9 俺には理解できない。けど――
「相談したいことがあるんだ」
深刻な表情で南田が言ったのは、二時間目が終わった後の休み時間だった。
勝手に俺の教室に訪ねて来て、誰に断りを入れることなく勝手にズンズン教室に入ってきた。そして俺を見つけると嬉しそうに、ブンブン手を振り「いたいたいたー!」と叫んだのだ。
無視をしたかったが、無視をしたらさらに騒ぐだろうテンションの南田に、俺は仕方なく返事をして話を聞くことにした。そしたら一瞬で深刻な顔になり「相談したいことがあるんだ」である。
なんで出会って間もないはずの俺に? と思ったが、断ったらまた騒ぎ出す予感がした俺は、今、この昼休みに、呼び出された屋上にいる。
待つこと数分。屋上の出入り口が開いて南田が出てきた。そして南田は中に向かって「ほら」と誰かを促している。
やがてその促された人物も出てくる。ポニーテールの女だった。あれってヤスミって女じゃねぇの?
南田はへらへら笑いながら、その女と一緒に俺に近づいてくる。そして、
「保美がお前に話があるんだって」
と、のたまう。
「おまえが相談したいんじゃねーのかよ」
「え? なにそれ、俺知らなーい」
言い終わると南田は、素早い動きで出入り口の方に移動した。
「じゃーなー。保美、がんばれよー」
ブンブン手を振ったかと思うと、サッと中に消えていく。
女はどこかそわそわしている。
嫌な予感がした。
もしかして、この女、俺が――顔のいい男が好きだから、南田の告白を断ったのか?
うっわ。マジだったらバカバカしい……。
「あの……あのね……」
女は緊張しているのか俺と目を合わせられないらしく、赤らめた顔をうつむけたまましゃべりだした。
うわ。マジで告白されるっぽい。断るのしんどいから嫌だ……。
「篠原君、あたしのこと、憶えてる?」
「え」
予想外の言葉が放たれ、少し戸惑う。憶えてる? え、誰?
「あたし、根岸保美。篠原君に助けてもらったこと、あるんだけど……」
ちらりと上目遣いで俺を見た後、すぐに目を伏せる。
「助けた……? 俺が、あんたを……?」
「……シロー君のマスコット、見つけてくれたよね」
「え……? あ!」
小五の時のあれだ。桜木に目をつけられて、ミノワたちにシロー君を盗まれていた、あの女子だ。
「あの後ね、桜木さんが謝ってくれたの。シロー君が盗まれたのは自分のせいだって。それで、篠原君が体張って取り返してくれたんだ……って」
桜木がそんなことをしていたとは意外だが、あの女子は“盗まれた”ということは知らなかったはずだから、本当に桜木は彼女に教えて、謝ったのだろう。
「それを聞いて、篠原君にお礼言いたいって、思ってたんだけど……その頃は……その、もう、周りのみんな……篠原君に関わらない方がいい……って、雰囲気になってて、あたし……勇気出なくて…………ごめんなさい」
彼女は伏せていた顔をそのままに、頭を下げた。
「いや……そんなん、謝ってもらわなくても……」
今まで忘れてたくらいだし、と思ったが、彼女はポニーテールを揺らしながら首を振った。
「篠原君、あの頃……ずっと一人だったのに、あたし何もしなかった。……ごめんね。それから……」
赤らめた顔を上げた彼女は、俺の目を見て言った。
「ありがとう」
一瞬でも彼女を軽蔑した自分が恥ずかしくなった。
少しバツが悪くなって「いや……どーいたしまして」とボソボソと小さな声で返した。ちゃんと彼女に聞こえたらしく、安心したように、控えめだが笑顔になってくれた。
「司君が篠原君と友達になったって聞いて、ホントびっくりした。ああ、これはお礼を言うチャンスなんだって、勇気だして、よかった」
ツカサクン……ああ南田か。あいつトモダチになってたのか。もうどっちでもいいけど。
「それで、ね? ずっと、あのころから、勇気だして友達になれてたら……って、そしたら篠原君のこと一人にしなかったのにって思ってたんだけど……勇気でなくて、後悔してて……。だから、今更だけど、友達になれたら……って思うんだけど……。あ! 宮原さんのことは知ってるから、迷惑ならやめるけど……メーワク、かな……?」
「え? あ? うん……」
彼女がそんな風に考えていたことが驚きで、恐ろしく適当な返事になってしまった。
「そっか……」
と彼女は悲しそうに俯いた。あれ?
