Chocolate Wave

月緒 桜樹

・Sweet・Radio・Wave・

「ねぇ、伊月いつき


 あれから3ヶ月が経った。


「君は本当に、“持っていった”よね」


 伊月が『明日の葉桜』で告白したあの日から。


「…………まぁ、半年越し、だからな」

「……」


 伊月は無表情だった。――苦笑いにも見えた。


「伝わったようで、良かった」

「――そんなに、懸けてたんだ」

「ああ」


 伊月は神楽かぐらから視線を外す。心地良い低音の声は、いつも通りの短い返答をする。

 陽光が、その色素の薄い髪の上で、煌めいて舞う。金色に透かされた髪は、神楽にはミルクチョコレートのようにも見えた。


 神楽が、吹き出した。


「やっぱ、気障っぽいじゃん」

「……そうか?」

「照れるよ! 普通、朗読で告白する?」

「……悪かったな」


 そのとき、神楽は閃いた。


 ヴァレンタインに、“仕返し”をしてやろう。と。


「――――楽しみにしてろ」

「は?」

「楽しみにしてろ、ヴァレンタインを……!」


 その怨念(?)の籠った神楽の声に、伊月は少し引いた。と言うより、ただ意味が解らなかった。

 神楽の双眸が、ぎらついている。ふふふふふ、と何やら恐い含み笑いを残して、彼女はスタジオを出た。


「発声は、しないのか?」


 伊月は声を飛ばす。

 とうが「用事があって」と欠席したせいで、彼はスタジオに一人だった。放送室のドアは開閉しなかったから、どうせミキサールームにいるのだろうとは思ったけれど。


 奥から、ふふふふふと聞こえてきた。


 伊月は気にしないことに決めた。

 勝手に――部長がやる気が無いだけだったが――発声練習を始める。何故か、ロングトーンがいつもより伸びた。


 まだ「ふふふふふ」と笑っている。ロングトーンの後だから、1分近く笑っているのではなかろうか。……恐ろしすぎた。



 結局、その日はまともな練習にならなかったので、伊月は彼女を引き摺って家まで送り届けた。


 その最中も、神楽は「ふふふふふ、楽しみにしてろ……!」と譫言のように繰り返すばかりだった。もう、気が狂れたようにしか見えなかった。


 そして、彼女を玄関に放り込む。


 中学が同じだからこそできる所業だった。家が近くなければ、送り届けることなんて不可能だから。


「あら、伊月くん――――って、この子どうしたの?」


 出てきた神楽の母親は、と壊れたネジ式の人形のようになっている神楽をつつく。そんな扱いで良いのか、と伊月が少し苦笑したのは言うまでも無い。


「なんか……。彼女、ヴァレンタインに燃えているらしくて……」

「ああ! ……今年は何が作りたいのかしらねえ」

「わかりませんけど、楽しみにしておきますね」

「ええ! 楽しみにしていてちょうだい」


 彼女は、ぱっと明るく笑んだ。



   ***


「こんにちは! さて、ただいまの時間は13時ちょうどです! 2月14日、水曜日。お相手は、UBC2年、白河神楽です! あ、ミキサーはUBC1年の弓射ゆのいとうで、お送りしますっ」


 歯切れの良い語りで、定時放送が始まった。

 神楽は、海風放送委員会うみかぜほうそういいんかい――通称、UBC――に、アナウンスと朗読を持ち込んだ。序でに持ち込んだのが、定時放送である。


「今日の天気は……快晴! 女子の皆さん、チョコレート渡しに奔走してますかー?」


 定時放送と言うと、ただ音楽を流す放送を思い浮かべるかもしれない。けれど、彼女は違った。


 彼女は、“音楽を流したいだけで、実際にはそんなに意欲の無い委員”になりたくはなかったのだと言う。彼女の言を借りれば、「すぐ幽霊になっちゃうから」らしい。


 だから、彼女は情報を発信する場として、放送室を選んだのだ。


「お便りでね、氷野ひの天音あまねの『Chocolate Wave』を読んでください、って言うのがありまして」


 横浜海風よこはまかいふう高校の全生徒が、情報を発信できる場にしたい、と神楽は理想を語った。


「『折角のヴァレンタインだから、それらしい作品を聴きたいと思いました! いつも応援しています!』なんて、凄い嬉しいです! ありがとうございます、“スイーツ作ってほしい系女子”さん」


