梅と竜(4)

 マンホールを下りた先は、思ったよりも広い空間だった。

 俺は壁に背中を預け、細長く息を吐く。

 なんだか、妙に疲れた気がした。


「血は止まりました」

 汐月は、俺の脇腹から手を離した。

 彼女が持つ、【医師】症候群クラスのスキルによるものだ。俺には何をどうやったか、まるでわからないが、彼女が手を添えた傷口は、完全に止血されていた。


「しかし、もう少しまともな手当てをした方がいいですね。じっとしていてください、先輩」

「なんだ、手術でもするつもりかよ」

「器具は持ってきていますが、本格的なものは不可能です。我慢してください」

 俺は冗談のつもりで言ったが、汐月はバッグから包帯やら消毒液やらを次々と取り出す。

 なんて真面目なやつだ。


 だが、いま俺が疲労を感じている理由は、傷の痛みや彼女の真面目さのせいではない。

 目の前に堂々とあぐらをかいている、一人の少年によるものだ。

 才谷梅花。

 やつは無言で、ぎょろりと俺を見据えたまま、一言も発していない。


「おい」

 埒が開かないので、俺から声をかけることにする。

「何をやってるんだよ、お前は。こっちは探してたんだぜ。お前の姉ちゃんに頼まれたんだ」

「……ああ。姉さんが」

 少年は、はじめて俺の言葉に反応した。わずかに表情が動く。

 しかし、それだけだった。

「そうかあ。それはよくない、困る」


「困ったな、じゃねえよ。アホか」

 傷が痛まなければ、このガキの襟首をつかんでやるところだ。

「先輩、相手は子供ですよ」

 咎めるように、汐月は俺の肩をおさえた。

「もう少し、穏やかに。――あの。きみは、才谷梅花くん?」

 こいつも子供の相手は慣れていないのだろう。聞き方がぎこちない。


 少年は、ただ首をかしげた。

「才谷。そうかも」

「ふざけてんのか」

 汐月の視線にも構わず、俺はあえて低い声で唸った。

「お前のせいで大騒ぎしてるんだぞ。行方不明だってな。それをお前、なんでこんなところにいる? 自力で逃げやがったのか?」


「うん」

 得意げに笑うでもなく、才谷梅花は口を結んでうなずいた。

「逃げた。用事は済んだから」

「用事ってなんだよ。攫われたんじゃなかったのか、お前」

「違う。たぶん」

 少年は、キャスケット帽の上から頭を掻きむしった。

「あいつらが、これを取引してたから。追いかけようと思った」

 そうして、懐から一本の短い棒を取り出す。

 魔法の杖だ。

 さっきの男が持っていたものと同じ、オルザ&クェーラⅢ。


「盗んだのか、お前」

 やるな、と俺は正直に思ってしまった。

《ブラザーフッド》のやつらが慌てていたのは、この杖を奪われたからか。

「何本くらい取引してたんだ、おい」

「百本近く」

「そりゃ凄いな」

 それだけの量の魔法の杖を取引するとは、たいした奴らだ。魔法の杖は高価だが、それ以上に売りさばく先が重要になってくる。

 よほど強力な後ろ盾か、提携先があるのだろうか。


「これ……密輸品の、魔法の杖ですね」

 汐月は俺の肩に包帯を巻きながら、器用にそれを覗き込んだ。

「どこの国で作られたものか、先輩ならわかりますか」

「異界。それもドワーフどもだな。間違いなく」

 杖の特徴から、俺には判断できる。

「魔法スキルがなくても、低マナで動作するようになってる――で? お前はその取引現場を見て、阻止しようとでも思ったのか? 警察ごっこかよ。ぶん殴るぞ」


「違う」

 才谷梅花は、まったく恐れる素振りも見せない。むっつりとした無表情。

「これ、結構いい杖だと思う」

 杖を目の高さに掲げて、睨むように見つめている。

「最新型だ。魔法スキルがなくても使える。これがすごい。ぼくでも使えるってことだし、誰でも魔法使いになれる。でも――」

 と、才谷梅花は杖をまた懐に突っ込んだ。隠すように。


「この杖、圧搾式だ。そのうえ三段階にもマナを要求される。マナ量が低いと、あっという間に枯渇すると思う。これはあんまり良くないから、改良したい」

 一度喋り始めると、少年の舌は止まらない。息が続くまで喋ろうとするかのようだった。

