七十三の節 華麗なる王者、プラッティン・マクシム・カネル。 その三




 丹の一族ニノイチゾク


 聞き慣れない響きに反応した者は「それは何か?」と、アラームに問うために息をつぎ、視線をアラームに向け、知識欲を満たそうと様々に動いた時。


「カネル様」


 それぞれに発せられた気配を封じるかのように、アラームは静かに正面に座する名の持ち主を呼んだ。

 プラッティンを含め天幕にいる、ほぼ全員が腹に据えていたであろう疑問を置き去り、アラームの挙動に備えていた。


「こちらの璜準コウジュンは、とても寒がりです。その彼が、上着を預ける程の快適な室温とは言え、カネル様の御姿には気懸かりを申し上げます」


 アラームの言葉に、次はプラッティンへと視線や意識が注がれた。その姿は、純白の被毛が惜しみなくあらわとなっている。辛うじて下半身は薄衣うすぎぬに隠されてはいるが、詰まりは全裸に近いものだった。


 柳と竹材の外壁に支えられている割りには大きな白の天幕。プラッティンが野兎と変わらない姿を保ち、璜準コウジュンが一切の不満を吐き出さない快適な室温と湿度。

 カネル君主都市を示す三種の旗が、梁もない場所から垂れている仕掛けの正体は、洒落た照明代わりの色硝子片いろガラスへんに見えている偉大なる黎明の歩哨セントリアの恩恵だった。


「きゃふん! そうであった! 吾輩ワガハイったら何て姿!」


 小さな白い手で顔を覆い、雪原に似た敷物に突っ伏して恥じらいを全身で表現していた。


「カネル様、失礼致します」


 醜態をさらあるじおもんばかったネイトが、プラッティンの体温が残る黒と赤の毛皮で包み込み回収する。美少女顔負けの笑顔を浮かべながら、ネイトは重ねて言った。


「出直して参ります。少々、お時間を頂戴します」


 非公式とは言え、場に相応ふさわしい衣装を整えるために、ネイトと共にプラッティンは奥の私的空間へ通じる仕切の向こう側へと姿を消した。


 その様子を見ていた璜準コウジュンは、ネイトの足元を視界に入れ片目をすがめる。外にいた時には分からなかった絹製の黒い靴下を、青い月アオイツキの色と同じ色をした瞳が追っていた。


「カネル様の愛くるしさって、反則だよな」


 語る相手を限定せず、璜準コウジュンくちにした。一連の様子を見ていた者がいたのなら、恐らく璜準コウジュンは、腹にある思いとは別の言葉を吐いていると感想を持っただろう。


「アラーム、このやり場のない思いのたけを消化したいから殴らせ、ぶっふっ!?」


 璜準コウジュンの語尾に異常が発生した。


 支離滅裂しりめつれつだが、やり場のない発奮はっぷんを消化したい事だけ察する事が出来たらしいアラームは、頭巾フーザくち璜準コウジュンへ向ける頃合いと同時に、アラームの別の部位が動いた。


 アラームの右隣で、口先以外は温和おとなしく正座をしていた璜準コウジュンを、問答無用で張り倒したのだ。


 薄い肉と張りの良い白皙のほおからは、天幕の空気を震わせる小気味良い音が響き渡り、奇跡のような心地のプロークの敷物の上に突っ伏した。


璜準コウジュン、落ち着け。それはそうと、念願が叶って善かったな。雪原のような心地の絨毯を存分に味わえてただろう」


「くふっ。た、太師タイシ、大丈夫ですか」


 璜準コウジュンの斜め背後に位置していたメイケイが、助け起こしながらたまらず吹き出す。


「お気を確かに、くっふふふ」


 兄にならうまいと耐えていたウンケイだったが、結局は息が漏れてしまったようだ。


 事態を目にしてしまった者は皆、招いた側も、招かれた側も等しい状況にあった。心配そうに身を乗り出しているか、笑いを封じようと努めるあまり肩を揺らしているか、顔ごと視界から外しているか、素直に声を立てているかのどれかだった。




 ◇◆◇




「これで、何とか勘弁してもらえるかな? アラーム殿」


 相変わらず、胡坐あぐら姿のネイトを椅子代わりにしている上で、軽く両の手を広げながらプラッティンは衣装を披露した。


 胴衣ウェストコーストは、丈が長い橙色と同系色の縦縞が入る地布。植物模様を金糸と銀糸を用い、刺繍であしらわれている。絹製のそでや筒型のすそは、優美なひだで被毛にも優しげな空間を想像させる稜線に包まれていた。


 何より主張しているのは、ラヴィン・トット族の代名詞とも言える肩や腰に下げている兎の鞄フレドリックだった。上流階級のプラッティンに見合った、華美な作りとなって自慢気に存在感を放っている。


「素敵なお召し物です。特に、兎の鞄フレドリックが素晴らしゅう御座います」


「分かってくれるかね。商工集団マーガレットの最新技術を凝らした兎の鞄フレドリックなのである。来年春の新作も注文済み、なのである、のだ」


 弾んでいた言葉は、やがてにごってしまった。プラッティンは兎の鞄フレドリックをご機嫌な様子で持ち上げ、アラームに改めて提示してみせた。

 飴細工の照りを連想させ、モザイクタイルのように並べられた表面は、冬に向かう寒さから守ってくれそうな暖色系でまとめられている。


 しかし、その腕が重みで沈むように膝に落ち着いてしまう。プラッティンの青い月アオイツキと同じ色をした瞳も、ロップス種特有の垂れた耳の先も、釣られて下がってしまった。


「そ、それはそうと。席を外している間、有意義な時間が流れていたそうであるな」


 プラッティンは明らかに話題をらし、別件の刺激で諸々を打ち消そうとしているかのようだ。

 席を外している間の様子を、何故か把握しているプラッティンの言葉には言及する事なく、璜準コウジュンは非礼を詫びる意味も込め胸の前の位置で合掌し、軽く頭を垂れる炎州エンシュウ式の合掌礼で応えた。


「スーヤ大陸の偉大なる双璧、セイシャンナ正教国セイキョウコク聖法典八経セイホウテンハッケイ第二巻歓喜カンキを守護される璜準太師コウジュンタイシが、こんなにだったとは意外なのである。やはり、見ると聞くとでは違うものであるな」


 体裁を整えたプラッティンは、突如として手の内を明かすような発言をした。先程の不可解な情報の把握。初対面であるはずの璜準コウジュンを事前調査内容と照らし合わせている雰囲気。


 単なる愛らしい毛玉ではない事を。プラッティン・マクシム・カネルが持つ、最大の武器を抜き放つ気配を漂わせ始めた。





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あかときのうた 八住 とき @convallaria

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