3 そんなのウソだ。

 いつもの学校。いつもの教室。いつもの、俺と目を合わそうとしないクラスの奴ら。


 いつもと同じだった。けど、いつもと違った。

 俺を異物だと思ってるだろう、教室の奴らが醸し出す空気。それが、気にならなくなっていた。


 自分は独りじゃないと、心から思えるから。クラスの奴らがどれだけ俺をいないもののように扱おうと、俺は五十鈴にとって大事な存在だという確信があるから。


「きゃっ!」

「ぅおっ!」


 だからだろう。人とぶつかっても特別にビビることはなかった。関わりたくない奴と関わってしまった、とリアクションされたとしても怖くはない。


 けどそのぶつかってきたポニーテールの女子は、そんなリアクションは取らず俺の顔を見て「ご、ごめん」とあやまってくれた。

 彼女は落としたものを拾うためにしゃがみこむ。筆箱の中身が出てしまい、散らばっている。


「いや、俺も悪い」


 俺も素直に謝ることができた。しゃがんで、散らばった筆箱の中身を拾うのを手伝う。

 散らばっている物の中に、マスコットが落ちていた。ちょっとマイナーなアニメの、主人公をサポートするロボット、四十六号・シロー君だ。


「あ、俺これ好き」


 思わず言っていた。拾って女子に渡す。

 彼女はふにゃりと笑って受け取った。つられて俺も顔が緩む。

 自分がひどく穏やかなのがびっくりする。


「篠原君」


 後ろから、女子の声が聞こえた。心が穏やかだったのが一転して、その声になんだか寒気を感じる。ゆっくりと振り向く。桜木美緒が立っていた。


「おはよう、篠原君」


 ゆっくりと彼女は言った。その言葉に、さらに背中が寒気に襲われる。

 桜木美緒は笑顔だった。満面の笑顔。なのになんでこんなにも怖いのだろうか。笑顔すぎる笑顔が、よくわからないけれど、怖いと感じた。


根岸ねぎしさんも、おはよう」


 根岸さん、と呼ばれた女子は、慌てたように立ち上がり「お、おはよ」と答えた。笑顔は消えている。


「じゃあね」


 桜木美緒は、そう言って立ち去っていく。その『じゃあね』は、ねっとりとして体にまとわりついてくるような嫌な感じを、なぜか覚えた。

 俺は自分の体に力が入っていることに気がついて、力を抜く。息を吐きだす。


 拾い損ねていた女子の消しゴムを拾って立ち上がる。

 渡すと、彼女も息を止めていたように、ほっと息を吐きだしながら「ありがと」と受け取る。


「ありがと。じゃね」

「おう……。じゃあ」


 俺と女子は、そう言って別れた。



    * * * *



 日曜日。俺と五十鈴はデパートに買い物に来ていた。

 なんでも、お世話になった先輩にお礼としてプレゼントを渡したい、ということだった。


 その先輩はなんと男なのだそうで、プレゼントを選ぶのに男の子の意見も聞きたい、と五十鈴に連れてこられたのだ。

 その話を聞いて『やるじゃん』と言ってみたら五十鈴は慌てて『なんもやってない! なんもやってない!』と否定した。わかりやすいのである。


 でも、それで胸がちくりとした気がするのは気のせいだろうか。

 いや、もしも気のせいでなくても、それはただ五十鈴がもしそいつと仲良くなったら――付き合うことになったりしたら、俺と遊ぶ時間とかなくなるんだろうな、という、そういう寂しさだと思う。


 絶対に、恋のヤキモチなんてものじゃない。


 ともあれそんな経緯があってデパートにやってきたのだが……――


 いきなりはぐれた。


 俺だけが目的の雑貨屋にたどり着き、気づけば五十鈴がいなかった。

 確かに今日は人が多いと思う。だがどうして年上の方が迷子になっているのか。


 俺はまだケータイを持っていないので連絡も取れない。しょうがないから探しに行くことにする。


 来た道を戻る。割とすぐに見つかった。五十鈴はぬいぐるみを見ていたのである。

 店の表に五十鈴が好きな、リラックスカンクの一メートルくらいある大きなぬいぐるみが置いてあったのだ。それに見惚れている。


「五十鈴、それ買う?」

「買えやんよう。何万もするもん。せやから今じっくり見てるんやん」


 五十鈴は俺の顔を見ず、いろんな角度からリラックスカンクを見ている。


「もしかして五十鈴、はぐれたの気づいてない?」

「え!」


 やっと振り向いた。


「シュンちゃん、迷子になってたん?」

「あー……おまえがここで立ち止まったの気がつかなかった」

「で、迷子になってしもたと」

「いや、先に目的地についてたから迷子ではない」

「え! じゃあ、迷子なったん、あたし?」


 五十鈴の顔がみるみると赤くなっていく。その赤くなった頬を恥ずかしそうに両手で包んでいる。しばらく沈黙したかと思うと、きつく目をつぶって手を顔の前でパチンと合わせた。


