小話 山梔子

「また例のが来ておりますよ」


 顔をしかめて、えんが言った。例の、とだけで通じる。

 東雲のおとないが知られるようになって少ししてからやってくるようになった少女は、いつも山梔子の葉のこんもり茂ったあたりにうずくまってじっと母屋をうかがっている。恥じらいゆえではない。少女のそれは獲物を狙う獣の殺気に近しい。


「飴を置いておやり」


 からりん、と糸を爪弾き、ことは言った。


 *

 

 長い戦であった。ことと養い子である少女との、刀を使わぬ戦である。

 雨の降りしきる中、手慰みに箏をいじっていると、御簾の外に気配を感じた。やはり山梔子のあたりで耳を澄ませている。えんは眉をひそめたが、ことはそのままにしておけと言い、箏を奏でる手を止めなかった。今箏をやめれば、あの娘は己に牙を剥こう。引くことはできぬ。これは刀を使わぬ女戦である。

 一曲終えたあと、そっと御簾を引きやると、山梔子の中で悄然と震えている少女が見えた。お互いわるい男にひっかかったものだと、息がこぼれた。

 その後も時折少女はやってきた。箏を爪弾く間、山梔子の茂ったあたりに身をひそめて耳を傾けている。背筋を張って天を仰いでいることもあり、うずくまって固く目を閉じていることもあった。ことは糸を繰りながら、御簾の外の少女の息遣いを聞いた。苦しそうに息を潰す少女が、ふいといとおしく思えたのは幾度目の雨の夜だろう。お互い、わるい男にひっかかったものである。


「やっと正面から参りましたね」


 爪弾く手を止めて、ことは顔を上げる。

 肩をすくめ、女になった少女は飴の詰まった包みを箏のかたわらに置いた。

 華雨、と今はじめてその名を呼ぶ。


                            【終】

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