「あ、いや違う。今の『うん』は『迷惑かな』に対して『うん』って言ったわけじゃなくて、『友達になれたら』ってとこに『うん』って言ったんであって……!」
慌てる俺が可笑しかったのか、彼女は「ふふっ」っと小さく笑い声を漏らした。
「じゃあ、これからよろしくね」
そう言って、彼女は「あ、あたし次、移動だったの忘れてた。ごめん、先行くね」と、笑顔で出入り口から中へ入って行った。逆に南田が外に出てくる。
「いやー、よかったよかった。これで保美も胸のつっかえが取れただろ」
「聞いてたのかよ、お前」
「いやー、もしも積年の恨みを晴らすとかで、おまえにナイフを突き立てるのが目的だ、とかだったら止めにゃならんと思って」
へらへらしている。一ミリもそんなことを思ってないのが一目瞭然だ。しかし――
「おまえ、彼女が俺となに話すのか、知らなかったのか?」
「知らんかったけど、それがどうかした?」
「いや、告白するとかだったらどうするつもりだったんだよ」
「ん? 応援するだけだけど、なんで?」
理解できない。応援するって……は?
「おまえ、あの女のこと、好きなんじゃないのかよ。フラれたの、ついこの間なんだし、そんなすぐ忘れられるわけじゃないだろ」
「んー? そりゃまだ好きだけど……だって、好きだったら幸せになってほしいって思わん?」
南田は笑顔で――嘘偽りなんてなさそうな笑顔で言い切った。
俺には理解できない。
そんな理解できない南田と、根岸は、次の日から、俺が屋上でボケっとしていたら、時々やってくるようになった。
俺があまり乗り気じゃない時は、ふたりは隣でトランプやらポータブルのオセロなんかを始める。
なんだかんだで長寿アニメになりつつある、シロー君が出てくるアニメの話を、根岸が「昨日見た?」と話しかけてくることもあったり。
根岸が、裏庭の花の水やり係をやっているが、他の係のやつは誰も手伝わない……と南田が愚痴って、おまえも手伝えと言ってきたり。
それを根岸が「あたしは楽しくやってるから」となだめたり。
そんな二人のやり取りを俺は、俺も混じってるような、混じってないような感じで、隣で見ている。
毎日俺が屋上に行くわけじゃないし、毎日二人が屋上に来るわけじゃない。宮原と帰るのは変わらないし、俺の鬱屈した気持ちが晴れるわけじゃない。
でもなぜか、どこか、三人でいるこの感覚が、懐かしいようにも感じる。
根岸がクッキーを作ってきて、「みんなで食べよ」と言われて食べたこともある。
そのクッキーは、前日、五十鈴が飯をつくりに来ていて、少し寂しさが和らいでいたからなのか、うまく感じた。
「これ、甘さ控えめでチョーうまい! 俺、保美のクッキー好きだなぁ」
南田の言葉になぜか驚いた。
ヤツはクッキーが好きだと言っているのに、俺には、根岸への気持ちはまだ消えていない、根岸のことが好きだ、という風に聞こえてしまった。
本当の所はわからないけれど、フラれても、根岸が他の人間を好きになっても応援するだけ、という南田の言葉は――それでも根岸と一緒にいる南田は、いつまでも彼女が大切な存在だ、と言ってるのも同然な気がする。
それなのになんでこいつは、俺みたいにつらく感じないんだろう。
その人を欲しいと思うことと、その人の幸せを願うことと、どちらがその人のことを強く好きだと想っているのだろう。
俺には南田が理解できない。
理解できない、けど――
* * * *
南田のことは理解できない。けれど、それは昔、俺自身が誓ったことじゃないのだろうか。
恋をしても誰も傷つけない。
好きな相手を強引に振り向かせようとするんじゃなくて、自分のことが好きじゃなくても、ちゃんと相手の幸せを願うこと。
誰も傷つけない。五十鈴と約束したんだから、絶対に守れると思っていたこと。でも守れなくてずっと忘れていたこと。
思い出しても、今では、全く理解できなくなっている。
だから恋なんて大っ嫌いだ。
公園の前の道に、もうどれくらい立っているだろう。五十鈴が通勤のときに通る道だ。ずっと雨が降っているけれど、気にしないでずっと立っている。雨のせいだろう、人の気配は全くない。