「ごめん!」

森谷もりたにさん?」

「え? ひゃっ!」


 五十鈴が詫びの言葉を叫んだ直後、俺の背後から五十鈴の名字を呼ぶ声がした。男の声だった。目を開けた五十鈴が小さな悲鳴を上げる。俺も振り返った。


「やっぱり森谷さんだ」


 そこには和やかな笑顔を浮かべた男が立っていた。背は五十鈴より少し高いくらいだろうか。どこか繊細そうで頼りなさそうな印象を受けた。

 五十鈴を見る。さっきよりも顔を真っ赤にしていた。わかりやすいのである。こいつが件の男なのだろう。


「リラックスカンク、かわいいよね。妹が大好きなんだけど、森谷さんも好きなの?」

「はは、はいー! かわいいですよね!」


 なんとなく、五十鈴とおんなじでのほほんとしたタイプだと思った。

 相性は悪くなさそうな気がした。けど、なんだかイラっとした。五十鈴には――母親がいなくて苦労してきた五十鈴には、もっとしっかりと引っ張っていくようなタイプがいいと思う。


「この子は? 弟さん?」


 男が俺に顔を向けて訊く。またイラっとした。


「あっ! 弟と違ってシュンちゃんは――」

「友達だよ!」


 五十鈴が言うのを遮って、なんだか怒ったような声を出していた。まずい。多少気に入らなくても、五十鈴がこいつのことを好きならちゃんと応援してやらなきゃいけないのに、生意気なガキみたいな言い方をしてしまった。


 しかし、男は嫌な表情は見せなかった。柔らかな笑顔のまま――いや、もっと柔らかに、目を細めて、口の端をあげた笑顔になった。


「そっか。君は森谷さんのことが大好きなんだね」


 ……は?

 体が、冷たくなったような熱くなったような……わからないけれど、ザワリと体を何かが駆け巡った。


 そりゃ、五十鈴のことは好きだ。一番の友達だ。けど、男の言い方は、友達としての“好き”には、なぜか聞こえない。

 そいつの笑顔は、意味ありげな笑顔だった。けど、何の意味があるのかは読み取れない。


「そうなんですよー。あたしたち、すごい仲良しなんです」


 五十鈴が、“好き”の意味を何ら深く考えていなさそうな感じで返事をしている。


「なるほど。なんだか雰囲気からして仲良さそうだものね」


 そう言って、男は姿勢を低くして俺の顔を覗き込んだ。


「僕は五十嵐いがらしさとる。森谷さんとは同じ委員会で、一つ先輩なんだ」


 にこやかに、続ける。


「もしも森谷さんと僕が結婚したら、森谷さんは五十嵐五十鈴、ってなるわけで、それってなんだか運命的な気がしない?」

「ちょっ! 五十嵐さん! 何変なこと言ってるんですかー!」


 男――五十嵐悟から、今度ははっきりと何かを突きつけられたのを感じた。

 こいつは五十鈴のことが好きで、俺も五十鈴のことを恋愛的に好きだと思っている。それでこいつは俺にライバル心でも燃やしているのか。


 ――好きなんでしょ?


 そう言われているような気がする。


「あはは、例えだよ例え。この名前の共通点は奇遇だよね、って話」


 好きだけど、俺のはくだらない恋愛感情なんかじゃ……――


「なにそれもう。ビックリさせやんといてくださいよう」

「あはは。ごめんごめん。じゃあ、僕そろそろ行くよ。姉貴の荷物もちなんだ」

「そうなんですかー。頑張ってくださいね。ほんなら、あたしらも行きますね」


 恋愛感情なんかじゃ――と否定しようとして、否定しきれない自分がいる。

 なんで、こんなに胸が苦しいのか。

 なんで、こんなに泣いてしまいそうなのか。


「行こうシュンちゃん。今度ははぐれやんように手ぇつないで行こう」


 五十鈴が俺の手に触れる。信じられないほど体が熱くなった。反射的に五十鈴の手を弾いていた。


「ん? どしたん? シュンちゃん」

「あ……いや、と、トイレ!」

 その場を逃げるように走って離れた。

 体が熱い。涙がこぼれた。

 そんなのウソだ。

 ウソだ。

 ウソだ。

 ウソだ!

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