四 花と獣 (1)

 西都の花は、満開だった。


「どこへゆくの、華雨」


 刀をひとふり担いで屋敷を飛び出したとき、檜垣の前で道を塞いだ女はまるで親の仇でも見るような目で華雨を睨んだ。ゆいは屋敷の女衆の中でもいちばん年が近い。結の母の千代もやはり女衆で、親無し子の華雨に乳を吸わせ、一時面倒をみたこともある。そういう縁で、幼い頃から何かと突っかかってくることの多かった女は、今恐ろしい形相で華雨を睨みつけていた。


「ここから、出ていくのさ」


 華雨は言った。迷いはなかった。


「明日は、翡翠楼であんたの縁談相手ととめさまが顔を合わせる。それを知っていて、行くの?」

「行く。だって、東雲がわたしを呼ぶんだもの」

「この、恩知らず」

「今に始まったはなしじゃないだろ」


 ふん、と口端に笑みを引っ掛け、華雨は愛刀を担ぎなおした。

 まだ五つの頃はぐんと大きく、見上げることの多かった結は、今や華雨の肩ほどの背丈しかなく、娘らしいたおやかさや肩のまるさのほうが目を惹く。華雨は息をつき、唇を噛み締めて黙り込んだ結のかむりをかき回した。黒髪に、花びらがひとつふたつ絡まっていた。


「とめには、わたしは死んだと言ってくれ」


 西都の花は、満開だった。

 咲き狂っていた。

 白い花群れがみしりと天を埋め尽くし、屋敷の甍も、築地塀も、大路も、皆白い。その中を華雨は駆けた。花を踏みしだくたび、風が立ち、さながら花嵐である。

 時は、西方帝二〇二年。西と東を二分する戦は、その先年、始まっていた。


 *


「酒!」


 華雨は、啖呵を切った。

 空になった素焼きの瓶子がいくつも座敷に転がされている。わずらわしげにそれを蹴りつけ、華雨は片付けをしていた少女を背後からがばりと抱え込んだ。


「酒はじじいに持ってこさせりゃいい。うめはわたしの相手をせいよ」

「ですが、明日にはもうお発ちになるって」

「朝にはな。まだ、日告げの鐘も鳴っておらん」

「ですが」

「くどい。ちっとは口を閉じよ」


 少女の唇を塞ぎ、華雨は刀だこのできた指先で衿を開いた。あらわになった柔膚に唇を這わせる。吸うと、ぱっと花が咲いて、ああ、やはりおなごの膚はよいな、と思う。なめしのように固い男の膚を尖らせた爪でぎりぎりと引っ掻くのもよいけれど、おなごのみずみずしい膚は花を咲かせてこそ、美しい。


(まあ、どちらにせよ、組み敷くのはわたしだ)


 時に金色と呼ばれる眸を細め、華雨はむずがる娘のうなじを噛んだ。


 その翌朝は、さすがに頭が疼いた。

 泡津田あわつたの湊は、潮風がごうごうと吹いて、酒気の抜けぬ身体を鞭打つかのようだ。けだるいあくびをひとつして、華雨は寝違えたらしい首の根をさする。それを見とがめたか、白雨が頬を歪めた。


「おまえ、昨晩はどこにいた」

「茶屋さ。ゴジョもオギも、言っていたろ」


 ぞんざいに説明する華雨に対し、白雨は常の取り澄ました面をちらとも崩さず、眸だけを眇めた。物々しい鎧兜を纏った他の武将らと違い、白雨は簡素な手甲や胸当て程度しかつけておらず、男のくせに姫武者という印象を受ける。あくびついでに華雨がこぶしを入れてやろうとすると、頭をはたかれた。


「……相手は女か」

「まあ、きのうは女だったな」

「華雨」

「なんだよ。昨日は好きにしてよいと言われたのだから、わたしが何をしていたってよいだろ」


 と言っているそばから、吐き気がこみあげてきて、華雨は道端に吐いた。嘆息とともに投げられた竹筒の水で口をゆすぎ、あとは飲み干す。そら見たことか、という顔を白雨がするので、むかっ腹を立てて空にした竹筒を投げつけた。

 泡津田の湊にて合流した西軍、七万五千。

 東に進軍のさなかである。

 東方征伐はすでに三度目で、こたびの大将はかがりという西では名を馳せた若将軍だった。西都を出立する前、篝は西方帝より東征将軍を仰せつかっている。そのさらに先年、立太子した東雲は単身南海に乗り込み、棟梁・網代あじろあざりとの同盟を結ぶことに成功していた。

 南の龍と呼ばれるほどの繁栄をわずか二代で築いた網代一族である。西と東の戦ははじめこそ東が圧していたものの、この同盟が知れると、一気に西方に傾いた。同時期に、名君として慕われていた先代の東方帝が原因不明の高熱に苦しんだ末、急死したのも大きかった。東方の主だった領主も次々西方帝へ恭順の意を示し、兵の数ははじめの数倍に膨れ上がっている。東方帝のおわする東都は、今や『瓦』を治める百川一族が守るのみ。こたびの百川攻めが大一番であろう、という東雲の見立てだった。

