10 浮気現場を見られたみたいな……。

 たくさんの生徒が校門を通っていく。眠たげに欠伸をする生徒、気の抜けた顔の生徒、友達を見つけてパッと顔を明るくする生徒、いろいろいる。


 俺は、校門をくぐったすぐの所で立ち止まり、そんな人の流れを見ていた。けれど目的の人物はまだ通らない。


「お?」


 校門をくぐってきた男子生徒が、こちらを向いて、俺と目が合って声を上げた。南田だ。破顔して近寄ってくる。


「おう? どうした篠原、誰か待ってんの? あ! もしかして俺のこと待っててくれたぁ?」

「違うっつの」


 否定したのに南田は「まぁまぁ聞けよ」と話し始める。


「ヌマヤンがさ、友達と行くはずだった遊園地のチケットがあってさ、でも友達が行けなくなったからって、そいつが来ないんなら行く意味ないって、チケット俺にくれたんだよ。保美と三人で行こうぜ、な? しかも保美がさ、弁当も作ってくれるって!」


 南田は、これ以上の幸せなことはないってな笑顔だ。

 俺も、きっと明日には、こんな笑顔ができるようになっている。


 その南田のくったくない笑顔の後ろに、目的の人物が通って行ったのが見えた。


「宮原!」


 俺は南田の横をすり抜けて、宮原に駆け寄る。


「あ、篠原君。おは――」


 朝の挨拶を聞くのももどかしく、宮原の腕を引く。戸惑う声を上げた宮原だったが、無視をした。人気のない裏庭まで連れて行く。


 心が焦っている。早くしないと、またあいつへの想いで自分をつぶしてしまう。焦っている心のままに、宮原の背を壁に押し付けた。


 そしてそのまま唇を唇でふさぐ。


 驚いたらしく宮原は「んっ!」と声を上げたが、抵抗はしてこなかった。

 そのまま唇をなぞる俺を、舌を入れる俺を、ムチャクチャなキスをする俺を受け入れてくれた。


 こいつが好きだ。

 こいつが好きだ。

 こいつが好きだ。


 心の中で唱える。

 どこかから、ウソつけ、という声がする。

 その声に、うるせぇ、と返す。


 唇を離したら、宮原は少し頬を染めながら、優しい笑顔をしていた。


「どうしたの?」


 そう問われて俺は、


「宮原が好きだ」


 と声に出す。

 そしてもう一度、唇を重ねようとする。


 しかし宮原は「待って」と俺の唇に人差し指を当ててきた。

 そしてその人差し指を、今度は俺の背後に向ける。

 

 振り返ると、そこに根岸がいた。


 ジョウロを持って、校舎の影から一歩出てきた状態で突っ立っている。

 目を見開いて、これ以上赤くなれないんじゃないかってなくらいに顔を赤くして硬直している。


「……え……あ、いや……」


 俺は何を言おうとしているだろう。何かを言わなけれいけない気がした。ショックを受けているらしい彼女に、何かを言わなければ――いま彼女が目にしているこの光景を、なかったことにしなければいけない気がして、舌がもつれる。


「根岸……!」


 根岸は身をひるがえし、逃げるように走り去ってしまった。


 なにが……なのか、どこが……なのか、よくわからないが、なぜかとてつもなくヤバくて、信じたくない出来事が起こった気がした。


 宮原の方から「ふふっ」と笑い声がした。


「やっぱり、篠原君があたしのこと好きだなんて、あるわけないんだよねぇ」


 酷くのんびりと、宮原が言った。

 そこにはなにも、ネガティブな感情は伺えない。

 宮原の顔を見る。少しだけ、悲しそうにも見えたけれど、それなのに、清々しい笑顔をしていた。


「この間、篠原君言ってたよね。こういうことが大人になることじゃないって。それを聞いてね、あたしも、無理矢理大人になろうとしてたんだなぁって、思ったんだ」


 宮原はそっと俺の体を押しやって、俺から離れた。

 数歩歩いて、立ち止まる。


「だから……あたし、もう少し子供でいることにしたの。無理に大人ぶったりしないで、自分を大切にすることにしたの。キスとか、そういうことするのは、あたしを好きでいてくれる人とだけしようって」


