平和の祭典

 ドイツという国で、ベートーベンという大作曲家の交響曲第9番が演奏されることになりました。


 各国で厳しい予選を勝ち抜いてきた音楽家たちがドイツの最も大きなコンサートホールに集結しました。約2週間のリハーサルを経て、本番のステージを迎えます。

 その様子は世界中に生中継されるのです。


 スポーツの祭典と違い、競うためではなくみんなで協力して素晴らしい演奏会を作り上げるのが目的です。

 そのため演奏力だけではなく、ドイツ語が堪能であること、協調性があること、自分の母国以外のいろいろな国の文化をよく理解していることが条件とされています。


 各国内でのオーディションではそれらについて非常に厳しく審査されます。

 オーディションには開催国ドイツの関係者が加わり、選抜にあたっていろいろなアドバイスをします。

 そして実際の演奏会では指揮者はもちろん、合唱指導者、舞台監督等本番を支える重要な役割はドイツの人が担当しますが、2年前にその人物が決定すると世界中に大きく報道されました。


 自国でクラシック音楽を勉強する機会に恵まれない国の人は、幼いころから海外へ留学したり、逆に海外から先生を招へいしたりして、できるだけ多くの国の人々がこの場を目指せるように、世界が一丸となって努力していました。


 国の代表が決まると今度はオーケストラや合唱の各パートをめぐって参加希望国による予選が行われます。楽器によって人数が違うので、狭き門であるパートについては、そこでまた、さらなる激しい戦いが繰り広げられます。


 本番の舞台を迎えるまでにはこのように熾烈な競争が展開されますが、代表者が決まったら、今度は何があっても他の国と人と争わず、音楽を通じて仲良くし、全力をかけて協力し合う事が絶対に必要になってきます。ひょっとするとそれは競い合うより難しいことかもしれません。

 オーディションを勝ち抜いた国の代表である演奏者は、国の威信をかけて他の国の人々と協力し合うために努力を重ねてきたのです。



 ゲネプロも滞りなく済み、本番まで休憩がありました。

 演奏者たちはすっかり親しくなっていましたので、一緒にお茶を飲みながらくつろいでいました。


 プロの演奏家もいれば10代の学生もいます。音楽とは違う仕事をしている人もいますし、70歳以上のレジェンドも大勢いました。みんなで和気あいあいとおしゃべりを楽しんでいます。


 今回はオーケストラに3人、合唱メンバーに2人の日本人が選ばれていました。そして何とソリストの1人も日本人でした。


 ソリストの日本人男性はイギリスの打楽器奏者から、こう話しかけられていました。


「4年後はいよいよ日本での開催ですね。みなさん忙しくしていらっしゃるでしょうね」


「ええ、とくに雅楽は最近のブームの影響もあって、演奏会の出演をめざす海外からの留学生がふえています。浮世絵や陶芸も人気が高いですね。教える先生が足りなくて、お弟子さんもお稽古を手伝っているようです」


「そういえば私の友人の息子が、歌舞伎部門での参加を目指しているんです。それも女形を。以前はウィーン少年合唱団で活動していたのですが、声変わりのあとはミュージカル俳優を志してまして。日本語の勉強の他にも日舞や華道、お琴のお稽古もしているようです」


「なるほど、それは納得しますね。シェイクスピアの時代は少年が女性役を演じていたんですよね。ぴったりじゃないですか。ぜひ、日本の舞台に立ってもらいたいですね」


「こんなふうに各国のさまざまな文化の祭典に、世界中の人たちが参加できる世の中になって本当に良かった」


「今日の本番を迎えるまでにもいろいろありましたが、やはり音楽、そして文化の精神は、世界の壁を取り払ってくれますね」


「開催国の文化や芸術が対象ですから、自分の目指す部門が毎回開催されるわけではないですし、その時しかできない作品になる可能性もありますよね。それがいいんですよ。感動を生みます」


「国、人種、宗教、年齢、職業などさまざまな人間が集まって、それぞれのジャンルで『歓喜の歌』を奏でる。これこそが、21世紀の人々が願っていた平和の表現、ですからね」



 演奏会は満員の会場で、大成功を収めました。出演者も聴衆も、みんなが感激の涙を流していました。


 打ち上げでマエストロは日本人ソリストに

「あなたの歌声には平和を呼ぶ力があります。これからのご活躍を応援していますよ。本当にありがとう」

 と、言葉をかけてくれました。


 参加者たちはドイツのおいしい料理を堪能しながら、お互いを称えあっていました。


「ところで明日はどうなさるんですか?」

 アフリカから参加したバイオリン奏者が、中国人の女性トランペット奏者にたずねました。


「もちろんお菓子の会場ですよ!今回、中国の職人がシュトーレン作りに参加しているんです。クリスマスも近いし、みんなで食べ歩きをするのが楽しみなんです」


「いいですねえ。ぼくは絵画部門に友人が参加しているので、そちらを鑑賞するんです。平和をテーマにしてみんなで作り上げた大型作品の展示です」


「いつまでもこのイベントが続くといいですよね」


「本当にそうですね。戦争が起きては開催が難しいですから、この平和を維持しなければ」


 いつのまにか人の輪が拡がっていました。自然とみんなでグラスをかかげると、誰かが声高らかに呼びかけました。


「4年後、日本での無事の開催を祈って、そして今日の演奏会の成功に感謝して!」


「プロースト!」

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