「一本でいいから、サンプルが欲しかった。だから追いかけて、盗んだ」


 これに対する、俺の感想はこうだ。

「なんだ、お前? バカか?」

 説教の文句が、咄嗟に出てこなかった。

 俺はもともとそういうのは苦手な性質だったし、汐月も同様だ。あいつは呆気にとられた顔で、ただ才谷梅花少年を眺めていたように思う。


「こういうの、好きなんだ」

 あまりにも単純に呟いて、才谷梅花は笑った。

 得体のしれない、奇妙な生き物が笑うのを見るようだった。


 俺は素直に思う。

 こいつは変な奴だ。

 そうして改めて少年の顔を見つめたとき、《鑑定》スキルが発症した。

「……ああ?」

 その結果に、俺は思わず声をあげていた。


 名称:坂本竜馬。

 種族:ハーフ・エルフ。

 所属:なし。

 症候群クラス:騎士。


 俺の驚きは、『才谷梅花』が偽名だったことではない。どうせ本名ではないと思っていた。


 俺が驚いたのは、なんといってもこの少年の種族だ。

 同時に納得もした。

 ハーフ・エルフ。要するに、地球人と異界のエルフの間に生まれた子供。彼らのような存在は、現代においても極めて特異な存在だ。

 アホみたいな政府のプロパガンダ用語で言うなら、両国の融和の象徴。


 彼らはエルフであってエルフではない。

 だからシヴロの推測と、土御門晴栄の占いが食い違ったのか。

 こんな奴が行方不明になっていたというなら、うちの室長も焦るわけだ。


「汐月、わかった。このガキはあれだ。ハーフの――」


 言いかけて、すぐに止めた。

 頭上のマンホールが開くのがわかったからだ。それに、周囲から近づいてくる足音。

「騒ぎすぎたかも」

 才谷梅花――もとい、坂本竜馬少年は、キャスケット帽を目深にかぶりなおし、身を縮めた。


「梅花くん。先輩。下がってください」

 汐月が拳銃を構えた。

 が、そいつはいかにも心もとない。周囲から近づいてくるのは、魔法の杖を持った十人ほどの男たち。


「見つけた、あのガキだ! 警察のやつらもいる。ボスを呼んで来い!」

 懐中電灯らしき光が、こちらに向けられる。俺はその眩しさから逃れるため、いっそう壁に背中を押し付けた。

 ついでに、汐月を抑えようとする。


「汐月、やめとけ。お前だけじゃ無理だ」

「山岡先輩は負傷しています。魔法の杖が相手では、先輩のスキルも有効ではないでしょう。梅花くんを守ってあげてください」

「いや。そうじゃなくて、見ろよ」

 俺は頭上を指差した。

 マンホールが半開きになっていた。


「動くな!」

 誰かが、俺に魔法の杖を突きつけた。

 なにかの魔法で攻撃しようとしたのかもしれない。よせばよかったのに。

 次の瞬間、天井から半透明の粘液がこぼれおち、そいつの頭部を包み込んだ。


『こんなことを、私にやらせるとは』

 落ち着き払ったシヴロの声。

『この貸しは大きいぞ』

 頭部を包み込まれた男には、悲鳴もない。ごぼごぼと空気を求めて喘ぎながら、その場に崩れ落ちる。


 実際のところ、この攻撃はシヴロ――というか、スライムたちにとって必殺の技術の一つだ。

 スライムと言う種族は動きもそれほど俊敏ではなく、力にも劣る。ただし体内に侵入できるという点で、他の種族を圧倒した狩猟能力を発揮する。


「よくやった、シヴロ」

 俺は倒れた男をとどめに蹴飛ばし、動き出す。

「あとでラーメン奢る」

『あれを好んで食べるきみたちは異常だ』

 誰かが吠えるような声をあげて、魔法の杖を構えようとする。そっちは、汐月が対処した。発砲音が一度。腕を撃たれてうずくまる。


「あ。スライム」

 坂本竜馬は、シヴロを見て目を丸くした。

「……賢者、イド・シヴロ?」

 その呟きは気になったが、俺はそれどころではなかった。


『さっさと使え、山岡』

 シヴロの呟きと、床に転がる金属質な音。質素な鞘と、それに包まれた片手剣。

 魔剣だ。

 俺はそいつを拾い上げ、速やかに抜剣した。

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