 くるりと振り返ってこちらを見た宮原の笑顔は、綺麗だった。


「あたしのこと、慣れてる女だって思ったでしょ? でもね、チョー! ドキドキだったんだよ?」


 宮原は『チョー!』の所でキュッと目をつむり、『ドキドキ』で、いたずらっぽい目を開いた。


 俺は戸惑うしかなかった。

 俺は、もしかしてフラれているのだろうか。

 ……フッて、くれているのだろうか。


「っていうかさ、篠原君。なんだか、本命の女の子に浮気現場見られたみたいな、ショック受けた顔してるよ?」



    * * * *



 人の行きかう廊下を歩いている。

 気持ちいいような、悪いような、のぼせてしまったような、ふわふわした感じがする。目は、なぜか根岸を探している。


 自分のクラスの隣の隣のクラスが根岸のクラスだ。そこの廊下に、根岸の特徴的なポニーテールを見つける。

 話しかけたかったが、妙に恥ずかしい。キスシーンを見られたから、とかそういう理由ではない、と思う。


 彼女は友達らしき女子と話をしていた。二人で笑って、彼女は女子に肩をバシバシと叩かれている。

 笑い終わって目を開けた彼女は、こちらに気づいた。


 俺と目が合って、根岸は、見る見る顔を赤くしていく。目の当たりにしたキスシーンを思い出したのだろうか。


 落ち着かなそうに眼をあちこちにさ迷わす。隣の女子も、俺に気づいた。俺の顔を見た途端「やだ、マジイケメン」と小声ではしゃぐが、小さくぼそりと「そうじゃなくて」と呟く。そして根岸になにやら耳打ちした。

 そして、その女子はにんまり笑って、根岸の肩を叩き、その場を離れていく。

 根岸は顔を赤くしたまま、少し困ったような表情で女子を見送ったが、そのままの表情で俺の方を見た。


「あ、あの。篠原君」


 根岸がおずおずと、近づいてきて声をかけてくる。


「あたし、やっぱり宮原さんに悪いよね?」

「フラれた」


 俺は間髪入れずに返す。笑顔で。


 しかし、彼女には俺の笑顔の意味が伝わらなかったのか、悲しいけど開き直ってるとでも思ったのか、泣きそうなほどに困ったような表情になる。


「あたしのせい? あたし、自分で気づかないうちに篠原君と仲良くしすぎてて、それで……あんな場面、見ちゃったから、話がこじれちゃって……」

「いや……」


 根岸は相手に気を使いすぎなんだよなぁ、と、少し物足りない気持ちと、微笑ましい気持ちを同時に感じる。

 彼女は、もう少し、緩く人と付き合ってもいいんじゃないだろうか。


「俺、恋愛下手みたいなんだよな。それで、見解の不一致って言うか」


 俺は、五十鈴を忘れて無理矢理彼女を好きになろうとした。

 けど、彼女はそれを受け入れなかった。受け入れないでいてくれた。

 そして、俺に芽生えたかもしれないあることを、指摘した。


 俺は苦笑いする。


「昔からさ、恋を優先して、人を傷つけてるやつを何人か見ててさ。そういうヤツが大嫌いでさ。……でも、俺も、傷つけちまったんだよな」


 五十鈴のことも、宮原のことも……――


 俺の後悔に、根岸は悲しそうな顔をしてくれる。


「悲しいこと言わないでよ。そんなこと、言われたら、あたし恋、できなくなるじゃない。楽しいこと、何もなかった? 宮原さんのこと、なにも喜ばせてあげられなかった?」


 すでに答えは出てるけど、五十鈴のことを、宮原のことを思い出す。


 五十鈴とは、たくさんの楽しいことが思い浮かぶ。

 傷つけて、今の五十鈴は、その楽しかった思い出を今でも大切に思ってくれているのか、わからない。


 宮原は、俺と付き合っていて、嬉しいことがあっただろうか。

 なんだかとても無理をさせていた気がする。


 けど、少なくとも俺は――


「いや。嬉しいこと、いっぱいあったよ。大事だって思えたこともいっぱいあった。またいつか、自然に、誰かを好きになれたらって思う」


 ――俺は、二人にたくさんいろんなものを受け取った。


 俺の言葉を聞いて、根岸は、やわらかく、やさしく、うれしそうに、笑った。


「素敵な人に、出会えるといいね」


 五十鈴とは――友達と意識しない間に友達になっていた。そして好きになっていた。


 宮原とは――俺も、そして多分宮原も、無理をして付き合っていた。

 違う形で出会っていたら、もしかしたら好きになっていたかもしれないけれど、今考えると、無理をしていたから、好きになれなかった。


 今は、根岸にもっと、心を開いて欲しいし、開きたいと思っている。

 俺は、たぶん、自然に隣にいてくれることが大切なんだ。


 後ろの方で、「オイッス、オイッス」と、色々な奴に挨拶している南田の声がして、根岸と一緒に噴き出した。

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