 その大戦に、白雨は一族の棟梁である弟とともに馳せ参じ、華雨もまた手下どもを率いて参加している。


「おい、はな! おまえのところのゴジョがまた喧嘩をしておる!」


 裳着ののち、華雨は成名を使うようになっていたが、昔馴染みなどは未だ、幼名のはなのほうで呼ぶ。篝付の老軍師・鵜飼うかいもそうだった。白雨はまだ物言いたげであったが、年長の鵜飼へ道を開けた。


「なんだよ、じいさん。ゴジョがどうしたって?」

「金玉のでかい小さいで別んところの兵とどつき合いじゃ。やめよと言うたら、張り手をされた。おまえのところの兵は荒くれ者ばかりでかなわん。もういい加減にせいよ」

「そりゃあ悪かったな」


 頬のあたりをさする老軍師の肩を叩き、華雨は「やれ!」だの「いけ!」だの騒いでいる渦中へ飛び込んだ。水路のそばの均した土のあたりで泥んこになってどつき合いをしているうちのひとりは、鵜飼の言うとおり、華雨配下のゴジョである。華雨はオギに愛刀を預けると、袖まくりをした。


「おおいゴジョ。状況はどうだ」

「はあ、まずまずです、はなさん」

「そうか。なら、加勢してやる」


 こぶしを鳴らすと、華雨はゴジョにのしかかっていた兵の首根っこをつかんで、殴り飛ばした。さらにはゴジョも殴り、ふたりの大男を揃って水路に投げ入れる。腕には覚えのあるゴジョであるが、カナヅチであるからたまったものではない。四肢をばたつかせて喚き、しまいには喧嘩相手の腰に助けてくれとすがりつく始末だ。


「なんで俺もなんだよ、はなさん!」


 ほうほうのていで引き上げられたゴジョは不満げである。


「あれしきの手合いに、まずまずなどとのたまうおまえが悪かろう」

「はなさんが強すぎるのさ」

「ふふん。悔しかったら、一泡ふかせてみな」


 華雨はゴジョの濡れ頭を小突くと、預けていた愛刀を腰に佩いた。

 ゴジョをはじめ、華雨配下の者はごろつきばかりである。東雲のもとへ馳せ参じたとき、華雨が連れてきたのがこれまで倒した盗賊どもだったこと、南海への護衛を買って出た折、あたりの海賊をたちまち従えてしまったこと、そういう噂が知れ渡り、近頃ではこれはいかん、これは手を付けられん、といった連中は皆、華雨に押し付けられるためだ。どんな腕自慢のごろつきだって、華雨のところへやってくると皆おとなしくなってしまうから不思議だった。


「はなさんは強いからね」


 最初の頃からつき従っているゴジョなどは、頬傷を人懐っこく歪めて微笑む。


「獣はより強い獣に従うもんさ」


 泡津田で合流した西軍は、陸路を東にとり、十日後には東都に近い鞠ノ井にたどりついた。鞠ノ井の先には、屑ノ原と呼ばれる曠野が広がり、その隣に百川の守る『瓦』と東都がある。鞠ノ井は、東方帝の遠縁にあたる早良さわら氏が治めていたが、篝大将率いる西軍に先立ち、西方の蕨坂わらびざかが交戦し、これをくだしていた。


「はな! はなを呼べ! また喧嘩じゃあ!」


 鞠ノ井を通過した西軍は、篝将軍の命で屑ノ原の瓦山に近い南の平地に陣を敷いた。後方の兵站地として、鞠ノ井及び蕨坂が配される。さっそく主立った武将らを集めての軍議が始まったが、華雨といえば相変わらず手下どもの喧嘩の始末に追われていた。始末といっても、双方殴り飛ばしての両成敗が華雨のやり方である。今日も今日とてあちらで三人、こちらでふたりと殴り飛ばし、肩を鳴らして戻ってくると、瓶子を運ぶ小姓が前を横切った。


「おい小僧。それ、どこへ運ぶんだ」


 華雨はとにかく手が早い。隣に並んだ拍子に奪い取った瓶子を傾け、味見をしていると、腕の中のものがいつの間にかなくなっていたことに気付いた小姓が唇をひん曲げた。


「ちょっと返してくださいよ、はなさん。篝将軍のところへ運ぶんです。飲みかけなんて持っていったら、わたしが怒られる」

「じいさんたちも、毎日根詰めてようやるな」

「おおかた、『瓦』をどう落とすか、考えているんでしょう」


 かぶ、と呼ばれる小姓の少年は、まだ稚気を帯びた面をつんとそむけて言った。

 屑ノ原は、西と東のいずこにも属さぬ土地である。不毛の曠野、ゆえに屑。東果ての森を境に、けんという異民族が棲んではいたが、こちらと東都は互いの領地を侵さない旨の協定を以前から結んでいる。

