四 花と獣 (2)

 まるで西と東、左と右じゃ、といわれる。

 時の東方帝・かなえと、西方帝が皇子、東雲である。

 西と東をふたつに分ける大戦をした両者が生前、相対すことは一度きりしかなかったが、さる歌師が東から西へ旅した折、それぞれに招かれ、歌を教えた話をのちにこのように語っている。いわく、この印象について、まるで西と東、左と右じゃと。

 東方帝の歌は、折々の季語の選び方、古歌からの引用などこまごまと技巧を凝らす吟じぶりがいかにも緻密であるが、そのくせ、筆走り誤った字をそのまま見せるあたりにどこか貴人らしいおおらかさがある。対する、東雲の歌いぶりは型破りだ。一般によい、とされている並びなど気にも止めずに、好き勝手歌う。そうであるのに、料紙におさまった字はやたらに小さい上、何ゆえか、ひとの倍も時間をかけて書く。


『東方帝に比べますると』


 東雲に、東方帝について尋ねられた歌師は苦笑し、このように言った。


『あなたさまは肝がちと、小さいように見受けられる』


 東雲もまた苦笑し、叱られた子どものように首をすくめたのだという。

 戦になると、両者の気質の違いは明瞭だった。東方帝の戦はしばしば詰めが甘いといわれる。兵力や策でもって、ぎりぎりまで敵方を追い詰めるのに、最後でどの首から上げるだの、その方向には忌みがあるので兵を遣わせたくはないだのとこだわって、機を逸する。対する東雲は時折周囲の度肝を抜くことをするが、おおよそ万事、じれったいほどに慎重である。兵の数で負ける戦には、まず手を出さぬ。そういうときはじっと待ち、あれこれと手を尽くして時機をはかった末、これはどう転んでも西の勝ちじゃ、と目算があるときのみ腰を上げる。

 今や、西軍は七万五千。東軍に比べ、数の上では勝っていたが、勢いに任せて攻めようとは考えないのが東雲だった。こたびの篝将軍らの配置も、そういった東雲の性格がよく出た人選だったと言えよう。


「確かに、三方が山だな」


 枯草の乾いた茎を押しのけると、吹き飛んだ綿毛が顔にかかり、華雨はくしゃみをした。洟をすすって、綿毛を払う。途中まで駆けてきた馬はすべてふもとへ置いてきている。村人の物見を装っているため、布で巻いた愛刀を携えている以外は丸腰だ。ゴジョとオギも同様のなりをして、こちらは持ってきた握り飯をほおばっている。適度に見晴しのよい草地で、篝の言っていた絵描きがあたりに視線を走らせつつ、ちゃきちゃきと筆を動かしていた。

 篝が華雨に命じたのはつまり、戦場となる屑ノ原と瓦山周辺の地形の把握だった。古地図ならば、あるにはある。しかし、百川の懐ともいえる地で戦をする以上、実際に地理を見ておいたほうがよかろう、との篝の言だった。なるほど、地形盤づくりにこだわる鵜飼と篝は気が合いそうだった。百川と西軍、両者の斥候は、時折各所で小競り合いをする程度で、未だどちらの本陣も動いてはいない。


「西軍のほうが数は多いんでしょう。正面から攻めても勝つんじゃあないんですかね」

「いやいや、そうもゆかぬが戦なのよ。地の利はあちらにある。かように狭い山道を一列に隊を組んで突っ切ってみよ。前と同じく、総攻撃を受けて潰されるのがオチぞ」


 ゴジョがもっともらしく講釈をたれるのがおかしくて、華雨は吹き出した。図体のでかいゴジョは力自慢で知られているが、昔兵書をかじったせいで、戦の前になるとあれこれと説明をしたがる。


「なんですか、はなさん」

「なんでもない。それで?」

「となれば、東側の森林を迂回しての奇襲が最良とも思えますが、こちらの動きに先に感づかれると待ち伏せて撃破される恐れがある。どちらにせよ、地の利はあちらにありますからな」

「まあ、じいさんだって、もうちょっとあれこれ考えているだろうよ」

「はなさんはどう思います?」

「わたしはそういった小難しいことは、だからわからん」


 手にとまった蚊を叩いて、華雨は潰した残骸をかいた。

 どこからどう攻めるのかなどは、実のところ華雨にはどうだってよかった。ただ、あれをしとめよ、と命じてくれさえすればよい。華雨がするのは、敵の喉元に食らいつくことだけである。どれが敵なのかとか、どこから最初に食らったほうがいいのかとか、そういった小難しいことは篝や鵜飼が決めればよい。


(だから、はやく獲物をくれ)

(はやく)


 まんじりとした日々を送っていると、華雨の中の獣の血がうずうずと疼き出す。女を抱き、酒を飲み、喧嘩などもして、それでどうにかなだめているものの、気付けば、敵の首をぶった斬る瞬間を思い出して、刀の柄に手を伸ばしている。


