神殿ショコラ その肆
2月17日、昼下がりのことでした。
ある男子大学生が、バレンタインデーに貰ったチョコのことで悩んでいました。
合同でサークル活動をしている他の大学の女子学生から貰ったのですが、男子学生
からしてみれば、もらえるだけの付き合いがないのです。
月一回の合同定例会で会うだけで、言葉を交わしたのもほんの2、3回程度でした。
もちろん連絡先も交換していません。サークル仲間、というよりは知り合いと言った方がいい間柄でした。
大学の帰りに正門で渡されたので、どうやら女子学生は待ち伏せしていたようです。
突然の事だったので、男子学生はただ驚くばかりでした。
女子学生はチョコを渡すと、何かを伝えるわけでもなく、そそくさと立ち去ってしまいました。
その日男子学生は寮の自分の部屋へ戻ってから、一応渡されたチョコのラッピングを解いてみました。日本酒入りのチョコレートで、メッセージカードが添えられてありました。
カードには、男性が日本酒好きなのを知っていて準備したという事、有名な生産地まで新幹線で行って入手したご当地限定チョコであるという事が書かれてありました。
ただ、特に告白らしい言葉があるわけでもなく、連絡先も書かれておらず、女子学生がどういうつもりで、何を望んでこのチョコレートを準備したのか、そして渡しに来たのかが全く分かりませんでした。
男子学生の気持ちが重くなっているのはこのカードのメッセージが原因でした。そこまでしてもらう理由が彼にはさっぱり見当がつきませんでした。
また、その女子学生の外見なども特に好きなタイプではなかったので、ますます憂鬱が大きくなっていきました。
もちろん、とても食べる気にはなれませんでした。かといって彼女の気持ちがこもっているチョコをむげに処分するのも、何か恐ろしいような気がしました。
そうしているうちに3日が経ってしまったのです。
男子学生は部屋でため息をつきながら、何となくスマホでネット検索をしていました。こんな時はどうすればいいか、少しでも情報を得たかったのです。
すると、こんな見出しが目に入って来ました。。
「もらったけれど困っているチョコレートのお焚き上げをいたします」
思わず男子学生はその見出しをタップしました。すると、学生寮からそう遠くない町にある、神社のサイトが出てきたのです。
それによると、
「チョコレートを貰ったけれどお困りの方へ
・チョコレートが食べられないのに貰ってしまった、
・特に意識していない人から貰った
・大量に貰って食べきれない(芸能人の方、スポーツ選手の方等)
チョコレートを渡してくださった方のお気持ちを、お焚き上げによって浄化
いたします」
また、次のような案内もありました。
「チョコレートはお清めをして児童施設等へ寄付することも可能です。
ただし、次の条件を満たしているものにかぎります。
一、賞味期限が明記されているもの
二、製造元が明記されているもの
三、材料に酒類が使用されていないもの
付則 手作りのものと生チョコはお断りします」
ああそれじゃ、寄付は無理だな、男子学生は思いました。
燃やしてしまうのは少々気後れしましたが、このままではいけない、とにかく行ってみようと男子学生はチョコを持って部屋を飛び出しました。
神社の場所はすぐに分かりました。
受付で事情を話すと、すぐにでもお焚き上げをした方が良いと言われましたので、男子学生は躊躇なく御祈祷料を納めました。
儀式の現場にも立ち会うため、男子学生は境内の隅へと案内されました。お焚き上げを行う小さな炉のような設備があり、ほどなくして神主さんが現れました。
御祈祷が始まり、炉に置かれたチョコレートは少しずつ炎に包まれていきました。
チョコが溶け始めるとかすかに日本酒の香りが漂ってきました。しばらくの間、その芳醇な香りは男子学生の周りをさまよっているようでした。
男子学生は目を閉じて女子学生との会話などをもう一度探りましたが、やはりここまで想われる心当たりは見つかりませんでした。
彼女はチョコを購入するために新幹線で生産地まで往復したのです。その交通費や道のりを考えると、彼にとってはただ謎が深まるばかりでした。
「たいして意味は無いのかもしれない」
だんだんとそんな思いが湧きあがってきました。
ひょっとしたら何かあるのでは、と思っているのは自分の方であって、逆に彼女にしてみたら単なる社交辞令、それこそ義理チョコなのかもしれない。
思い上がっていたのは自分の方かもしれない。
男子学生はチョコを燃やしていることに対して、自分の中に少しも罪悪感が無い事にホッとしていました。
大学の卒業を控え、就職の準備で忙しいこの時期にちょっとした事件だったな、とも思いました。
男子学生は今は特定の恋人はいませんでしたが、女友達はたくさんいましたので、今年のバレンタインデーにもチョコレートはいくつか貰っていました。普段でも彼女がいなくて淋しいとか、虚しいとか感じることはありませんでした。ごく自然に、静かに大学生活の終わりを迎えようとしていたところだったのです。
ホワイトデーの時期には就職先へ引っ越していますから、あの女子学生にお返しを渡すこともできません。合同でのサークルの集まりも、もう自分が出席できないので彼女に会う事もないだろうと、燃える火が小さくなっていくのを見つめながら男子学生は思いました。火が消える頃にはすっかり心は落ち着いていました。
お守りをいただき、丁寧にお礼を述べて、男子学生は神社を後にしました。
「もしかしたら、お清めが必要だったのは自分の方だったかもしれない」
そもそも最初からあんなに思い悩む必要があったのだろうか。
むしろあれこれ考えて煮詰まっていた自分の中に問題があったのではないだろうか。
うす暗くなり始めた帰り道、男子学生は思いました。
それから3日後、男子学生はサークル仲間との会話の中で、例の女子学生の噂を耳にしました。男子学生はサークル内の誰にも今回の事を打ち明けていなかったので、少し緊張しながら聞いていました。
彼女の実家は有名な日本酒の蔵元で、彼女も仕事を手伝いながら新しい事業を展開していること、その手始めに日本酒入りのバレンタインチョコを開発していたということでした。
友人たちは言いました。
「自分が開発に関わっているとは一切明かさずに、いろいろな人へ配っていたらしいよ。貰った人はみんな絶賛していたそうだ」
「いずれはきっと、やり手の女社長になるんだろうな」
男子学生はちょっぴり残念に思いましたが、大きく安堵しました。
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