「シュンちゃん? ちょっと! なにやってんの、ずぶ濡れやんか!」
五十鈴の声がした。駆け寄ってくる音がする。
「はら、傘。入り」
頭上の雨が防がれた。五十鈴が近い。
「……おまえって、優しいよな」
言ってみる。昔から知ってること。
「そら、友達が雨に濡れてたら、傘に入れるやろ」
あはは、と五十鈴は笑う。優しいけど、でも残酷なことを言う。そのセリフは残酷だ。
「けど、なんでこんなとこで濡れてたん? 誰か待ってた? それにしても傘くらい持ってきたらええのに」
誰か……。なんでお前だって気づかないんだよ。ボケてるよな。
「お前だよ。お前のこと待ってたんだ」
言ってみたら、五十鈴は「え?」と小さく声を上げた。その瞬間、抱きしめた。
自分の顔は五十鈴の胸に埋まることなく、自分の首の横に五十鈴の顔が来る。驚いて手を離してしまったのか、五十鈴の手から傘が落ちる。
「何? 何すんのシュンちゃん?」
「好きだからだよ」
戸惑う五十鈴の声を塞ぐように、すぐに答える。
「振りほどいてみろよ。できないだろ? 背も、お前より高くなった」
顔の横で、戸惑う気配がする。気にせずに続ける。
「それでも、おまえの中の俺は、ガキか? 俺のお前への好きって気持ち、『友達』って言葉で踏みにじれるのか?」
五十鈴が、ショックを受けたように息を吸う。
「シュンちゃん……シュンちゃん、ごめん。……ごめん……」
五十鈴は震える声で、ごめん、と続けた。どういう意味のごめんなのか、俺をどう想っているのかは答えない。
少し、体を離す。雨で濡れつつある五十鈴。俯けた顔には、雨に混じって、涙が流れている。
「ごめん。あたし……あたし……」
五十鈴が言いたい言葉の続きは知っている。その言葉を言い淀んで、五十鈴の唇は震えている。その唇に、自分の唇を近づける。
「――! いやっ!」
突き飛ばされる。そうされるだろうことは知っていたけど、全然踏ん張ってなかったから盛大に吹っ飛んだ。ちょうど水たまりで、ケツが冷たい。
「シュンちゃんごめん。シュンちゃんの気持ち、知ってるけど、知ってるんやけど……! でも、すごい勝手ってわかってる、けど、でも……あたし、シュンちゃんっていう親友なくしたくないんやもん!」
肩を震わせて、五十鈴はひっくひっくと泣き出した。俺は立ち上がって、落ちていた傘を拾う。
五十鈴に渡そうとしたが、五十鈴は涙を拭うのに一生懸命で受け取らない。その手を無理矢理取り、無理矢理傘を渡した。
「五十鈴は俺のこと友達としか思えなくても、俺は五十鈴のこと、好きな女としか思えない」
そう言い残して、俺は雨の中を歩きだした。大声で泣く五十鈴を置いて、無視をして。
五十鈴に、俺の気持ちをちゃんとわかって欲しかった。友達を終わらせたかった。五十鈴自身を傷つけてでも、無視できないほどに叩きつけたかった。
傷つけないって約束が守れないなら、それなら、傷つけてでも断ち切ろうと思った。
でも、ここまで断ち切ったら、もう家に飯を作りに来てくれることもなくなるんだろうな、と思うと、寂しさで胸を激しく抉られる。そんなことは覚悟してやったのに、抉られる。
「五十鈴は、悟さんと幸せいっぱいなんだよ。邪魔しちゃいけねぇんだよ」
声に出してみる。
「俺は、あの女と仲良くしてればいいんだよ」
でもそれに自分で賛同できない。
涙が出てきた。無視して歩いた。けど、どんどん力が入らなくなってきて、その場で泣き崩れた。
俺が、五十鈴を想っていることが、五十鈴をあんなに泣かせることなのに。五十鈴をあんなに傷つけることなのに――
俺は五十鈴が……――
「……宮原」
無理矢理に、宮原の名前を呟いた。頭からはがれない五十鈴の泣き顔を無理矢理はがして、宮原の笑顔を思い浮かべて、何度も宮原の名前を呟く。
俺の、カノジョの名前を。
馬鹿みたいに、何度も何度も……――
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