三 薊の棘 (1)

 まこと遅咲きの花であった。


 西都の湊から乳母屋敷へ向かう途上、万葉山のふもとに広がる野辺を歩いていると、背の高い夏草に混じり、かゆらぐ薊を見つけた。みどりの野にあって薊はひときわ目を惹く。引いていた馬がそちらに鼻面を向けたので、首を叩いて諌めた。薊には鋭い棘があり、触れれば足を傷つけてしまうかもしれない。平太、と名付けた栗毛は不服そうに鼻を鳴らしたが、あとは何も言わずに従った。


「しらさめ」


 幾分離れてしまったところから東雲が振り返るのが見えた。

 風が吹き、夏草がどうと唸った気がして、白雨しらさめは目を眇める。


「ここに」


 かむりまで届く草をかき分けて歩き出しながら、遅咲きだな、と白雨は思った。


 *


 はなが裳着なのだそうだ。

 東雲は西都に入ってからしきりにそのことばかりを話している。こたびの西都への帰還も、気を利かせた女衆が文でそのことを書き添えたために急遽決まったことだった。当初は北の山岳から南海へ回る予定だったのを、東雲は船を変えて西都で降りると言い張った。曰く、娘の裳着に立ち会わぬ親があるか、と言う。

 時は、西方帝一九八年。

 滄海にぷかりと浮かぶ島国の、西と東に己が天じゃ、と称する帝が立ち、争いの絶えない時分である。昼間から辻斬り、野盗が跋扈する西都は、平穏とは言い難い。止めるつもりで天の星に尋ねたが、しかし悪い兆しはあらわれなかったので、白雨はしぶしぶ主人に従った。

 東雲は、契りを結んだ白雨のあるじである。白雨の九つ年かさで、このとき二十四。皇子の身でありながら、未だ諸国を漫遊していた。


「なあ、白雨。おまえ、あれをどう思う」

「あれ、とは」

「北で、一揃い化粧道具を買っただろう。彫師に万の桜を彫らせた、黒漆の。はなはいらんと突っぱねると思うか」


 乳母屋敷へ向かう途上も、東雲は馬にしこたま積んだ土産の話などをしている。いい加減面倒になり、白雨は、さぁ、と視線をよそに向けた。

 名を、はなという。

 東雲が十一年前に拾った赤子は、その名にそぐわぬ、おのこのような娘であった。

 威勢がよい。気性も荒い。ついでに喧嘩にかけては負け知らずとくる。幼子の時分は、熊とやりあった挙句これを子分として連れ帰り乳母を失神させ、近頃は身の丈と同じ尺の木刀をふるって、辻斬りどもの頭をかち割っていると聞く。


「しののめ!」


 その獣が落ちてきた。

 察した白雨はすんでで一歩下がったが、東雲のほうは真正面からぶつかって盛大に尻餅をついた。慌てふためく従者たちをよそに、けらけらと笑い声が弾ける。はなである。


「しののめ、この木偶! 相変わらずもやしだな!」

「おまえはおおきゅうなったなあ、はな。重くて、もう抱けん」


 首をすくめた東雲に、「重いは余計だ」とはなが言う。


「腕をもちっと太くせいといつも言っているのに」

「そういうことは白雨がやるからいいのさ。ふん、さみしかったか、はな。このじゃじゃ馬め」


 さんざ罵られているのに、むしろ嬉しそうな顔をして、東雲は馬乗るはなの赤い鼻を摘まんだ。やめよ、とはなは東雲の胸を叩いてじゃれついている。相変わらずの養父と娘の姿に嘆息し、白雨ははなの背を蹴った。


