§5-3-20・2024年、中華人民共和国破滅への借金道(その13)〜「特色ある社会主義経済」の中間評価→債権によるバブル化(過去の検証)


○過去の検証〜1980年代改革開放からクリントン政権時のドル・レパトリまで


前回、爆発的な中国経済の進展と「永久に続く経済発展」のように見えた中国の「特色のある社会主義経済」とは、単に借金に借金を重ね、この時に生じる通貨膨張→インフレ発生を利用した景気刺激策に過ぎなかったことがわかりました。単なる自転車操業経済で破滅は必然でした。そこでこの構造をもたらした現代中国の歴史についてカネだけで考えてみようと思います。


前ページで述べたように、文化大革命による荒廃を乗り越えようと1980年代から「改革開放路線」が始まりました。しかし80年代は金融・政治両面において西側自由主義陣営が混乱していた時期であり、欧米ではなく急激な経済成長を遂げた日本を研究し始めたようです。この事は重要で「特色ある社会主義経済」が単に日本の戦後経済の焼き直しに過ぎなくなる理由のすべてともなりました。


彼らはよく日本を研究していると思わせるフシが多々あり、共産党は日本とアメリカのことは今でも相当リスペクトしていると思われます。このため中国もまた日本と同じように世界第二位の経済大国に成長し、同じようにバブル崩壊して債務破綻したのです。ただし80年代当時の日本は戦後復興を遂げ、庶民は潤い、経済はバブルっていた「Japan as No.1」な時期であり、まだバブル崩壊後の地獄を日本人も中国人もまだ知る由もなかったので「大成功国家日本をパクる」のは当然のなりゆきとも言えました。

「改革開放路線」とは、日本の金融財政政策をパクリつつ、日本があまりやってこなかった海外から技術・資本・人材を大胆な規模で受け入れ、バーターとして巨大な中国市場と資源を提供するというもので、外国の力を使って国内の産業基盤力を整備しつつ、市場への多額の資金供給によりインフレ成長を促す…という単純な、しかし最も正しい方法でした。「All Mod Cons」〜大成功は確約済みみたいなものでした。


ただし文化大革命の反省と混乱、なにより当時の中国共産党には現代的な資本主義を支える制度や議会制度や中央銀行制度、管理通貨制度やマルクス主義以外の経済理論・国家経営論が存在しておらず(つまり勉強不足・経験不足)、必然、中央政府の統制力には限界がありました。

このためもあってか、「豊かになれる人(=沿海部)から豊かになる」という地方丸投げによって、まずは産業力の強化を図ったようです。恐らくこの「沿海部」とは天山山脈の東側のことで、実際、ここには全中国人の90%前後の人口が集まっていると言われているために、この地域の活性化に成功すれば「勝利」と言える状況でもありました。そしてこの結果はなかなか良好で、目論み通り沿海部において90年代にかなりの成長を見ます。


反面、現在に通じる問題の構造がここで形作られます。

政府・中央銀行による強力な民間金融機関の創出に失敗し(今でも主だった金融機関は国営)、弱い中央銀行は金融力の統制と安定した一元的通貨供給を不可能にしました。このため激しいインフレとデフレが繰り返し発生する不安定な土壌を作り出し、また各地方がおのおの債権(地方債やノンバンク経由の融資)で経済成長分の通貨供給量を行ったためにますます不安定なインフレ(とデフレ)〜大抵は酷い物価高が発生しています。

このため貧富の格差が一気に進んだだけでなく、各地方省が互いに経済成果を競い合ったことから、景気刺激のために無理な地方債供給が常態化。更にこの地方債をベースとし、一部をノンバンク経由で民間へと資金供給を行うという「悪代官」なやり方は、地方省の税金を自分の「ひいき」のノンバンクなどに差配できる地方閥を生み出し、不正腐敗の温床+中央政府との政治権力をめぐる対立軸ともなりました。現在に通じる中国の政治権力の対立と腐敗の構造の雛形となったのです。


90年代は同時に金融だけでなく産業(←カネに対する「モノ」を生み出す領域)においても民営化は失敗し、中央・地方政府主導の重厚長大型輸出産業への過剰な傾斜投資は、力を付けつつあった中国民間市場の需要にマッチすることができず海外から製品・財サービスを大量に輸入する状況と幅広い民間産業界の育成にも失敗しました。財サービスの過度な輸入は経常収支赤字要因であり、輸出によって支えられていた当時の中国経済の不安定要因の一つです。民間金融機関の脆弱性と資金供給の多くを差配する(中央・地方)政府の恣意的な財政投融資政策の失敗が、拡大する中国民間市場に向けた国内産業への投資力不足をも招いたのです。


