中二

7 まだ気持ちが続いている。

 放課後が来て、教室の皆が帰り支度を始める。

 周りのみんなはにこやかに帰りの挨拶をしあっている。


 この教室では俺が交わすことのない挨拶だ。


 最初は話しかけられていた。特に女子に。

 成長して、さらに親父に似てきたこの顔は、昔よりさらに、女を勝手に引き寄せるようになっていた。なんだか自分をそう認識している自分が、自分ですごく嫌な奴みたいに感じる。


 実際嫌な奴だったかもしれない。


 明るく話しかけてくる相手に、明るく返すことができない。きゃあきゃあ騒ぐ女たちのテンションについて行けない。小学校の時の出来事以来、俺はすっかりコミュ障になっていた。


 それで男たちには、調子にのったスカした野郎だと思われているようで、嫌われている。

 最初は話しかけていた女たちも、なにを話しかけても暗い俺に、徐々に話しかけなくなっていった。

 やがて、それもどうでもよくなっていく。


 帰り支度をして、教室を出る。


「篠原君。帰ろう」


 廊下で話しかけられる。今付き合っている女、宮原みやはら紗耶香さやかだ。


 クラスの女たちは、俺のコミュ障っぷりを知っていたから話しかけなくなった。けど、そんな俺を詳しく知らない他のクラスの女からは、落ち着いていてカッコよく見えるらしく、告白されることがあった。


 俺の中身を知らないくせに、顔だけ見て好きってなんだよ、と思う気持ちと、断ったら傷つけるんだろうなと思いながら、断るのが辛いという気持ちが、告白されるたびに湧き上がってくる。

 簡単に言えば、告白されるのも、断るのもしんどい。


 だから特定の女と付き合えば、告白されることも減るのではないかと考え、その考えに行きついた後に告白してきた宮原と付き合うことにしたのだ。


 そんな理由もありつつ、他の女と付き合えば、五十鈴を忘れられるんじゃないか、という目論見もあった。

 俺はまだ、鬱陶しいくらいに五十鈴のことが好きだった。


 校舎を出て、帰路につくたくさんの生徒の中で、宮原は手をつないできた。俺は恥じらうことなく握り返す。


 でも、五十鈴を忘れられるんじゃないかと思って付き合ったのに、手をつないで、そのぬくもりを感じて考えるのは――五十鈴とつないだ俺の手は小さくて包み込まれていたけれど、今は逆に包み込めるだろうか……ということ。


 バカみたいだ。


 宮原は落ち着いたテンションで、だけど嬉しそうに昨日見たテレビの話をしだした。


 ウェーブのかかった、ふわふわした髪を背中の真ん中あたりまで伸ばしていて、女の子って感じの見た目だけれど、話し始めたのは昨日やっていた音楽番組に出ていた、ハードロックなバンドの話だった。


 俺も見ていたから退屈することなく、うん、うん、と相槌を打つ。

 けど、なんだかどことなく、空虚に感じている俺がいる。


 分かれ道で、少し寂しそうな笑顔で「またね」と言って、宮原は俺の唇にバイバイのキスをする。

 俺は少しだけ無理をして笑顔を作って、違う道を行く宮原に手を振る。


 家が見えたところで、玄関の前に人影があるのに気づく。

 五十鈴だ。


 宮原と遠回りをして帰ってきたから、すでに太陽が落ちている。この曜日のこの時間に、五十鈴が家の前にいるなんてことはないはずだった。


「あ! シュンちゃん、誕生日おめでとー!」


 まだ十数メートル離れているところで、五十鈴が手を振りだした。大声出して恥ずかしいんだよこいつは、と心の中で毒づく。

 こいつはいつまで無邪気なんだ。可愛いからやめろバカ。


「なんでいるんだよ……」


 足早に近づく。胸の前で包装された箱を持っている。ニコニコと嬉しそうにしている。


「金曜は悟さんと一緒に飯食いに行くって決まってんだろ? もしかして悟さん、用事でもできた?」

「ううん。今日はシュンちゃんの誕生日やから、ちょっとだけ時間ちょうだいって言っといてん。はい! これプレゼント~」

「はぁ? じゃあ、おまえ悟さん待たせてんのか? なにやってんだよ!」


 差し出されたプレゼントを無視して、怒声を上げる。本当に何やってんだよ。


「そう言うたって、金曜日は毎週来るけど、誕生日は一年に一回やん? プレゼント、一番大事な友達にあげたいよ絶対」


 一番大事な……トモダチ……――


「え! シュンちゃん?」


 五十鈴が差し出したままだったプレゼントを、ひったくるようにして受け取り、すぐに家の中に逃げ込む。

 ドア越しに五十鈴が何か言っていたが、無視して自室に向かう。


 大粒の涙が流れていた。“一番”が嬉しくて、“友達”が悲しくて。


 五十鈴は、俺の気持ちなんかとっくに自然消滅していると思っているのか、それとも最初から、ガキのたわごとだと思っていて信じなかったのかはわからない。

 五十鈴が、俺の気持ちを意識しているようなそぶりを見せることはない。


 俺の気持ちは呆れるほどにあの時のままなのに。


 早く働きたがっていた五十鈴は、大学には行かず、近所の会社で働いている。

 五十鈴のお父さんは昔ほど出張に行くことがなくなって、五十鈴は俺の家にはあまり来なくなった。親子の時間を大切にしている。


 けど金曜の夜は悟さん――付き合っているあの男、五十嵐悟と一緒に食事に行くと決めているようだ。悟さんは五十鈴のお父さんとも仲良くなったようで、お父さんも入れて三人で食事に行くこともあるみたいだけど、二人きりで行くことの方が多い。