「どけ。おまえは犬か。東雲が起きられん」

「ああ?」


 持ち前の身のこなしで着地したはなが凄む。

 しかし白雨と目を合わせるや、口端に薄い笑みを乗せた。


「なんだ、誰かと思えば、占いやの坊ちゃんか。裳着はすんだか、髪上げはまだなんか。ええ? どうなんだ、このおなごおとこ」

「北の庄では十二で大人となるゆえ、元服なら済んだ。しかし西都では、獣も元服なぞするらしい。奇特なことだ」

「なんだと!」

「おい、はな」


 啖呵を切ったところで、東雲がはなのざんばら髪を引っ張った。なんだよ、と顔をしかめるはなをじっくり見つめて、「腰が抜けた」と言う。


「はああ? なんだって?」

「起きようにも起きられん! おまえ、ちと屋敷まで走って輿を持ってこい」

「このもやし野郎め」


 舌打ちすると、はなは東雲の横にかがんで片腕を己の肩へと回す。はなは大人も手を焼く荒くれ者であるが、身体は同じ年頃の娘たちよりも小さい。対する東雲は二十も過ぎた男であるから、いくら木偶でもやしだとて、はなの手には余った。


「輿でよいと……」

「こっちのほうがはやい」


 などと言いながら、はなの膝は踏ん張り切れずに震えている。白雨は幾度目になるかわからぬ嘆息をした。そこだけ娘らしく蝶柄の衿などにしているはなの首根っこをつかんで「持ってろ」と平太の轡を代わりに握らせる。東雲を担ぎ、白雨はおよそ一年ぶりになる乳母屋敷の門を見上げた。群がって生えた橘の枝から、油蝉の声がした。



 にわかなるおとないのせいか、乳母屋敷は常より賑々しい。

 迎えた女衆に驚かれながら奥間へと東雲を運んだ白雨は、噴き出した汗をぐいと拭った。気を利かせた下女が盥に水を汲んできたので、草鞋を脱いで足をつける。ぬる水ではあったが、走り通した足には気持ちよい。

 平太にははなが飼葉と水をやっておくと言っていた。はなは平太が気に入りで、立ち寄るたび、白雨に対するよりよほど甲斐甲斐しく世話をした。


「こんなたいそうなもの、あの子にやったって使えやしませんよ」


 五十を過ぎて髪に白いものが混ざり始めた乳母は東雲の腰をさすりながら、はなのことをごちている。馬の荷を下男が運び入れているときに、土産の化粧道具を見つけてしまったらしい。あの子ときたら、娘らしいよそおいはおろか、俺だのなんだのと口汚い言葉ばかりを使って、目を離すと泥まみれになって帰ってくる、と先ほどからぶつくさと呟いている。

 はなも来年には十三、あと数年もすれば、十分よその家に嫁げる年頃だ。しかし当の本人にその気がないどころか、未だに木刀を振り回し、おのこのように街を駆けずり回っているのがこの乳母は心配でならぬらしい。軒に吊るされた土風鈴の揺れる音を聞いてまどろみながら、さよか、さよか、と東雲は適当な相槌を打っている。おそらくろくに聞いていないにちがいない。


「そうだ、とめにも土産を買ってきたぞ」

「ええ? まことですか?」

「だから、ちと機嫌を直してくれ。な?」


 懐をあさっていた東雲の手が千代紙の包みを取り出す。開けば、小鳥をかたどった銀細工の簪があらわれた。まぁ、と乳母が娘子のように頬を赤らめる。


「挿してみいよ、とめ」

「ですけども」

「よいから」


 東雲自ら簪を取り、結髪に挿してやると、とめは浮き足立って鏡を探しに出て行った。


「……よかったのですか。あれは箏の姫君に」

「ふふ。あんまりぶつくさ言うから、追い払ってしまった。怒るなよ」


 悪戯をした子どものように、東雲はわらった。よくなったらしい腰を起こして、文台の前に座す。気まぐれにやってくる東雲のために、文台の上の硯箱や香壺箱、調度のたぐいは、乳母屋敷ではいつもそのままにしてある。


