ひなまつりという名の慰霊祭

 3月3日、40歳の主婦ひろみさんは旦那さんを仕事へ送り出したあと、隣町の大きなお屋敷へ出かけました。

 ひろみさんは自分で作ったおひなさまのケーキを持参していました。

「こんにちは」

「まあまあ、今年もよくおいで下さいましたねえ」

 お屋敷の奥様が出迎えて下さいました。

「これ、皆さんで食べましょう」

 ひろみさんがケーキを差し出すと、

「あらあら、すごい!大きいですねえ。ありがとうございます。じゃあ、デザートでいただきましょうね」

 奥様はケーキを預かってから、ひろみさんを応接間へ案内しました。

「皆さんお集まりですよ」

 ドアを開けると、正面には立派な八段飾りがありました。

 先に到着していたお客様は、ひろみさんを見ると笑顔で挨拶を交わしてくれました。

「今年もようこそ」

 この家の御主人が握手をしてくれました。


 お客様は30代以上の大人ばかりが10人ほど集まっていました。

 生まれて間もない娘を亡くした両親、離婚して娘と生き別れた父親、自分が生まれる前に姉を亡くしたという女性、幼い頃家の事情でひなまつりを祝ってもらえなかった女性など、大人だけが集まって、一緒にひなまつりを過ごします。

 ひとづてにこの集まりの話を聞いたひろみさんは、昨年から参加するようになりました。

 お客様は皆さんそれぞれ、ひなまつりに特別な思いを抱いている人ばかりでした。


 ひろみさんは今から3年前に結婚しました。子供はいません。

 ひろみさんの旦那さんは離婚歴があり、前の奥さんとの間に当時3歳になる女の子がいました。名前はたしか「香奈枝ちゃん」と聞いています。前の奥さんは離婚から2年後に再婚していて、新しい御主人との間に男の子が生まれたようです。

 ですので、ひろみさんの旦那さんと香奈枝ちゃんは、今では全然会うことがありません。おそらく今後も会うことはないでしょう。


 しかしひろみさんはずっと気になっていました。毎年ひなまつりになると、香奈枝ちゃんの寂しさを感じていました。たぶん今は10歳になっているはずです。

 香奈枝ちゃんは女の子の節句をきちんと祝ってもらえているだろうか。

 新しいお父さんと仲良くしているだろうか。

 本当のお父さんに会いたがっていないだろうか。

 ひろみさんは一度も会ったことのない、夫の娘の事を、何故か我が子のように気にかけていました。


 お客様も全員そろったので、白酒で乾杯をし、大人のひなまつりが始まりました。

 料理が得意な人が準備してくれたおすしやサンドイッチ、唐揚げ等子どもの好きなメニューがテーブルに並べられています。

 お酒も少しはありますが、ジュースやコーラ、サイダー等、飲み物も子どもが喜びそうなものばかりです。

 豪華なひな人形を鑑賞しながら、みんなでおいしいお料理をいただき、おしゃべりに花を咲かせています。

 ひろみさんが作って持ってきたケーキも、みんなでおいしい、おいしい、と言って食べてくれました。


 折り紙が得意な人が、作ってきた千代紙のお人形を皆さんに配ったり、折り方を教えたりしています。

 ひなまつりの歴史など、お話をしてくれる人もいました。ひろみさんは熱心に聞き入っていました。

 着物で参加している人もいて、その人は日舞も披露してくれました。

 毎年集まってみんなお互いの事情を分かりあっているので、近況報告をしたり、趣味の話をしたり、とても楽しそうです。


 応接間には木目柄のすてきなピアノがありました。

「弾いてもいいですか?」

 去年は初参加なので遠慮していましたが、今年は思いきって奥様にたずねると、

「ええ、もちろんですよ」

 奥様はとてもうれしそうにうなずきました。

 ひろみさんは結婚前は幼稚園の先生でしたので、さっそく「うれしいひなまつり」を弾き始めました。

「あかりをつけましょ、ぼんぼりに…」

 お酒も少し入っているためか、お客様は上機嫌でみんなで一緒に歌いました。時々、歌詞を間違えて笑いが起きたりもしました。

 他にも「春よ来い」「どこかで春が」「春が来た」など季節の歌を弾くと、皆さんとても喜んで歌ってくれました。


「このピアノの音を聴くのも久しぶりです」

 奥様がしみじみと言いました。

「娘のピアノなんですが、もう誰も弾く人がいなくて…」

 御主人が遠くを見るような目でそっとつぶやいていました。

 この御夫婦の娘さんが幼い子どもたちを残して、病気で亡くなったことは、ひろみさんも知っていました。20年ほど前の事だそうです。子どもたちは父親とともに、今は外国で元気に暮らしているとのことでした。

「毎年、こうやって娘の供養をするつもりでひなまつりをしていたら、いつのまにかこんなにお仲間がふえちゃって…にぎやかで楽しく過ごせるようになりました」

 奥様はニコニコしながら言いました。

 御主人も口を開きました。

「亡くなった女の子のためだけではなくて、生き別れた娘さんや幼い頃の自分のためだったり…いろんな事情を抱えた人が、それぞれの思いで一緒に過ごす、ただそれだけの集まりです。それでも皆さんが楽しそうにして下さるのが我々にとっては一番うれしい事ですよ」

 ひろみさんは目を潤ませてうなずきました。

「旦那様の娘さん、元気に成長してくれるといいですね」

「ハイ」

「あなたはとても優しい方ですね」

 御主人と奥様は代わる代わるひろみさんの手をとって、励ますような表情をみせてくれました。


 西日が差し、おひらきの時間になりました。

「お元気で」

「また来年、必ず会いましょう」

 お客様は互いに握手を交わし、たくさんのおみやげを持ってお屋敷を後にしました。


 ひろみさんはきっとまた来年も参加しよう、と思いました。

 何も意味は無いかもしれないし、夫の娘のために役に立っているわけでも無い。

 それでもここへ集うことで、誰かの魂を慰められるのかもしれない。

 自分がそう思えるなら、そうしよう。

 1年に1回だけ会える、すてきな人たちとともに。

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