こうしたいびつさは当時の中国の脆弱性へと繋がりました。たとえば為替であり、常に人民元高(ドル安)ベースとなるのですがモノの輸出に依存する体質ならば人民元高はデメリットです。よって中国はドルペッグ制を採用し、最大の輸出相手国だった米ドルに合わせることで米国の景気動向の影響の排除と最強通貨ドルの恩恵を受けようとしたみたいです。国富は増大し人民も豊かになっていったものの、民間金融機関の育成失敗は民間の富を民間銀行への預金+社会投資という社会還元の形よりも、ノンバンクなどの怪しげな債権投資へと向かわせ、これが同時に社会の資本不足と民間の高金利負担という苦しみを生み出しだだけでなく、不足する資本を常に海外からの投資の形で補うしかないという、発展途上国共通の脆弱性にも繋がりました。当時の中国の構造はこんな感じです…


不足する社会資本→海外からの投資(株式市場など含む)→国内好景気→輸出力増強

→国力増強=海外からの信頼が高まる+労働者豊かになる+国内市場拡大する

→景気拡大+インフレヘッジにより浪費+民間借金しまくりで業績拡大

→資本ますます不足→海外からの投資…


…の循環です。中国以外にもよく見られる構造です。なので海外からの投資が途絶えたら即死します。そうなったのが1997年頃を嚆矢とするドル・レパトリです。





○1997年頃のドル・レパトリにより一旦死亡 〜リーマンショック直前期まで


クリントン政権時は長期の持続的景気上昇のあった時期でした。金融に関する規制緩和を勧めた事や80年代以後の米国の力強い産業力の回復などから米国経済が自律的に安定し、この結果、アメリカに資本が再集中(逆戻り)しはじめ、世界中の新興市場から資金が引き抜かれるという「レパトリ」が発生。外貨に頼っていた新興国を中心にアジア通貨危機を招き、韓国は実際にデフォルトします。同時期、レパトリの悪影響は一人デフレ地獄に喘いでいた日本以外の多くの国に深刻な打撃を与え、スウェーデンでは不動産バブル崩壊から事実上の国家破綻し、民主化が進んでいたロシアは数年後に国内デフォルトを起こしています。それほど深刻だったのですが、中共にも同じメカニズムで大打撃を与えました。中共は一切認めていませんが事実上の(国内)デフォルトと思われます。


我々のこのときの中国の記憶は、「地上げで多数の人民が苦境に陥り暴動を繰り返した」「カネ返せと役場に皆が押し寄せて乱闘騒ぎになった」「強制立ち退きに応じない住民の家をブルドーザーで轢き潰した」というもので荒れた中国を象徴するシーンとともに記憶に強く残るものでした。これらはバブル経済崩壊後の借金にまつわる人間模様です。債務破綻した国の「貸し剥がし」の風景で当時の中国でも見られたということです。国家が破綻するとこうなる…という悲惨な地獄絵図です。しかし多くの民間人や民間企業が破滅したのですが、彼ら「犠牲者」をそのまま捨て置く形で中国は前へ前へと進んでいきました。


さらに非常に興味深い中国特有の問題も発生しています。

前述のように通貨供給を地方政府の債権(≒地方財源)に頼っていたため、この時期、地方政府の税収入減と債務破綻から資金供給が著しく縮小。それによりさらなるデフレ≒産業の荒廃を招き、これに慌てたのか増税・民間切り捨て(債務不履行連発)+多額の債権増発による景気刺激。しかし急激な通貨供給量増加によって一瞬で激烈なインフレに見舞われ、これを終熄するために通貨供給量を絞ると今度はあっという間にデフレ≒産業の荒廃状態に逆戻り…という、信じられないような「雑な対策」を採り始めたため、わずか数年の間で物価が数%から最悪20%超え、そして翌年からは数%にデフレ…を何度も繰り返すという異常事態に見舞われています。まさに中央が一元的に通貨の管理に失敗した国にありがちな管理不能なインフレです。


