2 ずっと友達がいい。
教室のドアを開ける。
一瞬、教室のみんなの視線がこちらを向く。が、入ってきたのが俺だと気づくと、すぐに視線を元に戻す。
その一連の動きからは、こいつとは関わりたくない、という空気を感じる。俺の存在を無かったことにしたいような、そんな空気を感じる。
いつものこと。そう割り切っているから俺も誰とも目を合わさずに、胸が痛むような気がするのを無視して、自分の席に着いた。
「あ、あの、篠原君……」
めずらしく、おずおずと、気の弱そうなメガネ男子が声をかけてきた。
「さ、桜木さんが、話があるって……。昼休みに来てって……」
バカゴリラな番長が、勝手に彼女に惚れているだけだから、彼女が悪者だとは思わない。
でも、バカゴリラが彼女を好きということは、結構な噂になってるっぽいから、彼女も自分が原因で、俺が孤立させられているのは知っているはずだ。
今さら何の話なのだろう。
モヤモヤとする。恨むべきは彼女じゃないとはわかっているのに、何かが胸に込み上がってくる。
どこかで俺は彼女のせいだと思って恨んでいるんだ。
そんなことを考えている自分に嫌気を感じ、気持ち悪いモヤモヤを抱えたまま昼休みを迎えた。
顔を合わせづらいなと思いながら体育館の裏に行くと、桜木美緒が待っていた。
「来てくれたんだね、篠原君」
メルヘンチックなフリルの付いた服を、自然に着こなしている彼女は、いかにも乙女といった雰囲気だ。
いつも俺に話しかけるときにするように、少しうつむき気味で、上目遣いでこちらを見てくる。
「あのね。私……やっぱり篠原君のことが好き。諦めきれないの」
たぶん、俺は苦い顔をしてたと思う。
俺の気持ちは、前に彼女に伝えた時と変わらない。
親父が本気の恋をしたと言った。そして俺と母さんを捨てた。傷つけた。だからそんな大事な人であるはずの家族を傷つけるような“恋”に、不信感しかない。恋愛なんてしたくない。
わざわざ親父のことを話す気はないが、恋愛に興味がないことをもう一度伝えなければいけないのかと、なんて言えばいいのかを考える。
いじめられるのは彼女のせいだとどこかで思っているからか、考えれば考えるほどイライラする。
俺のそんな思考を察しているのか、いないのか、桜木美緒は胸元まで伸びた髪をいじりながら話を続けた。
「私と付き合ってくれたらね、そうしたら、ミノワ君たちにいじめはやめてって言ってあげられるんだけどな……?」
…………は?
何を言ってるんだろう、彼女は。
ミノワ君たち――あのバカゴリラとその仲間たち。
バカゴリラは彼女に惚れているから、だから彼女は奴に言うことを聞かせる自信がある、と言うことだろうか。
でも好きなら――少なくとも家族とか友達とかの“好き”ならば、好きな奴がいじめられていてそれを止める方法を持っているのなら、無条件で止めようとするのではないだろうか。
ナニジチ、と言えばいいかわからないが、彼女は人質を取ったように、それを交換条件にしてきた。
やっぱり恋をすると、人を傷つけてもいいって思うようになるんだ。
イライラが止まった。彼女のせいだと考えてしまう罪悪感が止まった。
「ごめん。どうなろうと、やっぱり興味ないから」
すうっ、彼女の表情が消えた。
「どうして?」
彼女はさっきまでの好意がなくなったかのような、低い声で訊いてきた。
けど俺は、
「ごめん」
と、もう一度だけ言って、その場を後にした。
レンアイってなんなの?
家族傷つけたり、相手を傷つけてまでするのがレンアイなら、俺は一生そんなものしなくてもいい。
教室に戻って、机に突っ伏して、ふて寝した。
なんだかやたらと五十鈴に会いたい。
授業中も上の空で、ノートにどうやったらレースゲームで五十鈴に勝てるかを考えてメモした。憶えてる限り正確にコースを書いて、ここはインを責めたりだとか、ああだこうだと書き込む。
五十鈴はレースゲームだけはやたら強いから。
授業が終わって、誰にも「さよなら」だとか「また明日」とか、言われないまま学校を出る。自然と早足になる。
家について、安堵する。
今週は五十鈴のお父さんはずっと出張って言っていたから、今日も間違いなく五十鈴は来てくれる。
もう少し待てば五十鈴が来てくれる。
ランドセルを置いて、いつも通り洗濯を取り入れ、なんだかたたむ気になれないでそのままにして、ゲーム機の電源を入れる。
授業中にああだこうだと考えていたレースゲームだ。
無心でプレイして、五十鈴を待った。
結構な時間が経った。
なのに、どうしたのだろうか。
今日はなかなか五十鈴が来ない。
レースゲームのタイムアタックを続けて、ベストタイムを出して「よしっ」と思わず声に出して、これなら勝てる、と思ったら、五十鈴が遅いことに気がついた。
部屋の中が結構暗くなっていたから、明かりをつける。
放置している洗濯物を筆頭に、少し散らかっているリビングが光にさらされる。かたづけなきゃ、と思うと同時に、少し寂しさを感じる。
落ち着かずに、こちらから五十鈴の家に行ってみようかと思ったとき、チャイムが鳴った。
五十鈴が来たと、ほっと息を吐いて玄関に向かう。だが、五十鈴ならいつも勝手に入ってくるのに、しばらく待っても入ってこない。違う誰かなのだろうかと玄関に向かい、ドアを開ける。
「うおっ!」
いきなり視界をふさがれた。顔が大きいマシュマロのようなものに埋まる。
この感触は……五十鈴だ。
またこいつは……! ちっとは恥じらいをもって己の胸の位置と相手の顔の位置を把握しろ!
