神殿ショコラ その弐

 2月14日、夜8時頃のことでした。

 会社員の女性が、ほろ酔い加減で駅へと向かって歩いていました。

 今日、前から気になっていた同僚男性にチョコレートを渡したのですが、

「甘い物が苦手なので」と、やんわりお断りされてしまいました。

 返されたチョコをどうしたものか、鬱々とした気分を引きずって真っ直ぐ帰る気に

 なれず、ちょっと一杯のつもりで小料理屋へ立ち寄った後でした。

「せっかく奮発してこんな有名ブランドの高級チョコレートを渡したのに…」

 プライドをズタズタにされた悔しさが噴出し、受け取ってくれなかった男性への怒りや苛立ちさえもその顔に表れていました。

「なによ、あんな男!」

 自動販売機の脇に落ちていた空き缶を思い切り蹴飛ばすと、空き缶は勢いよく飛び上がり、駅とは反対の方向へカンカンカンと転がっていきました。そのまま車道へ入り込んでしまったので、女性はさすがにこれはマズイと思い、回収しようと追いかけました。

 空き缶を拾い上げ、ふと顔をあげると

「あれ、こんなところに神社があったっけ?」

 自分が歩いてきたのと反対側の歩道の奥に、煌々と明かりが灯された境内が見えました。鳥居の手前には案内板が立てられています。


「受け取ってもらえなかったチョコレートのお焚き上げをいたします」


 女性はちょっと迷いましたが、空き缶をさっきの自販機の横の回収ボックスに入れてから、境内へ入って行きました。酔った勢いも手伝って自暴自棄になっていました。


 社務所までたどり着くとまた案内板がありました。


「チョコレートはお清めをして児童施設等へ寄付することも可能です。

 ただし、次の条件を満たしているものにかぎります。

 一、賞味期限が明記されているもの

 二、製造元が明記されているもの

 三、材料に酒類が使用されていないもの

 付則 手作りのものと生チョコはお断りします」


「寄付かあ、それもいいかも」

 自分で食べるなんてなんだか悔しいし情けない、誰かの役に立つのならそういう事をしてみようかな、半分投げやりになっていた女性は寄付することを考えました。

「でも…」

 気になっていることを受付でたずねてみました。

「お酒は入っていませんが、大人が食べる味のチョコです。子供達の口に合うでしょうか」

 応対してくれた巫女さんは言いました。

「大丈夫ですよ。施設には中学生も高校生もいます。大人のスタッフがいただくこともありますので」

 ああそうか、そりゃ確かにそこには大人もいますわよね、女性は思わず照れ笑いをしました。

「それではチョコレートのお清めの後、お持ちになった方ご自身のお気持ちの浄化もいたします。こちらへどうぞ」

 女性が御祈祷料を納めると、巫女さんが社殿へと案内してくれました。

 御祈祷料はチョコレートと同じ額でした。


 神主さんから御祈祷を受けている時、女性はある事を思い出しました。チョコを受け取ってくれなかった男性は、以前会社の宴会の時に直接彼女に愚痴っていました。

「今日のメニューは甘口のものが多いから、キツイよ」

 またある時、取引先から戻った彼が同僚に洩らしていた言葉を小耳にはさんだこともありました。

「あそこの社長はブランドのコンセプトもわからずに、ただウンチクばっかり言っている見栄っ張りだ」

 また、こんなこともありました。同僚の結婚式の二次会で自己紹介をしていた時、どんなタイプの女性が好きかを問われると、彼は

「自分のことをよく理解してくれて、気を配ってくれる人がいいですね」と言っていたのです。

 女性は頭をドーンと殴られたような感覚を覚えました。それらの出来事を、彼女は今の今まで、すっかり忘れていたのです。というより、たいして気にも留めていなかった、という方が正しいでしょう。

 記憶の中から、こんな重要なことが抜け落ちていたなんて……呆気にとられるばかりでした。


 そして女性の頭の中を、いろいろなことが巡り、だんだんとそれらが主張し始めました。

 自分は彼のことをまったく分かっていなかったし、分かろうともしていなかった。

 彼はいろんな場面で自分のことをアピールしていたのに、サインを出していたのに、自分は彼をきちんと見ていなかった。

 彼に対して、本当の意味で関心を持っていなかったのでは?

 彼に対して配慮がまったく無かったのでは?

 そこまで考えた時女性は思いました。

「自分ははたして本当にあの人を好きだったのだろうか?」


 高級ブランドのチョコを選んだのも、他の女子社員と差をつけるためだった。目立ちたかった。それによって自分の存在を印象付けたかった。

 彼の好きなもの、彼の望んでいるもの、彼が喜ぶもの、それらを何も考えていなかった。彼の気持ちを思いやっていなかった。

 すべて自分の自己満足のためだった。

 彼にチョコを渡して、彼に喜んでもらい、他の女子社員にうらやましがられる……

 そんな場面ばかりを想像していた。

 すべて自分がいい気分になりたいだけの行動だったのでは?


「これじゃ、受け取ってもらえなくて当然…」

 女性はすっかり自己嫌悪に陥っていました。今まで彼女はこんなに気分が落ち込んだことがありませんでした。

 御祈祷が済むと彼女は意気消沈したまま重い足取りで社務所へと戻りました。

 お守りを受け取り、御礼を言って帰ろうとしましたが、ふと気になったので巫女さんに訪ねてみました。

「イタズラで不良品や異物混入のチョコを寄付しようとする人がいたらまずいんじゃないですか?」

 巫女さんは答えました。

「ご心配いりません。そのようなイタズラを考える人には、この神社は見えません。悲しんでいる人、落胆している人、残念な思いを抱えている人だけが、ここを訪れることができるのです。本日はご寄付をありがとうございました。あなた様のお気持ちがお健やかでありますよう、お祈りしていますので」

 女性は

「?」

 巫女さんの言った言葉の意味が分からずしばらくぼうっとしていました。そのうちに消灯時間になったらしく、境内が暗くなってきたので、女性は足早に神社を後にしました。


 アパートへ戻ると女性はいつもの通りテレビをつけました。その時間に放送されていたのは、外国のカカオ生産者や、世界的に有名なショコラティエを取材したドキュメンタリーでした。

 彼らがどんな思いでチョコレートの原料を育て、そしてどんな努力を積み重ねて美味しいチョコレートを作り上げ、人々のもとへ届けられるのかを紹介していました。彼らは命をかけて、そして確固たる信念、情熱を持って仕事をしている。女性はそれを感じるとますます自分が恥ずかしくなりました。

 こんなに大切に作られているチョコレートを、自分はただ見栄を張るためだけに利用しようとした。本当に申し訳ないことをした。

 来年、また誰かにチョコを渡したくなるかもしれない。

 でも受け取ってもらえる見込みが無いチョコをむやみに買うのは止めよう。

 ちゃんと相手を見て、相手の気持ちを推し量ることを大切に考えよう。

 女性は悶々としながらも、眠りにつきました。


 翌日の朝、女性はいつもと同じ道を会社へ向かって歩いていましたが、あの神社はどこにあったのか、見つけることができませんでした。

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