 そして、定時放送にアナウンスと朗読とを取り入れるのに、成功したのだった。




「じゃあ、今日の“2分の世界”は、氷野天音『Chocolate Wave』をお送りします!」



 少しの無音。神楽が原稿を取り出して顔を上げる姿が、伊月には見えた。その場にいなくても。










 ――――まさか。






「氷野天音、『Chocolate Wave』」



 この作品を、俺は知っている。

 俺が、この作品で朗読するとしたら――――!



「朗読、海風放送委員会、白河神楽」





 彼女のブレスが、微かに聴こえた気がした。






 ヴァレンタインなんて皆は浮かれているけれど、私はその熱狂的な空気が好きではなかった。






 主人公が、神楽に重なる。

 彼女は、人が集まっているときにしか、チョコレートをばらまかない。わざわざ渡しに行くなんてことは、たぶん、しない。






 2月14日の学校の廊下は、生徒が波のように蠢いていて、不便だった。

 それなのに、私も今年は“共犯者”になる羽目になった。たった一人の、彼のせいで。






 彼女は「朗読は素人だ」と自己評価する。しかし伊月は、そうは思わなかった。






「和泉くん、いる?」


 3つ隣の教室の扉から顔を出す。何度もしたシミュレーション。


 それを裏切るかのように、彼は私のクラスに来た。






 間の取り方も、抑揚も。――楽しんで読むことも、彼女が教えてくれたのだから。




 そして、ふと気がついた。




 ――――――まさか、やる気か?



 ――けれど、本当に? 多くの生徒が聴いている中で?




 伊月は、考えを巡らせる余裕を失くしていく。






「ねぇ、チョコレートない?」


 私は軽く呆れてしまった。


「な、何で?」



「昼ごはん忘れたんだよね」




 ――信じられない、と思った。


「――――ちょっと、睨まないでよ!」


 彼の抗議を聞き流しつつ、私は箱を取り出す。






 ――まさか。


 ……!?


 つまり、神楽は。





 本気で、俺にする気でいる……!?







「……はい、!! 私と、付き合ってくださいっ!」


 私には、もう彼の目を見る余裕なんて、無かった。






 伊月は、絶句した。ぴくりとも動けなかった。


「――はい! ちょっと2分オーバーしちゃったけど、大会じゃないしいいよね! ってことで」


 それからの内容は、彼の記憶には無い。


 気づいたら放送は終わっていて。




 ――気づいたら、神楽が胸に飛び込んできた。


「ああ! もう……! 今更だけど照れてきちゃったじゃん……!!」


 神楽が顔を上げた。


「ね? 楽しみにしてろって言ったでしょ? ――――って、え? 伊月、泣いてる?」


 気づいたら、俺は、ぱたりと涙を落として。やっと俺は、11月のあの日の、神楽の気持ちの1%を知った。


「あ、ええと……。とにかく、これあげる! じゃあ、今日は午後授業無かったし、最終下校まであと30分だったはずだから……、帰ろ?」



 彼女はと2人分の荷物を取ってきて、俺の手を取った。そのまま俺を引き摺るように歩き出す。



「チョコレートの感想、楽しみにしてるー」

「ああ……」



 後で彼女が言ったことには、朗読をしてから、「――――あれ? 私、……恋してた?」と悟ったのだとか。


 ――いかにも、神楽らしいと思った。


 それに――。



 あんなに甘い朗読を、俺は初めて聴いた。


 あんなに手の込んだチョコレートも、俺は初めて食べた。

 言い表せないほどの嬉しさと、感動と。たくさんの思いが、複雑に俺を泣かせようとする。やっぱり、俺は神楽が好きで。


 そんな俺を、彼女は好いていてくれていた。


 それが、あまりにも嬉しかった。





 いつか、俺は。


 また、この想いを伝えられるのだろうか。



 この声と、俺の紡ぐ一文でもって――。

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Chocolate Wave 月緒 桜樹 @Luna-cauda-0318

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