引きはがそうとしたが、強い力で抱きしめられていてはがれない。
よ、喜んでないぞ! 見た目より意外にでかいとか、考えてないからな!
「……うっ……っ、……ひっく…………うぅ…………」
え?
……泣いてる?
「ど……どうした?」
そっと訊く。鼻をすする音がして、少しの沈黙。震える声で、五十鈴が答える。
「あたし……なんか悪いことっ、してるんかなぁ……。親切でしたつもり……っ……やったのに、なんで……怒られたんやろう…………っ」
そこで、五十鈴は嗚咽ばかりになって話せなくなったようだった。
そっか……。と俺も一緒に悲しくなる。
いじめに理屈なんて探してもしょうがない。そう思ったけど、口には出さなかった。
ただ、背中に腕を回して背中をさする。
今まで少し我慢していたのか、それを解放するように泣き声が大きくなる。
「大丈夫だから。ここにはお前を怒るやつなんて、いないから」
なるべくやさしく聞こえるように、ゆっくりと言った。
「……うん……うん……っ……」
五十鈴が安心したように頷く。
しばらくして、五十鈴は体を離した。
「ありがとう」
涙に濡れた顔は、笑顔だった。俺もホッとして表情を緩める。
落ち着いた五十鈴と一緒にリビングに戻って、ソファに五十鈴を座らせる。コーラを二人分用意して、五十鈴の隣に座った。
「今日は晩飯テキトーでいいからさ、ずっとやってようぜ」
つけっぱなしにしていたゲーム機のコントローラーを構えながら、五十鈴に言う。
「よっしゃわかった。負けへんでー」
そうしてレースゲーム大会が始まった。
さっきまであれだけ泣いていた五十鈴が、心に動揺などないようにいつも通りの速さを発揮する。俺の戦績に負けが積みあがっていく。おかげで俺も、五十鈴が泣いていたのを忘れるくらいに没頭してプレイした。
「ん、ん! あ! あああーーーーーーー!」
ゴール直前、初めて俺は五十鈴を抜いて一位に立った。
「しゃあああああ!」
「負けたあああああ!」
同時に叫んだ。さらに五十鈴は悔しそうに「むぅうううう!」と唸りながら、意味なくコントローラーをガチャガチャやっている。
「はぁああ……。速くなったなぁシュンちゃん」
「トーゼン。実力じゃん」
「うそぉ。めっちゃ練習してたの知ってるでー」
二人とも同時に噴き出す。ゲラゲラと笑った。
目に涙がたまるくらい笑って、ふと気づくと、五十鈴が真顔になっていた。
「どうした?」
と訊くと、にっこりと笑ったかと思うと、俺の腕にしがみついてきた。
いやいやいや、今度は腕が胸に当たってるんですが?
「ど、どど、どうした?」
「シュンちゃんが友達でホンマよかった」
胸が熱くなる。嬉しすぎてびっくりする。
俺の腕にくっついている五十鈴は、のんびり日向ぼっこしている猫みたいな、心の底から安心しているような表情をしている。
「ずーーっと、仲良しでおってな」
なんでこんなに嬉しいんだろう。いや、胸が柔らかいからとかは関係なくて。
震えるほどに嬉しくて、俺の腕にぎゅっとしがみついてる五十鈴を、ぎゅっとし返したくなって、でも恥ずかしくてできなくて、なんだかもどかしい気持ちのまま、言う。
「うん。ずっと友達だよな」
ずっと、絶対に、五十鈴を傷つけたくない。
そう思えるのは、きっとこの気持ちが恋なんかじゃないからだ。
恋なんて自分のことしか考えなくなるような感情はいらない。
ずっと友達がいい。
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