四 花と獣 (5)

 大将の首を取られた百川軍は散り散りに『瓦』へと逃げ帰った。

 百川は広大な土地を有するため、古くから三家の合議制を取っており、千丞は死んだが、他二家の棟梁は残っている。しかれども二家の棟梁も翌々日、白旗を掲げた。

 東都にて、東方帝が拘束されたとの由である。

 捕えたは、白雨一族の率いる一軍。西軍が百川と交戦を始め、兵力が一手にそちらに集まったのを見計らい、手薄になった東都を直接叩いたのだった。西軍、ひいては東雲の狙いはここにあった。実に十五日に渡り、屑ノ原にのんびりと布陣してみせたのも、白雨軍が東都に到着するのを待っていたためである。完膚なき、西軍の勝利だった。

 半月後、東雲が一軍を率いて東都入りし、ここにおいて二百年間西と東に分かれし国は統一を果たす。



 東雲が東都に入ったとき、華雨は屑ノ原で死の淵をさまよっていた。

 もう半月目を覚まさぬのだという。いくつもこさえた傷はどれも深かったが、特に腹を突き破った千丞の太刀が悪かった。抜くと、血が止まらず、すぐに血止めをしたが、華雨が獣のように暴れるので手当もままならぬ。しばらく暴れて喚いた華雨はそのうち、死んだようにおとなしくなった。息はしている。しかし、それからぱったり目を覚まさない。


「死ぬのか」

「このまま目を覚まさなければ」


 眠る華雨のかたわらにあぐらをかいたのは、白雨だった。

 東雲は東都で、捕えられた東方帝を処断している。周辺の守りを弟に任せ、白雨は屑ノ原へ戻ってきた。華雨負傷の報せが入ったとき、東雲はそうか、とうなずいただけで表向きは顔色を変えなかったが、白雨が戦後の処理を含めて屑ノ原へ戻る旨を伝えると、ほっとしたようにこれを許した。

 血の気の失せた女の顔を見て、そら見たことか、と白雨は思った。


(おまえは、死に急ぐ)


 星を読むと、華雨の先には常に暗雲が垂れ込めている。

 華雨とは不思議な女なのである。

 払っても、払っても、女の行く先には暗雲が付きまとい、晴れることはない。死の凶兆である。そのくせ、華雨はいつもけろりとした顔でこれらを薙ぎ払い、刀を担いで帰ってくる。しばらくして、気付いた。華雨の行く道に暗雲が垂れ込めているのではない。暗雲のある場所へ、華雨が走っていくのだと。


(だから、馬鹿なんだ。おまえは)


 睨めつけ、白雨は丸まった女のこぶしを握る。

 薊のそよぐ河原で少女が泣いている、あのときのように、握り締めた。




 目を開けたとき、これはいかんな、と自分でもわかった。これまでも大怪我を負ったことは幾度もあったが、そのどれとも違った。身体が自分のものとは思えぬほどけだるく、冷たい。己の肉に爪をかけて追いすがっているような、そんな心地だった。


「しののめ、」


 華雨はかすれた声で口にした。目の前が一時、はっきりとした輪郭を取り戻し、かたわらに座す男が白雨だとわかる。呆けた顔をする男がらしくなくてわらえた。わらうと、腹のあたりがひりつくように痛んで眉間を寄せる。


「しののめは、どうした」

「東都入りした。東方帝は捕えられた。百川も降伏した」

「さようか」


 目を瞑ると、百官をかしずかせ、即位礼に臨む東雲が見えるようだった。

 しののめ。

 そうか、しののめ。

 おまえ、大博打に勝ったんか。

 勝ったんか。しののめ、すげえなあ。


「死ぬのか、華雨」


 時折、白雨は妙な口ぶりをする。


「死なんさ」


 華雨はわらった。


「華雨」

「……だって、いいじゃないか」

「華雨」

「成し遂げたんだ。やり遂げたんだ」

「はな」

「もう、いいじゃないか。白雨」


 息を吐き出す。

 天に架かる金色の月を追いかけて、大博打を始めた。さむいな、うんさむい、と東雲と身を寄せて手を擦りながら帰る道すがらに見た、あの金色の月である。東雲の背を追いかけるのは楽しい。ずっと追いかけていたい、もっとふたりで月を見上げていたい、と思う。されど、東雲はやがてこの道の先にたどりつく。

 そして、華雨とは別の道を歩き出すんだろう。


(おまえとちがって、戦のなかでしかわたしは生きられない)


 だって、獣の仔だ。獣の仔だもの。おまえとはちがう。

 同じ道を生きることはできない。そのことが、こんなにもかなしい。


「おまえは、馬鹿か」


 ふいと、白雨が言った。怒るような声だった。


「馬鹿だな。ばかもの」


 ひゅっと小刀が華雨の眉間に突き立てられる。近くで水を替えていた娘が叫び声を上げたが、「動くんじゃない」と白雨が言った。


「それなら、ここで腹を切れ」

「なにを」

「首は俺が落としてやる。はなから死ぬつもりの者の看病など、くだらん。東雲を残して、おまえひとりで逝っちまえ。いいさ、おまえなんぞいなくとも、東雲は俺が守るから」


 白雨の目は本気である。

 握り締めた小刀の切っ先が膚に食い込んで、血が伝う。


(痛い)


 華雨は思った。

 思ったとたんに、涙が溢れる。せきを切ったように嗚咽がこぼれ、それでまた腹のあたりが痛んで、くるしい、いたい、と思う。――馬鹿じゃないか。そう思った。馬鹿じゃないか、白雨。もう死にそうな奴に腹を切れっていうのかおまえは。


『山犬などにくれてやるものか』


 生きろって、いうのか。

 なあ、東雲。

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