 対する百川の守る『瓦』は三方を山に囲まれた難所だ。屑から瓦山にかけて行商などが使う一本道が通ってはいたが、かつて数に任せて攻め入ったところ、待ち伏せをしていた百川軍の総攻撃を食らい、撃退された例があるため、慎重にならざるを得ない。


「小僧。おまえなら、あの『瓦』、いかにして落とす?」

「はあ、知りませんよ。はなさんこそ、どうなんですか」

「たわけ。小難しいことをわたしに聞くな」

「はなさんは喧嘩以外はからきしですからねえ。それじゃあ、瓦山の一本道を使わないというのはどうです?」

「ほう?」

「たとえば、森林のほうから回って……」


 話しながら、このような難所に果たして鵜飼はどのような策をめぐらせているのかと興味がわいた。戻ろうとしていたのを思い直すと、華雨は瓶子を半分持つふりをして軍議の催されている陣幕をくぐった。

 花紋が染め抜かれた陣幕のうち、中央に篝将軍と思しき男が腕を組んで座し、鵜飼や西方の武将らがあたりの地形や陣の形を模した盤を囲んで、ああだのこうだのと言い合っている。鵜飼というのは齢七十八になる老将であるが、この地形盤づくりにやたらに凝るたちで、海のところは水を入れ、山なりになっているところには盛り土をし、目印となる樹や石までそのとおりに作りこんでいる。若い頃、兵書をかじっていたせいで鵜飼に心酔しているゴジョなどは、地形盤からこだわるあたりが鵜飼軍師の策の緻密さをあらわしているのだ、と褒めそやすが、単にこまかいものを作るのが好きなだけであろ、というのが華雨の見解である。


「じいさん、今日も凝ってるな。おうおう、川までひいてある」

「はな」


 瓶子を置いて華雨が冷やかすと、床几にあぐらをかいていた鵜飼は鼻に皺を寄せた。華雨が勝手に紛れ込んだのが気に食わなかったらしい。

 華雨は肩をすくめた。


「そろそろ話はまとまったんか。兵もいい加減、退屈しているぞ」

「うるさいわ。冷やかしなら帰れ」

「なんだ、つれんなあ」

「おまえが華雨か」


 ぼやいていると、隣の男が水を差したので、華雨はむっと眉をひそめた。座の中央にいる以上、いかなる人物なのか華雨とて察しがついたが、「いかにも」と腰を落とすこともせず、わざとらしく首を傾げた。


「それで、『おまえ』はどこの誰がしだったか」

「はな!」

「うるさいな、じいさん。名乗りもせずに、おまえ呼ばわりする奴は好かん」

「あほう! 口の悪さでおまえの右に出る者はいないわ!」

「そうかね。じいさんこそ、そのきぃきぃ声をどうにかしてくれ。耳がきぃんとするだろ」


 うんざりとした顔で華雨が耳の穴をかっぽじると、別のところから笑い声が立った。先ほどの武将である。


「口の悪さはお互い様ということか。許せ、華雨。篝だ」

「華雨だ。なんだ、将軍様っていうからもっと偉そうかと思ったが、案外物わかりのいい奴じゃあないか。なあ、じいさん」

「はな! いい加減にせい!」


 無造作にくくった華雨のざんばら髪を引っ張り、鵜飼が無理やり地に伏せさせる。普段は泰然としたこの老将が年甲斐もなく慌てふためくさまと、さっぱり意に介した様子ではない華雨が髪を直すさまを見比べた篝は、「よい、よい」と笑って手を振った。


「東雲様の養い子で、妙ちくりんのおなごがいるとは聞いていたが、思った以上であったわ。さすが東雲様よ、やることなすこと皆、俺の上を行く」

「そりゃあそうだろう。馬鹿さ加減でも、あいつに勝てる奴はそうおらん」

「その東雲様に惚れた俺もおまえも、ならば馬鹿仲間であるな。ところで、華雨。退屈をしていると言ったな。それなら、退屈しのぎにひとつ引き受けてはくれないか」

「何をだ?」


 他の者ならば、いぶかしげな顔をするだろうところで、とたんわくわくと、子どものように身を乗り出すのが華雨という女である。勧められた床几に乗っかり尋ねた華雨へ盃を差し出し、篝は言った。


「護衛をひとつ頼みたいのさ。兵の中に、昔絵描きだったおやじがいる。そやつを瓦山のそばまで案内し、絵描きの間、守ってほしい」

「瓦山っていうと」

「おそらく、こたびの戦場になる。あのあたりは道も険しく、馬を操るにも難儀すると聞く。どうだ、できるか華雨」


 面白い、と華雨は盃をぐいと飲み干した。

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