七十二の節 華麗なる王者、プラッティン・マクシム・カネル。 その二




 正面を見据えた璜準コウジュンは、迷う気配すらさせず手を帯に掛ける。その左隣で察したアラームは、名乗ったプラッティンを黒の頭巾フーザ越しに見据えたまま、器用に璜準コウジュンの甲をはたき落とした。


「落ち着け、璜準コウジュンに乗るな」


 アラームから受けた刺激によって、璜準コウジュンは慣例のいましめを守っていた扉の錠を壊してしまったらしい。沈黙をもって礼節に代える現状で、素面をさらしてしまう。


「何とお美しい瞳なんだ。さすがはマフモフの王者でいらっしゃる」


「鏡を見ろ。同じ物が付いているぞ」


「カネル様の元にあるからこそ尊い配色なんだよ。本当に、お前さんは分かっちゃいねぇよ」


璜準コウジュン、後程いくらでも聞いてやる。まずは挨拶を口上こうじょうさせてくれ」


 頭巾フーザの開口部をわずかに璜準コウジュンへ向け、アラームは小声で素早く告げる。この場において璜準コウジュンも気を取り直したらしく、失態を掻き消すように居住まいを整えた。


「失礼致しました。このたびの、テフリタ・ノノメキ都市との軍事衝突におきまして、カネル君主都市首長プラッティン・マクシム・カネル様との交渉役として、テフリタ・ノノメキ都市のより全権をあずかり、調停を仰せつかりましたアラーム・ラーアと申します」


 アラームの挨拶には、いくつもの不審点はあるが、背後にいた全員が見事な姿勢の裏側を見た事だろう。正面にいたプラッティンを始めとする、十六人の少年達が余さず視界に入れた事だろう。


 かしこまる。または、正座と呼ばれるアラームの座り方。口上の後、奇跡の触れ心地の白い床に、これまた白い手袋に包まれた両の手を着く。同時に、背筋を伸ばしたまま腰から屈体くったいする。

 尻も顎も浮く事はなく、てのひらから肘まで床に着けた腕で、胸部が膝に接着するまで前傾させた上半身を支える。

 頭巾フーザに覆われた頭部を沈める先は、床に置いた差し指と親指で作った三角形の上。短くもなく、長くもない最適な間隔でアラームは座礼を解き、正面を見据えた。


 見る者によっては卑屈に。ある者によっては一切の隙がない最上級の座礼に映えるアラームの姿勢に、即座に反応した者がいる。


「う、うわわっ。いかがなさいました? カネル様?」


 胸元の黒と赤の毛皮の内側で、純白の毛玉がネイトの問い掛けから脱した。


 眷属ケンゾクを思わせる、しなやかな跳躍は宙で横回転。更に、縦回転の果て。まるで型に押し当てられた雪兎のように固まり〝ポフリ〟と、軽妙な音を立て着地した。アラームの姿勢にも劣らない座礼を整えた頃、着地の風圧で毛足の長い敷物の先が揺れる。


 その姿は、アラームに向かい小さな白い手を同じ色の敷物に埋もれさせながらも、堂々とした礼節をあらわしていた。


「まずは、吾輩ワガハイから御礼を言わせて欲しいのである。そちらで捕虜収容をした、我が軍のニアミノフ騎士団長、フォービィ副参謀長を丁重に扱ってくれて、心から礼を言う。今回の作戦を提案し実践に移したのも貴殿だと言う事も把握しているのである」


 身を起こし、正座したままの姿でプラッティンが言い放ったのは、信頼を置く部下の扱いについての礼だった。


「アラーム・ラーア殿は、実に見事な合手礼ごうしゅれいなのである。報告にあった、我々の鬨の奮ウォークライの際に見せたという直立不動の敬礼姿勢。やはり貴殿は、オ・ニギとの深い親交を保たれる方なのであるな」


 アラームの態度に、オ・ニギ族との関わりを問うプラッティンは言葉を続ける。


「入口では、正面の〝御丹の旗オンニノハタ〟を見やる姿は、ただならぬ間柄の気配を印象としてお見受けしたのである」


 プラッティンは抵抗も見せず、生命線とも言える諜報インテリジェンスの精度を言葉に込めて明かした。


「それに、皆様をお招きしたのは、個人的な情報収集のためなのだ。なので、討伐隊北部方面第四部隊ウェルグ・ヴァリー中隊士長の部下の方々も、脚も言葉も崩して遠慮なく発言して欲しいのである」


 穏やかに、気さくに。プラッティンは、アラームやカーダー達が作る人垣の隙間から見える、後方に座するヴァリーと腹心達にも青い月アオイツキと同じ色をした瞳を向ける。


 立場を超え把握しているプラッティンの情報量に、ヴァリーを始めとした面々は驚きを緊張にすり替えたようだ。ヴァリーを筆頭に、腹心一同は深い座礼を返答に代えていた。


公用言語セントリッシュで書かれた文書に、署名するだけで満足するおこちゃまからは得られないお話しをしたいのである」


 プラッティンが差しているのは、今回テフリタ・ノノメキ都市の捕虜護送・調印のために形式だけのお飾り集団に他ならない。


 プラッティンの容姿と舌足らず風の口調で和んで聞こえているが、本来は過去に使用されていた辛辣な言葉だ。相手の愚行を、心の底から見下げ果てる時に使用するものだ。

 立場が上になる程、直接的な表現はしない。故事や歴史の断片を用い物事の意図を濁し、相手からの言質を誘発し、あるいは墓穴を狙う。


吾輩ワガハイは貴殿に対し、純粋な興味がある。何故、今は絶えてしまったオ・ニギ様の慣習に詳しいのか。吾輩達を、どうするつもりなのかを」


 種族の特徴でもある、やや外向けに配置されているつぶらなプラッティンの青い月アオイツキと同じ色をした瞳は、アラームの頭巾フーザ越しにあるであろう双眸そうぼうの位置を力強く見詰めている。


「私には、がいました。初めてと呼べる相手でした」


 整い過ぎる唇に、霧に霞むような輪郭が曖昧な割りに説得力がある響きがある声を乗せ、アラームは一言を置いた。


御丹の旗オンニノハタは、オ・ニギ族が受け継いだ丹の一族ニノイチゾク御旗みはた。カネル様も御存知の通り、旗地の下に描かれる照柿色てりがきいろの円は陽を表します。昇る陽は、新たに迎える生命の時間をたゆまぬ決意で耐え抜く前進と繁栄の象徴。沈んだ陽は、夜明けを迎えて昇る再起の象徴。沈まない陽など存在しない。昇らない陽など存在しない。生命が生命である限り」


 突然。アラームは、どこかに書かれているような文言もんごんを発し、この場にいる誰もが聞き慣れない固有名詞を持ち出した。


「私のが描いた旗が今に受け継がれ、カネル様の元で拝見が叶った現実に、感慨を深めておりました」


 アラームは、記憶の一部を静かに語り終える。そこに、悲哀や過去にあった事象を漂わせる素振り、同情を招く気配は一切なかった。





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