「ことは、簪なぞをやると膨れ面になるゆえな。まったく妙ちくりんの女よ。あれには、北の飴細工を買った。前にやったとき、目を輝かせて喜んでいたから」

「なら、よいのですが」


 季節に合わせた料紙を選んで、さらさらと何がしかを書きつける。一時、高名な歌師のもとに入り浸っていたためか、東雲は呼吸をするように歌が詠める。歌のよしあしは白雨には判じられなかったが、諸国を旅する道すがら、ときどき口ずさんでいるのを聞くことがあった。

 東雲は飴細工の包みに文を結ぶと、白雨にそれを預けた。


「ことに届けてくれ。それと、栴檀を焚いておけとな」


 栴檀とは、東雲の好む香である。

 数年前、無名の人形師が献上した夜伽を東雲はたいそう気に入り、屋敷をひとつ与えて面倒をみていた。名をこと。その類まれなる箏の腕前から、箏姫とひとびとに呼ばれる女性である。

 東雲はことのほかに決まった女を持たない。女の趣味まで変わっている、と都びとにますます笑われるゆえんである。しかしこれには一笑するだけで東雲は西都へ戻るたび、飽きもせず箏姫のもとへと通っている。

 一度、そんなによいおなごなのかと不思議に思って尋ねたことがあったが、東雲は、教えぬ、と言って口を閉ざした。愉快そうな顔つきだった。


『――あんた、恋をしたことがないだろ』


 白雨はかつて、褥で夜鷹女に言われたことがある。確か十三の時だった。

 湊のひと溜まりで声をかけてきた女は白雨よりひと回りほど年かさで、胸に牡丹の刺青が彫ってあった。白雨の故郷でも、術師と呼ばれる者たちは身体の一部に刺青を彫る。懐かしさに駆られたのかもしれない。十三の白雨は女を知らなかったが、牡丹の刺青は触れると熱く、我を忘れて貪った。


『ない』


 白雨は眠い目をこすりながら言った。

 恋などという言葉が夜鷹女から出てくるのが少し不思議ではあった。

 茶屋の二階の一間からは、夕時の海が見える。暗くなり始めた波間に、ちらほらと漁火が浮かんでいた。


『なら、してごらん』

『ばかばかしい』

『尻の青い餓鬼が言うんじゃないよ。してごらん、恋。ばかばかしくて、わらえるよ』


 背を丸めた白雨を後ろから抱きしめて、夜鷹女が囁く。『なら、しない』と言って、白雨は女の牡丹に顔をうずめた。


 白雨は、北の庄を治める領主の正室の子として生まれた。

 ひとり兄がいたが、これは側女に孕ませた子であったから、北の庄の次期棟梁は白雨になるだろうというのが母をはじめとした周囲の見立てだった。だが、その母が、これは欠けている、と言って生まれたばかりの白雨を捨てた。

 これはだめだ。足りない。欠けていると。

 代々、星や月を読み、占を生業としてきた術師の一族である。傍流とはいえ、母も何がしかの兆しを息子に視たのやもしれぬ。さりとて、その意味するところもわからないまま、白雨は叔母の家へと養子に出され、息をひそめるようにして育った。跡取りには、弟がなった。

 叔母の屋敷は、橘の鬱蒼と茂った寂しいところにあった。早くに夫を失ったやもめの叔母は、冬の間以外は日がな飼っている蚕の世話をして暮らしている。白雨の者として心得るべき月や星の読み方、判じ方といったものは皆、蚕の世話の合間に口伝えでなされた。種紙から毛蚕を掃き立てながら、白雨は叔母の節くれ立った指先が天を指すのを見つめる。

 星読みは、糸繰りに似ている。

 術とは、蚕を育て、取った繭から糸を取り、機織る作業と同じだ。

 太った蚕が繭ごもるためにしゅるしゅると糸を吐く声を聞きながら、白雨は星を読み、蚕を育て、機織る叔母の手を見つめ、また星を読んで、叔母の口伝をとん、とん、と刻む機織りの音に合わせて繰り返した。叔母はろくに白雨と口を利かなかったが、歌うように機織る横顔は若い娘のようにも、老婆にも見え、幼い白雨には少し恐ろしかった。