「あちらに岩山がありますね」


 ゴジョの声に、華雨は我に返った。

 太い指の指したほうを仰ぐと、東の森林に対し、西には岩ばかりのはげ山がそびえたっている。この時期は霧が多く、頂までは見通せないが、獣も寄せ付けない険しさである。ふぅむ、と目を眇めた華雨は、ふと動きを止めた。


「どうかしました、はなさん」

「音がする」

「えっ」


 ゴジョとオギが顔を見合わせたが、華雨はじっと遠くを睨み据えている。そして、


「上だ!」


 と叫んだ。絵描きのおやじに飛びついて、地へ伏せさせる。むっと押し寄せた腐葉土の湿気くささにしわぶいて、目を上げると、近くの幹に矢が刺さっていた。しばらく警戒して伏せたままでいたが、しかし、矢は最初の一本きりであとは飛んでこない。矢羽をあらためると、西方のものであった。どうやら、ふもとに近い草地で西の斥候と百川の斥候とがぶつかったらしい。その流れ矢だった。


「どうしますか」

「ここなら、離れているし、どうにもならんさ」


 言いながら、華雨は愛刀をくるむ布を解き始めている。華雨の気質を知っているゴジョとオギは眉根を寄せた。


「まさかと思いますが、はなさん」

「ちと見てくる。おまえらはおやじとここで絵を描いておれ」

「いいんですか。篝将軍はおやじさんの護衛をするよう言っていたんじゃ」

「護衛もしつつ戦もするのさ。別によいだろう。頼んだぞ」


 言うや、華雨は斜面を滑り下りた。がさがさと腰にまとわりつく秋草をかき分けて飛び出すと、すでに双方刀を抜き合い、乱闘になっている。華雨も愛刀を抜き、手始めに端で矢をつがえていたひとりに飛び掛かった。相手は胸当てを身に着けていたが、あいまを突くと、肉を断つ感触が柄を通して手のうちに伝わり、やったな、と思う。くずおれる男には一顧だにせず、華雨は振り向きざまに背後から襲ってきた男の喉笛を掻き切った。血がぱっと散る。それが娘の柔膚に咲かせた薄紅の花と重なり、ああやはりこちらのほうが性に合っているな、と華雨は口端に薄く笑みを湛えもぞする。

 倒れかかる男の腰を蹴りつけてどかし、次の敵の額をかち割った。獣だ、と誰ぞやが呟く。敵方かもしれない。味方のほうだったのかもしれぬ。


(そうだ、獣だ)


 まっしろく研ぎ澄まされた意識のうちで、華雨は目を伏せる。


(わたしは、東雲の獣だ)


 思いながら、もしもこのまま東雲が西と東を統一して帝になっちまったら、わたしはどうなるんだろう、とふいに考えた。たぶん退屈にちがいないから、その前に死んじまいたいなあ、などと言ったら、怒るだろうかあいつは。


 *



「おまえは、馬鹿か」


 華雨を見るなり、白雨は眉間に思いきり縦皺を寄せた。

 斥候同士の小競り合いは、華雨が加わったおかげで瞬く間に勝敗がついた。頃合いを見て山を下りてきたゴジョとオギとともに本陣へ戻ると、小姓の蕪は腰を抜かし、鵜飼は呆れ果てた顔で息をつく。華雨は衣と膚の見分けがつかないくらい血みどろで、とても山を登った帰りといった風ではなかった。

 絵師のおやじが描いた地形図をもとに、陣幕のうちではさっそく軍議が進められている。それをはために、草地に寝転び、こさえた傷に藪椿の葉を置く華雨はのんきだった。いつこさえたものなのかは定かではない。川の水でざぶざぶと頭ごと洗っていたら、沁みたため気が付いた。


「なんだよ。馬鹿とはなんだ」


 むっとして、華雨は自分を見下ろす男を睨み返した。


「馬鹿は馬鹿だ。護衛をほっぽり出して、乱闘にすっ飛んで行く馬鹿であるから馬鹿だと言ったまでだ」

「何回言ってやがる。喧嘩売ってるのか、白雨」

「自覚はあるらしいな」


 身を起こしかけた華雨の肩を蹴り、白雨が隣にどっかと腰を下ろした。

 持っていた刀を抜く。それで何をするのかと思えば、手入れなどを始めるので、華雨は息を吐いた。

 曠野を吹きすさぶ風が木々を揺らしている。屑ノ原は平地ゆえ、起伏が少ない。曠野を駆ける風は西都のやわ風とは異なる剥き出しの野性があって、屑ノ原には風の獣が棲んでいるようだ、とこの地へたどりついたとき華雨は思ったものだった。父も母もおらぬ華雨にとって、故郷というものはよくわからなかったが、不思議とこの地はどこか懐かしいような気がした。