 今日がその金曜なのに――五十鈴にとっても大事な時間だろうに――それでも俺のことを優先してくれたことに、ものすごく喜んでる自分が心底嫌になる。


 でも、食事の後、五十鈴たちは大人の時間を過ごすんだろうと思うと、喜びを凌駕して怒りと嫉妬で狂いそうになる。喜びがでかいからか、その感情はいつもよりもでかい。


 望みがないのに、いつまで好きなつもりなんだ。


 プレゼントを開ける。どうせまたマイペースなセンスで五十鈴好みのぬいぐるみか何かだ。


 ……ほら当たった。


 それが嫌になるほど愛しくて、強く抱きしめた。



     * * * *



 宮原はあまり周りとつるまない女だった。なんだか妙に落ち着いていて、きゃあきゃあ騒ぐこともあまりない。いっしょにいても、苦になることはなかった。


 それでも一人になりたい時がある。そんな昼休みは人気のない屋上でボケっと過ごすことが多い。


 雨が降りそうで降らない、少しだけ悲しそうな空を眺めながらボケっとしていたら、どうやらウトウトしていたらしい。気がついたら、人の声がしていた。


「――だから俺は保美やすみが好きだ! つきあってください!」


 俺は出入り口の裏にいたから、そいつは俺の存在に気づいていなかったのだろう。でかい声で、こっちが恥ずかしくなるようなことを叫んでいた。


 しばらくの間、静寂が流れた。相手の声は小さいのか、返事が聞こえない。やがてドアの開け閉めの音。


 そして足音が近づいてきた。ついでに鼻水をすする音も。

 うわー……、フラれたんだな、と少し同情するのと同時に、げ、こっち来る、ということに気がつく。


「あ」


 と、そいつ。


「う」


 と俺。


 涙と鼻水まみれの男と目が合った。そいつは涙を流しながらも「ハハハ」と笑い声を漏らした。


「もしかして聞いてた?」

「あんなでかい声、ここにいたら聞きたくなくても聞こえる」

「あはは。そっかぁ。ダッセー」


 そう力なく笑いながら、そいつはなぜか俺の隣に座る。ポケットからティッシュをとりだして、盛大な音を立てて鼻をかんだ。

 長髪を後ろで束ねているのが特徴的な男だった。ここ一年くらい流行っている、ミュージシャンのタチバナタツキの真似かもしれない。


「いやな、自信はあったんだよ。一年の時から仲良かったし。俺と一緒にいるとニコニコしてくれるし。お兄ちゃんみたいに頼りになる、って言ってくれたことあるし……。でもその『お兄ちゃんみたい』ってのが伏線だったんだな。俺、恋愛対象じゃなかったんだ……」


 男はこちらが何も話しかけていないのに、勝手に語りだした。なんだよこいつ。


「なんだよー! 目の前にこんな悲しんでる奴がいるのに無言かよー! 慰めろー!」


 だからなんだこいつ。


「はぁ? なんで勝手に語りだした知らねぇ奴のこと慰めなきゃなんねぇんだよ」

「冷たいー! おまえの口から吐き出されるのはツンドラ気候か! なんだよよく見たらおまえめちゃくちゃイケメンじゃねぇかよ。ああそっか。そうだよな、わかんねぇよな、失恋の痛みなんてっ! なんにもしなくても女の方から惚れてくれそうな顔してるもんなっ」

「はぁ?」


 なんだか勝手に拗ねている。プイっとそっぽを向いた。


「あのなぁ! 俺だって失恋くらいしたことあっ……! ……あ」


 苦い物をかみつぶした気分だ。失言だ。言わなくてもいいことを口走ってしまった。

 驚いた顔して男が振り向いた。やがて同情的な表情になり、俺を見つめてきた。


「そっか……。そうだったのか。お前みたいなイケメンが失恋するだなんて、世の中理不尽にできてるんだな。うん! わかるぜ、その辛さ! せつないよな!」

「うっせぇ、勝手にわかるな! おまえが失恋しない奴は馬鹿みたいに言うから、余計なこと言っちまったじゃねぇかよ!」

「でも落ち込むことはない! 俺たちはまだ若い! 未来があるんだ! 女だって星の数ほどいるんだから、幸せな未来の可能性はあの青空のように広い!」

「曇ってんじゃねぇか」


 俺は呆れて思わずツッコむ。

 それにもう一つツッコむところがある。


 五十鈴はどんなに探しても一人しかいねぇんだよ。


「なんだよ、せっかくポジティブに考えてるのに腰折るなよー」


 男はまた拗ねたらしく下唇を突き出していたが「あ」と何かに気づいたように声を漏らした。


「おまえもしかして、その相手にまだ片想いしてんの? なんかせつない顔してるぞ」

「うっせぇ。どうでもいいだろ」


 予鈴が鳴った。俺は立ち上がって、屋上のドアに向かう。うるさい奴は女でも男でも苦手だ。


「あ、おい。また話そうぜ。俺、南田みなみだつかさ!」


 男は勝手に名乗った。……勝手にしろ。



    * * * *



 宮原と帰る。彼女は嬉しそうに口を開く。


「あのね。明日、あたしの家、来る? 明日は親、いないんだ」


 しっかりと俺と手をつなぎながら、彼女はそんなことを言う。そのぬくもりで、俺は五十鈴の手のぬくもりを思い出している。


 ああそうだよ。まだしてるよ、片想いを。悪かったな。

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