神殿ショコラ その伍
2月18日、午前10時頃でした。
小雪のちらつく中、ある神社の駐車場に1台の軽自動車が止まりました。
運転席から出てきたのは近所のコンビニの店長でした。車から大きなダンボール箱を降ろそうとしています。
それを見た神社の巫女さんが、荷物運びに使うカートを出してくれました。
「おはようございます」
店長はダンボール箱をカートに移しながら笑顔で挨拶をしました。
「すみません、ありがとうございます。今年もよろしくお願い致します」
毎年この時期になると、店長はこの神社へやって来ます。
ダンボール箱には売れ残ったバレンタインチョコが入っていました。
売れなくて残念な思いを抱えているチョコを浄化するため、御祈祷をしていただくのです。
店長は、自分の店で仕入れた商品ですから、最後まで責任を持ちたいと常々思っていました。今まで決してそのまま処分したりはしませんでした。
御祈祷の後は安心して家族で食べたり、アルバイトの学生にあげたりしています。
気のせいかもしれませんが、チョコレートはお清めによって、さらに美味しくなっていたようです。
しばらくして無事御祈祷が済み、店長は再びカートを借りてダンボール箱を車に積み込みました。
「今年は数が少なかったように思いましたが」
神主さんが訪ねると店長は答えました。
「そうですね、最近は購入する人も減ってきたので、仕入れも減らしていましたから。今はチョコレートを贈るのはあまり流行らないのかもしれませんね」
店長は御礼を言って神社を後にしました。
雪はいつの間にか、みぞれに変わっていました。
「さあ誰とどうやって分けあったらいいかな」
店長はいろいろな人の顔を思い浮かべながら、清々しい気持ちでお店へと車を走らせました。
2月21日、午後2時頃でした。
その街で名の知れた男性ショコラティエが神社を訪れました。
毎年彼のお店のバレンタインチョコは、すべてバレンタイン当日前に売り切れていました。しかしいつも彼は心に引っかかる何かを感じていました。
確かに毎年全部売れているけれど、もしかしてその中には様々な事情で日の目を見ずに処分されてしまったチョコがあるかもしれない、それを思うといてもたってもいられませんでした。
そこで、自分の作ったチョコレートの念を浄化するために、ちょうど日本中のバレンタイン熱が冷めたこの時期、御祈祷を受けにやってくるのです。
チョコそのものは持って来ていませんが、彼の心をお清めするのです。
彼は心の底からチョコレート作りに情熱を持っていました。毎日心血を注いで仕事をしていました。何よりもまず、食べてくれる人のことを思ってひとつひとつの作業に集中していました。
しかしそれでも、チョコの行方がどうなったのか、あげた人と貰った人の間に確かな心の交流があったのか、自分の作ったチョコがはたして役に立ったのか、気になることは泉のように湧いて出てきます。
彼は自分でそれを止めることができず、2月15日からは異常なほど憔悴しきってしまうのです。それほどこの時期は、彼らのような職業の人々にとって壮絶な毎日だったのでしょう。
また、そのような繊細な神経を持っているからこそ、たくさんの人々に愛される美味しいチョコレートを作ることができるのでしょう。
神社を訪れることは、彼にとって気持ちをリセットするために、今ではもはや欠かせない大切なひとときとなっていました。
そして今年も無事に御祈祷を済ませ、ショコラティエは晴れやかな気持ちになっていました。さっそく新作のアイディアが浮かび、意欲が湧いて来ました。
お店へ戻る彼の足取りは、神社へ来た時よりずいぶん軽やかになっていました。
境内は積もった雪が溶け始め、梅の木も力強く枝を伸ばしています。
春はすぐそこまで、近づいていました。
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