「軍議には出んのか」


 遠くで焚かれた篝火を見つめ、華雨は言った。


「弟が出ている。白雨の棟梁はあいつだから、俺の出番じゃない」

「ふふん。大人ぶらんでよいぞ、坊ちゃんが。本当は妬ましいんだろう」

「ぶってなどおらん。いいんだ、俺は」


 吹っ切れた顔で言う白雨を一瞥し、ふうんと華雨はつまらなそうに唸った。捨て子同然で育ったせいか、以前の白雨は棟梁となった弟をどこか避けている節があった。しかしそれがこの戦で少しずつ変わりつつあるらしい。数年前に、くだんの母親が世を去ったことも一因なのやもしれぬ。

 一度きり、ひとに自分をゆるすということをしないこの男が華雨に甘えてきたことがあった。

 雪の日だった。綿入りの半纏を着込んだ華雨が火鉢で手を擦っていると、隣であぐらをかいた男が腰に腕を回してきた。なんだよ、と問えば、さむいのだという。着膨れした背中越しに抱いてきたせいで、白雨の表情は見えなかった。ひとの細かな機微をうまくはかれぬのが華雨である。胡乱げに爆ぜる炭を見たが、やがて、そうか、と言い、腹に回った手のひらを火鉢の近くへ持って行った。その冬、白雨の母が死んだらしいという話はあとでひとから聞いた。


(決して愛した母ではなかろうに)


 声もなく嗚咽する白雨が、不思議だった。

 噛んだ藪椿を置きはしたが、さらしを巻くのが面倒になり、華雨は白雨の膝の上にごろん、と横になった。数日ずっと歩き通しだったからだろうか、横になると睡魔がどっと押し寄せて瞼が重い。


「おい、華雨。寝るな」

「いいじゃないか。怪我人なんだ、大事にしてくれたって」

「おまえのどこが怪我人なんだ」


 文句を言うものの、白雨は華雨を膝から落としたりはしない。うとうとと子どものように膝に頬をくっつけていると、片膝だけを貸して白雨が再び刀を取った。手入れを再開したのだろう。かたわらに外して置かれた鍔を摘まんで、華雨は落日の光に当てた。鍔には流水紋が彫られており、透かしたくろがね越しにまばらに輝く陽が美しかった。


「華雨」

「なんだ」

「おまえは、何ゆえ死に急ぐ」


 華雨は細めていた眸を開いた。鍔を下ろすと、男の白い喉元が見える。白雨は刀身に拭い紙をあてており、どんな顔をしているかまでは判じられなかった。


「そう見えるんか」

「ああ」

「皆は口を揃えて、華雨は斬っても死なぬと言うぞ」

「そうか?」


 白雨の双眸は、刀身を見つめている。

 よいな、とふと思った。

 男も女も、華雨は構わず褥に踏み倒すけれど、この男になら踏み倒されてもよいかもしれない。あの目に射すくめられたら、きっと身体の芯がぞわっと打ち震える。試してみたくなったが、やはり睡魔には勝てん、と思い直して華雨は目を閉じた。


(たしかに)


 妙なことを言われたからか、久方ぶりに西都の夢などを見た。

 懐かしい藍の甍に雨が降っている。雨水をしとど含んだ山梔子のぷんとしたにおいがして、茂みに身を隠した華雨は顔をしかめた。華雨の手には木刀が握られている。屋敷に住む女をしとめるつもりで、華雨はそこにいた。

 屋敷に住む女――東雲の寵愛する箏姫である。

 侍女がひとりそばにはべってはいたが、華雨の力を持ってすれば、たやすくあの細い首など手折れよう。手折ってしまえ、とはなは、思っていた。雨が降っているせいで、衣が膚に張り付き、どんどんと体温を奪っていく。奥歯を噛み締め、はなは震えをこらえた。


(背後から近付いて、かち割るだけでいい)

(かち割るだけいいんだ。猛禽をしとめるのとおんなじだ)


 必死に、いつもの手順を思い出してみるものの、はなの震えは止まらない。喉が張り付いて息が苦しく、寒くて、早く楽になりたかった。

 ふいに、雨音が消える。視界が一面の赤に覆われた。

 顔を上げると、すでに女は背を向けて屋敷のほうへ戻っていた。肩にかけられた傘の柄に触れ、はなは女の背を見つめる。無防備だった。箏を奏でるのだという指先にだけ醜いたこがあったが、それ以外はつくりもののように華奢で、はなが今飛び掛かれば、たやすくくずおれそうな背をしている。されど、しゃがみこんだまま、はなは嗚咽を止めることができない。

 箏姫はずっとはなに気付いていたらしい。

 それでも知らぬ顔で放り置いていたが、結局見かねて傘を差し出した。


(似ている)


 東雲とこの女は、どこかたましいの形が似ている。

 それが悔しい。

 東雲に似ている箏姫を、わたしはころせない。

 しののめは、きっとどんなに望んだってわたしのものにはならない。

 そう理解してしまったことが、悲しかった。


(たしかに、わたしははよう死にたい)


 つかの間の夢の浅瀬で、華雨は呟いた。

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