 叔母の屋敷は北の庄でも村外れにあるため、夕暮れになると桑を食む蚕の声以外、音がなくなる。鬱蒼と茂った橘の棘の多い枝間に斜陽が射し、濡れ縁にひとり座って糸を繰る白雨の足元には長い影が伸びた。


(欠けている)


 幼い白雨は己のかげぼうしを見つめながら、ぼんやりと考える。


(おれは、かけている)

(……なにが?)


 東雲がひょいと現れたのは、叔母の屋敷で育ち、幾許か年が過ぎた頃だった。

 その頃の東雲はまだ少年といってよい年頃で、乳母のばばが風病を患ったとかで北の庄の霊山に詣でに来たのだった。当然、東雲は弟と母の住む本屋敷のほうへ泊まったが、どこで噂を聞きつけたのか、叔母の屋敷へもやってきた。


『おまえも、占をやると聞いた。どうだ、俺の行く末、なんと見る?』


 声をかけてきた少年をひと目見て、ああ木偶だな、と白雨は思った。

 白雨は占の一族である。占と聞くと、ひとはたいてい先見をしてみよ、と言う。そら己の明日をあかしてみせよと。


(おまえは、この毛蚕一頭を見ただけで、この先どんなものが織り上がるのかわかるってのか)


 嫌気が差して、白雨は目をそらす。そして、言った。


『そんなもの、見るまでもない』

『なんだと?』

『おまえの行く末は、悪党だ。おまえは、この山いっぱいの人間をむごたらしく殺す。この北の庄より広い土地を焼き払う。山賊よりよほどたちが悪い』


 東雲はしばらく呆けた顔をして、白雨を見ていた。このとき、白雨は未だ七つの子どもで、東雲とて十六の元服したばかりの少年だった。そうか、と神妙そうに顎をさすって東雲は俯く。

 そして、笑い出した。


『そうか。山賊よりなあ。ふふん』


 呆けるのは白雨の番である。悪いことを言われると、ひとはたいてい蒼褪めて声を失うか、おまえの占は嘘じゃと喚き散らすかどちらかであるのに、笑い出す人間にははじめて会った。


『さもありなん』


 ひとしきり腹を抱えて笑った東雲は、白雨の耳に子どもが悪戯を打ち明けるように囁いた。


『俺はこの世をひとつ、盗む気なんだ。おまえの父御も母御も弟どももつまらぬ占ばかりするゆえ、飽き飽きしておった。才能があるぞ、おまえ』


 とびきりの宝を見つけたかのように、目を輝かせて言う。

 白雨のでたらめが東雲はいたく気に入ったらしい。北の庄へ滞在する間、こちらの屋敷に入りびたって一緒に蚕の世話をし、いざ帰る段になると、『これをくれ』と一同の前で白雨を指差し言った。

 くるいの君といえども、東雲は西半分を治める西方帝の皇子である。献上の品々をおさめていた母たちは一様に眉をひそめ、『これとは』とあたりを見回して問うた。


『白雨じゃ。土産はいらんから、俺にくれ。むしろ何を差し出せば、こやつを俺のものにできるのか。なんでもよいから言うてみよ』

『と申しましても、なきは役立たずの子ゆえ……』


 無とは白雨の名である。呼ばれるたび、虫唾の走る、呪われた名である。

 情けなくなってしまって俯くと、そうか、と東雲は腕を組んだ。おもむろに腰に佩いていた懐刀を抜いて、父の前へ放る。


『では、刀と交換でどうだ。『無い』なら、なおよい。こやつの未来は俺が買う』


 一同が今度こそ目を剥く。

 東雲は、皇子たる証である宝剣と引き換えに白雨を買った。安い買い物であった、と東雲は未だに胸を張る。



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