特に広東省などの輸出産業の集積地(つまり豊かな地域)で見られた珍現象です。これは不景気を金融緩和…つまり地方政府が債権をメインに資金供給したら、その分だけインフレが発生してしまったという事例で実際、通貨供給量増加に遅れることおよそ一年後に全く同じカーブで物価上昇と下落を繰り返していました。

中銀が未発達だったために各地方が場当たり的に資金供給を行い、ある特定の地域で激しいインフレが発生して庶民生活が大混乱した…という形です。数年に一度は20%近いインフレ発生では政府の債務も随分消滅したでしょうし、その分、民間の資本も消滅しました(←ここ重要)。この10年は殆どの個人・企業が苦しみ、彼らの犠牲の上で政府はバブル債務を抹消していったのです。まさに国内デフォルトという地獄の構図…「庶民が泣かされる」の姿です。


これらの混乱を踏まえてか、2000年代になると中央政府が各種の対策を建てられたフシが見受けられます。まず多額の官民債務を整理するために華融資資産会社や東方資産会社などの国策債務整理金融機関バッドバンクを整備し、厳しい整理回収をおこないました。同時期にはそれまでのドルペッグ制を改め、多くの通貨との連動性をもたせた通貨バスケット制へと移行します。ドルペッグ制の弱点でもあった「米ドルが上昇すると、中国国内のファンダメンタル関係なしに通貨上昇を招く(≒輸出力が低下する)」というリスクを回避し、各国為替を勘案して毎朝7時に固定レートを設定するというやり方ですが、実際には変動相場制に限りなく近い変動幅を許容するようになりました。また中国人民銀行改革を行ってより強い権限をもたせ、一元的かつ強力な金融政策の施行を可能にしたようです。債務返済に目処がついた2005年ごろとされています。


さらにこの時期、中国中銀は米ドルを400億ドル以上購入しています。経済破綻をおこして事実上デフォルトした中国の人民元の価値は地に落ち、このため輸出競争力が回復した時期でもあったのですが、この回復期に多額のドル資産購入は当時「人民元安を誘導する為替介入」と見られていました。たしかにその思惑もあるのでしょうが、むしろドル資産を購入することで米ドル金利収入の獲得によって人民元の通貨供給量増加に対応できたことと、中国人民銀行(←中国中銀)のバランスシートの改善の方を期待した…と考えるべきでしょう。安全資産である米ドル保有によって中国全体の金融システムの安定を図ったのであり、実際、この時期の人民元の供給量の増加は一年ほど遅れてほぼ同じ伸びを示していました。この安定した資金供給があってこそ、このレパトリ崩壊後の中国経済の正常化=産業復興の一助となったと考えるべきかと思われます。このやり方は日銀のやり方に準じており、中銀の安定化による人民元(=中国)の安定化だけでなくインフレ・デフレの管理能力の向上に貢献しただけでなく、万が一の市場介入余力ともなりました。同時に産業界にも大鉈を振るい、脆弱な企業を整理統廃合して産業界の立て直しを図りました。

こうした一連の努力の結果、リーマンショック直前期の2006-7年ごろには一応の債務問題の終結を見た…としています。民間を焼け野原にして…ですが。


要するにもう一度やり直し…という状況になったのです




○リーマン以後〜同じことの繰り返しよ(byどんでん)


事実上の国内デフォルトを経験し、多数の民間の屍を乗り越えて中共は再び同じことを繰り返します。金融緩和による景気刺激です。共産党の権力構造が変わらなかったために、変えられないことが多かった…と解釈すべきかと思われます。


変わったことと変わらなかったことがあります。変わったことは中央政府および中国人民銀行(←中国の中央銀行)が一元的に人民元の管理を積極的におこなうようになったこと、そして国内の民需も強化し国富増強に加えて人民の生活を豊かにしようとする「国内重視」によりシフトしたことでした。可能なら外国からの資源や資産に頼ることなく国内産業だけでやっていけるようにしたい…という意向を持っていたようです。このため、今回は民間企業の育成にも傾注する政策へと変更したようです。大まかに言えば自動車産業やハイテク産業・情報通信・サービス分野においては大胆な規制改革と税制・財政支援を通じて民力の底上げと発展を狙い、その思惑通りになりました。

他方、変わらなかった事は「地方政府による地方債(公債)発行」「民間金融機関の育成の失敗」「政府による(主に国防に関わる)重要重工業産業の国営化の維持推進」「箱物行政(公共事業の推進)」の四点です。

