まったパトカーへ乗らされ、どこかへ移動し始めた。
「なんだかあっけないわね」
「助かったんだからいいだろ」
実際その通りだと、納得しつつ鐘吉は反論しておく。
「あの、俺たち今からどこへ」
「とりあえず病院だ。……大丈夫だと思うが念のため」
「あ、まあ、そうですね」
「どういうこと?」
「《Hazard》に襲われたら存在が消滅するだろ?だけど、今俺たちは消滅していない。そういうこと」
「襲われたら、とはまた随分曖昧な線引きね。ナイフで引掻かれた程度でも消滅するの?」
「いや、それは……」
鐘吉が彼女に説明した言葉は、全てニュースや辞書サイトに載っている定型文をそのまま言ったに過ぎない。つまり、深く考えずに口にした。だから、より詳しい説明を求められても答えることが出来ない。
代わりに、と言うようにパトカーを運転する警察官が口を開く。
ローブの女をバックミラー越しに見ながら、
「殺されたかどうかなんて、私たちにはわからない。誰も覚えていないからな。記録にも残らないし。だから、《Hazard》に〝襲われたら〟と言うことにして、皆全力で逃げるようにしているわけ。殺された程度でいいと思ったら、安全な位置にいると油断して逃げなかったりするだろう?」
女と出会ってそれほど時間は経っていないが、今の彼女の横顔が納得できていないことを表しているのは直感で理解できた。
納得できないことは、いまいち理解できないのだが。
鐘吉や、この世界で生きる人間にとって〝《Hazard》に襲われたら消滅する〟のは常識であり、概念だ。〝物は下に落ちる〟と同じレベルの常識。それに疑問を持つ彼女に対し、毎日疲れないのだろうかと要らぬ心配をしてしまうほどに、彼女の横顔には理解できない。言ってしまえば、鐘吉にとって横にいるのは不思議ちゃんだ。この世界のすべてが疑問になるタイプの。
「着いたぞ」
鐘吉たちを載せたパトカーは病院に辿り着く。
入る前からわかる。
普段、自分が診察へ行く病院とは違い、慌ただしい空気が流れだしていた。
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