個々の事例は既に詳述していますので割愛し、現在までの大まかな流れを考えてみます。


リーマン直前までに一応の債務整理がついたことは僥倖ぎょうこうでした。落ちるところまで落ちれば後は上がるだけ。官民債務にケリがついた頃、世界はリーマンショックを迎えます。この世界破滅の縁にあって中国は実に56兆円を超える大規模な金融緩和+様々な財政投融資を実施し、「世界の救世主」としての地位を確立します。世界は中国の大胆さに感謝したものでした。というのも全人類の債務の、少なくとも56兆円分の借金を中国中央政府は負担する…と言ったようなものだからです。とはいえ、この直前期に債務整理にケリがついていたので、新たに債務を建てることにためらいがなかったのかもしれません。なにより債権を建てれば景気を劇的に向上させることができ、また通貨供給量増加は高インフレを招きます。このインフレが資本・技術のまだまだ足りない当時の中国の国力増強を後押ししてくれることは言うまでもありません。


また議会制度がなく政権交代による民心の収攬を図れない独裁国家・中国では、国民の不平不満は容易に中国共産党打倒の民衆革命へと繋がります。よって人民に「常に」豊かさを与え続けることで正当性を担保しようとします。ならば「産業国家ではカネを撒けば経済成長できる。なら借金建ててでもやるべき」という短絡的な結論に飛びついたのかもしれません。借金経済で債務破綻をおこせば不景気を招き、共産党支配を揺るがす事態に発展するかもしれませんが、1997年以後の債務破綻とその整理の時、かなり荒っぽい対処をしても六四天安門事件のような騒動には発展しませんでした。これも成功体験です。ある程度、人民が豊かになれば不平不満は抑え込めると勘違いしてしまったのなら、再び「借金しまくりすぎても、また一旦リセットすりゃいい(=人民の犠牲)」程度の認識さえ持ってしまったのかもしれません(未確認)。



こうしたこともあってか中国は果敢なリーマンでの大規模金融緩和を実行し、しかも成功体験となったようです。

大規模金融緩和による莫大な通貨供給量増加によって爆発的な経済成長が可能になり、また大規模投資を続けることで持続させることも可能という事を知ったようです。政府(含む中銀など)がバラまいたカネ=ハイパワードマネーが民間市場でどのくらい膨れ上がるか?…を示す貨幣乗数という数字があります。資料にもよりますが、ブルームバーグによればこの時代の中国はだいたい5-6とされ、これは日本の二〜三倍の値です。56兆円の金融緩和は300-350兆円ものカネをバラ撒いたことになり、多額の債務で失速しかけていた世界を救うほどの資金供給(この場合は中国経済の活況による世界経済の回復)となったということです。凄い規模です。


2010年代の中共指導層および地方政府の有力者たちは、多額の債務ができたとしても「あまり気にしない」ようでした。普通の資本主義国なら「全くありえないズサンさ」ですが、選挙による民意を気にしなくていいで、特に気にもしていないのでしょう。それより中央政府から出される経済成長ノルマの方が気になったようですし、この過程で「賄賂取り放題」なら、やらない理由もありません。


もう2つ重要なことがあり、一つは米国・EU中心に他国に製品を売り飛ばす「輸出大国」でもあるので、世界に勝手に経済恐慌起こされては中国もまた死んでしまうという事と、もう一つは人民元を国際取引通貨に引き上げ、あわよくば基軸通貨に育てたいという思惑があり、このために「今は投資すべき」という冷静な判断があったものと思われます。

前者は世界の景気失速が中国の景気動向を直撃するために「支援する」必要性があった事、後者は特に人民元が国際決済で通用する通貨になれば為替変動やCDSなどの各種負担を減らすことができ、また中共政府および人民銀行の思惑で国際取引ができるようになるという思惑です。人民元が米国のような基軸通貨になれば、そのメリットは図りしれず、特に「ピンチの時に買われる通貨」となったなら、世界が混乱しカネが足りなくなった時に世界中が人民元を買ってくれる=中共政府はカネに困らない…という、いまの米国が受けている「絶対王者の恩恵」に預かることもできるからです。これらのカネの判断があっての大規模金融緩和であり、中共は別に救世主でも善人でもなかったということです。


この後の展開は今までの本編で延々と語ってきたとおりです。第一期成長期を「〜米国民主党時のレパトリ」まで、第二期をここまでと考えると、第二期の総括としては…


・中央政府および中国人民銀行の役割が飛躍的に増大し、人民元および為替・通貨の管理を一元的に実行できる体制を整えた。

・ハイテク系および情報産業、自動車などで民間企業の勃興があり、民間で民需をまかなえ且つ輸出力を持つほどの強力な民間企業の育成が達成できた。同時に中国国内に巨大な市場を構築することにも成功した。

・多額の債権(含むノンバンク経由)を発行したため国力は増大し、好景気が持続しただけでなく、国民資産M3が推定で約4000兆円に及ぶほど蓄積できた。この額は日本を抜いておそらく世界第2位の規模となった。



・国家全体が過剰な資金供給量増加によるバブル化が進み、しかも債権や投資の形で続いたのでバブルが長く続いた。その結果、多額の累積債務問題が発生した。

・国家戦略に必要な重厚長大な企業群は国策会社として温存され、国有企業に依る中国市場の支配は変わらなかった。

・地方政府による「債権バブル」の構造は温存され、国債よりも遥かに脆弱な地方債の増発による地方債務の激増という深刻な問題が残った。

・国営四大銀行の寡占化が進み、強力な民間金融機関の発達がなかった。この事は地方債務の増大およびノンバンク経由の不透明な巨額融資の温床となり、中国経済の足を引っ張った。

・景気刺激を公共事業に頼りがちでGDPの3割を超える異常な状況が続いた。このため不動産および国有鉄道など軒並み多額の債務を抱えるようになった。また効率性の悪さ・ずさんな経営体質から国営企業の大規模倒産も相次いだ。

・貧富の格差が世界最悪。推定で南アと同じくジニ係数で0.61とされる程、異常な格差社会が出来上がった。



多額の資金供給で長々と好景気を維持しようとし、カネではなく債権という「償還できれば消えてなくなるカネ」でインフレをもコントロールしようとして、結果、失敗した中共は中国の「人民元圏」の中で多額の債務が累積し、償還しきれないほどの累積債務を抱えるようになった…ということです。これが「中国の特色ある社会主義」の当然の末路であり「人民の夢」の成れの果ての残骸です。


2015年の上海株価大暴落時に既に「債務 > 経済成長」という債務破綻を象徴する事例なのであって、実際、上海の株価はこの時以上の上昇を見せていません。この時、約270兆円以上が蒸発したとされ、普通ならこの時点で大恐慌なのですが政府系を中心として不動産や公共事業投資が続いたため持ち直し、同時に債務も激増していった…という、実に効率の悪い国家へと転げ落ちていた、ということでした。独裁国家の構造が変わらなかったのだから、同じことを繰り返した…と言ってもいいのかもしれません。


中国の空前の大繁栄は決して偶然でも奇跡でも中国人が世界中からパクリまくった違法コピー国家だったからではなく、単に「債権バブル国家」だったから…というだけのことでした。それだけのことだったのです…



 ※     ※     ※

 


「中国の特色ある社会主義経済」は借金に追いつかれる前に、借金以上の利得を得続ける…という債権バブル経済そのもので、未来永劫経済成長が続けばなんとかなる…という超楽観的な見込みor経済失速は許されないという「後ろにさがれない経済」は、株式市場の伸びの鈍化や国営大企業などの破綻という「中国全土が多額の債務を抱えたことに依る窒息死」という危険なシグナルであることに気づかないまま、借金→好景気の流れを続けます。


この債務の流れが断たれたのが新コロ・パンデミックです。

特に清零政策とよばれた、数ヶ月に及ぶ徹底した都市封鎖・個人活動の禁止を繰り返したため、景気が失速しただけでなく中国人民の「バブルマインド」が崩壊しました。バブルは「理性なき投機」であって、気持ちが萎えたら終わりという一種の幻想です。この幻想から目覚めるのに十分な冷水となったようです。


そこで次からは中国の今後について推測して行きたいと思います…m(_ _)m

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「なぜ日本経済は絶対に破滅しないのか?」について宇宙戦艦ヤマトの世界観を使って、イヤになるほど説明する! 高瀬梅太郎@ガミ公💙💛侵略戦争反対垢 @magmag_folder

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